これも今は昔、
新羅の国の后が、ひそかに男をつくっていた。
このことを聞いた帝は、后を捕えるや、
髪に縄を付けて上へ吊り上げ、
足を床から二三尺も離して放置したため、
后はどうすることもできず、
そのとき、心の中で思うには、
「このように悲しい目に遭わされて、助けてくれる人もない。
伝え聞けば、この国の東に日本という国があるとか。
その国には長谷観音という仏があって、
の御慈悲は、この国まで聞こえること際限もない。
だから、頼みをかけて、どうしてお助けくださらないことがあろうか」
と目を閉じ、長谷観音を念じ入った。
と、金色の踏台が足の下へ出現したため、
それを踏んで立てば、いっさいの苦しみもなくなった。
が、ほかの人には、この踏台は見えない。
そうして数日を経て、お許しがあった。
この後、后は所有する宝を多くを、使者に託して、長谷寺へ奉納させた。
その宝のうち、大きな鈴や鏡、金の簾などは、今でも残っているという。
この観音を念じ奉れば、
他国の人でも功徳を得られないことはないということだ。
原文
新羅国の后、金の榻のこと
これも今は昔、新羅国に后おはしけり。その后、忍びて密男(みそかをとこ)を設けてけり。御門(みかど)この由を聞き給ひて、后を捕へて、髪に繩をつけて、上へつりつけて、足を二三尺引き上げて置きたりければ、すべきやうもなくて、心のうちに思ひ給ひけるやう、かかる悲しき目を見れども、助くる人もなし。伝へて聞けば、この国より東に日本といふ国あなり。その国に長谷観音と申す仏現じ給ふなり。菩薩の御慈悲、この国まで聞えてはかりなし。たのみをかけ奉らば、などかは助け給はざらんとて、目をふさぎて、念じ入り給ふほどに、金の榻(しぢ)足の下に出で来ぬ。それを踏へて立てるに、すべて苦しみなし。人の見るには、この榻見えず。日此ありて、ゆるされ給ひぬ。
後に、后、持ち給へる宝どもを多く、使をさして長谷寺に奉り給ふ。その中に大なる鈴、鏡、金の簾今にありとぞ。かの観音念じ奉れば、他国の人も験(しるし)を蒙らずといふ事なしとなん。
適当訳者の呟き:
でも実際、悪いのは間男をこしらえた后ですよね?
新羅:
しらぎ。356~935年。7世紀の半ばに、朝鮮半島の半ばを統一しましたが、8世紀の半ば以降は内乱が続いて、最後は高句麗に滅ぼされます。
関係はないかもしれませんが、ちょうど887~897年に、真聖女王という新羅唯一の女王が君臨、後に、wikipediaによれば「少年美丈夫2~3名を密かに引き入れて姦淫し、彼らに要職を授けて国政を委ね」るなど、さんざんなことをして、国を乱しました。
女王陛下なら間男は関係ないですが、そういう時代背景と、この話は重ならないでもないです。
長谷観音:
有名な、奈良の長谷寺。真言宗豊山派総本山。日本でも有数の観音霊場です。
創建は、8世紀前半らしいです。出来たばかりで、新羅にも名前を売るなんて大したものです。
金の榻:
しじ。踏み台。
しじ、は普通、牛車のくびきを支えるとか、中の人が乗り降りする時に使う、踏み台のことです。
金の棒じゃありません。
[2回]
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