これも今は昔、門部の府生(かどべのふしょう)という、小役人がいた。
若く、身は貧しかったが、
的当て用の「真巻弓(ままきゆみ)」という弓を好んで、よく射ていた。
府生は夜間にも射るため、屋根の薄い葺き板をはがし、
それを燃やして灯にしていたが、当然、妻は不満。
近所の人も、
「何とまあ、おかしなことをするものだ」
と言っていたが、
「わしの家を壊して的を射ようと、誰か、何か困ることがあるか」
と、さらに屋根板を燃やしては矢を射るので、
彼を悪く言わないものは一人も無いほどだった。
そうしているうち、屋根の葺き板がすべて無くなった。
それで府生は、屋根の垂木や下地を割って燃やすことにした。
やがてそれも無くなると、今度は、棟木、梁を灯にした。
そして最後には、桁も柱もすべて割り焚いてしまい、
「これは何と馬鹿なありさまだ」
と人々が言っているうち、床板、土台まで壊した挙句、
隣の屋敷へ転がり込んだものだから、
隣人は、このまま我が屋敷までぶち壊してしまうのではないかと、
さすがにこの居候を憎んだが、府生は、
「そう思うでしょうが、待ってください」
などと言って、しばらくするうち、
この府生がよく射るという評判が聞こえて、ついに召し出されることになった。
そして賭弓(のりゆみ)という、御前試射をさせたところ、見事に射たため、
帝の叡感があって、府生は、諸国より相撲取りを募る、相撲の使に任じられた。
たいそうな出世だった。
(つづく)
(原文)
門部府生海賊射かへす事
これもいまは昔、門部の府生といふ舎人(とねり)ありけり。わかく、身はまづしくてぞありけるに、まゝきを好みて射けり。よるも射ければ、わづかなる家の ふき板をぬきて、ともして射けり。妻もこの事をうけず、近邊の人も、「あはれ、よしなき事し給ものかな」といへども、「我家もなくて的射むは、 たれもなにか苦しかるべき」とて、なをふき板をともして射る。これをそしらぬもの、ひとりもなし。
かくするほどに、ふき板みなうせぬ。はてには、たる木、こまいを、わりたきつ。又後には、むね、うつばり、焼つ。のちには、けた、柱、みなわりたき、「これ、あさましきもののさまかな」と、いひあひたるほどに、板敷、したげたまでも、みなわりたきて、隣の人の家にやどりけるを、家主、此人のやうたいを見るに、此家もこぼちたきなんぞと思て、いとへども、「さのみこそあれ、待給へ」などいひてすぐるほどに、よく射よし聞えありて、めし出されて、のりゆみつかうまつるに、めでたく射ければ、叡感ありて、はてには相撲の使にくだりぬ。
適当訳者の呟き
何といっても奥さんがかわいそうですね。
つづきます!
門部府生
かどべのふしょう。門部というのは、宮門を守衛する官人で、要するに門番。
府生は、下士官の位。今の感覚でいうと、係長くらいかと思われます。
個人名ではありません。官位もありません。
真巻弓
ままきゆみ。木に竹を接ぎ合わせて作った弓。的当てに使うもので、狩猟には使われなかったようです。
ふき板、たる木、こまい、むね、うつばり、けた、柱、板敷、したげた
すべて家の部品。
ふき板…板葺きの屋根の上に葺いた板。と言いますか、貧乏役人の家なので、屋根そのものだと思われます。
たる木(垂木)…屋根面を直下で支える細木。屋根の強度が無くなるでしょうね。
こまい(小舞)…土壁の中の芯にあたるもの。小舞竹。これを取り出すと、壁が無くなります。
むね(棟)…屋根を支える一番上の横木。無くなれば屋根が崩壊するかと思われます。
うつばり(梁)…家の基本構造。この辺になると、もはや後戻りはできません。
けた(桁)……同じく家の基本構造。
柱…はしら。
板敷き…床のことだと思われます。
したげた……ちょっと分りませんが、残っているものといえば、土台しかありません。
ちなみに
あたくしは知らなかったのですが、三次元直方体の「縦横高さ」で言ったとき、縦=梁、横=桁、高さ=柱、になるのですね。
賭弓
のりゆみ。字のとおり、景品が出る弓の競技大会。
単なる賭け試合のことも、のりゆみ、と言いますが、帝が見物されてるので、公式行事の方だと思われます。
――平安時代の宮廷年中行事の一つで、一般に正月18日。左右の近衛府・兵衛府の舎人が行う射技を、天皇が弓場殿まで出御して観覧する儀式、と出ます。
相撲の使
諸国の相撲取りをスカウトする役職。
門番からすると、だいぶ出世したと言えるはずです。
[5回]
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