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宇治拾遺物語 現代語訳ブログ

中世日本の説話物語集「宇治拾遺物語」を現代語にして行く適当な個人ブログです。
順番に宇治拾遺物語の現代語訳・口語訳を載せて行きますが、果てしないです。。。

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名前:あやまり堂
趣味で小説を書いてます。


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 あやまり堂 at パブー
 わたくし版「方丈記」現代語訳ブログ
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※おしらせ:20万アクセスを超えてましたー。(2012/05/23)
ツイッタとかfacebookとかのボタンを設置してみました!(2012/03/01)
【宇治拾遺物語 総目次】 【このブログについて】
  
わたくし版現代語訳 目次
第一巻
(序) 宇治拾遺物語について
(1) 道命阿闍梨読経し五條道祖神聴聞する事
(2) 丹波国篠村、平茸のこと
(3) 鬼にこぶとらるる事(前半)(後半)
(4) 伴大納言の事
(5) 隨求陀羅尼を額に籠める法師の事
(6) 玉茎検知のこと
(7) 鹿の身代わり
(8) 易の占、金取出す事
(9) 宇治殿倒れさせ給いて実相房僧正験者に召るる事
(10) 秦兼久、通俊卿に向いて悪口の事
(11) 一生不犯僧
(12) 児のかいもちひするに空寝したる事
(13) 田舎児桜散みて泣く事
(14) 小藤太、婿におどさる
(15) 大童子鮭ぬすみたる事
(16) 尼、地蔵を見奉る事
(17) 修行者、百鬼夜行に遭うこと
(18) 利仁芋粥の事 (上) (中) (下)
休題閑話 第一巻の適当訳後記

第二巻
(19) 清徳聖、奇特の事
(20) 静観僧正祈る、雨を法験の事
(21) 静観僧正、大嶽の岩祈り失ふ事
(22) 金峰山の金箔打ち
(23) 紀用経の荒巻鯛 (前半) (後半)
(24) 厚行、死人を家より出すこと
(25) 鼻長僧の事(前半) (後半)
(26) 晴明、蔵人少将を封ずる事
(27) 季通、災いに遭はむとする事(前半) (後半)
(28) 袴垂、保昌に会う事
(29) あきひら欲合殃事
(30) 唐卒都婆、血つく事
(31) 成村、強力の学士に会う事
(32) 柿の木に仏現ずる事
休題閑話 第二巻の適当訳後記

第三巻
(33) 大太郎盗人事(前半) (後半)
(34) 藤大納言忠家物言女、放屁の事
(35) 小式部内侍定頼卿の経にめでたる事
(36) 山ぶし舟祈返事
(37) 鳥羽僧正与国俊たはぶれ(前半) (後半)
(38) 絵仏師良秀家の焼をみてよろこぶこと
(39) 虎の鰐取たる事
(40) 樵夫、歌の事
(41) 伯母の事(前半) (後半)
(42) 同人仏事事
(43) 藤六の事
(44) 多田しんぼち郎等事
(45) いなばの国別当地蔵作さす事
(46) 臥見修理大夫俊綱事
(47) 長門前司女さうそうの時本所にかへる事
(48) 雀報恩事(上) (中) (下)
(46) 小野篁、広才の事
(50) 平貞文・本院侍従事(前半) (後半)
(51) 一条摂政歌事
(52) 狐家に火つくる事
休題閑話 第三巻の適当訳後記

第四巻
(53) 狐人につきてしとぎ食う事
(54) 左渡国に金ある事
(55) 薬師寺別富事
(56) 妹背嶋の事
(57) 石橋の下の蛇の事(前半) (後半)
(58) 東北院の菩提講の聖の事
(59) 三川の入道遁世の事(前半) (後半)
(60) 進命婦清水寺参事
(61) 業遠朝臣蘇生の事
(62) 篤昌忠恒等の事
(63) 後朱雀院丈六の佛作り奉り給ふ事
(64) 式部大輔実重賀茂の御正体拝み奉る事
(65) 智海法印癩人法談の事
(66) 白河院おそはれ給ふ事
(67) 永超僧都魚食ふ事
(68) 了延に実因湖水の中より法文の事
(69) 慈恵僧正戒壇築かれたる事
休題閑話 第四巻の適当訳後記

第五巻

(70) 四宮河原地蔵の事
(71) 伏見修理大夫の許へ殿上人ども行き向う事
(72) 以長、物忌の事
(73) 範久阿闍梨、西方を後にせぬ事
(74) 陪従家綱行綱、互ひに謀りたる事(前半) (後半)
(75) 同清仲の事
(76) 仮名暦あつらへたる事
(77) 実子にあらざる子の事(前半) (後半)
(78) 御室戸僧正事、一乗寺事(前半) (後半)
(79) ある僧人の許にて氷魚盗み食ひたる事
(80) 仲胤僧都、地主權現説法の事
(81) 大二条殿に小式部内侍歌読みかけ奉る事
(82) 山横川賀能地蔵の事
休題閑話 第五巻の適当訳後記

第六巻

(83) 広貴、炎魔王宮へ召る事
(84) 世尊寺に死人掘出す事
(85) 留志長者の事(前半) (後半)
(86) 清水寺に二千度参詣する者、双六に打入るる事
(87) 観音経、蛇に化して人輔け給う事(前半) (後半)
(88) 賀茂社より御幣紙米等給う事
(89) 信濃国筑摩湯に観音沐浴の事
(90) 帽子の叟、孔子と問答の事
(91) 僧伽多、羅刹国に行く事(上) (中) (下)
休題閑話 第六巻の適当訳後記

第七巻
(93) 五色の鹿の事(前半)(後半)
(93) 播磨守爲家の侍の事(前半)(後半)
(93) 三條の中納言水飯の事
(94) 検非違使、忠明の事
(95) 長谷寺参籠の男、利生に預る事
(96) 小野宮大饗の事、西宮殿富子路の大臣大饗の事(上)(中)(下)
(97) 式成、満、則員等三人滝口、弓芸の事
休題閑話 第七巻の適当訳後記

第八巻
(99) 大膳大夫以長、先駆の間の事
(100) 下野武正、大風雨日、参法性寺殿事
(101) 信濃国の聖の事(上)(中)(下)
(102) 敏行の朝臣の事(上)(中)(下)
(103) 東大寺華厳会の事
(104) 猟師仏を射る事
(105) 千手院僧正仙人
休題閑話 第八巻の適当訳後記

第九巻
(106) 滝口道則、術を習う事(上)(下)
(107) 宝志和尚、影の事
(108) 越前敦賀の女、観音たすけ給ふ事(1) (2)(3) (4)
(109) くうすけが佛供養の事(上) (中)(下)
(110) 恒正が郎等佛供養の事(上)(下)
(111) 歌よみて罪をゆるさるる事
(112) 大安寺別當女に嫁する男、夢見る事
(113) 博打聟入の事
休題閑話 第九巻の適当訳後記
 
第十巻
(114) 伴大納言応天門を焼く事(上)(下)
(115) 放鷹楽明暹に是季がならふ事
(116) 堀河院明暹に笛ふかさせ給ふ事
(117) 浄蔵が八坂坊に強盗入る事
(118) 播磨守定輔が事(上)(下)
(119) 吾妻人生贄を止むる事(1)(2)(3)(4)
(120) 豊前王の事
(121) 蔵人頓死の事
(122) 小槻当平の事
(123) 海賊発心出家の事(上)(中)(下)


 
 今は昔、歌人・藤原通俊が、後拾遺和歌集の歌を選出する際、
 秦兼久という人がやってきて、
「私の歌は選ばれるだろうか」
 と、わざわざ通俊のもとへ問い合わせた。

「どんな歌をお詠みですか?」
「大したものではありません。
 後三条天皇が崩御された後、円宗寺へ参詣した時に、
 花の匂いだけは昔と変らなかったことを詠んだ歌でして」
 と言って、
  去年見しに 色もかはらず咲きにけり 花こそものは 思はざりけれ
 という歌を披露すると、通俊は、
「悪くない。とはいえ、
 けれ、けり、ける、と言ってしまうあたり、大した歌ではないな。
 それに、花、と言っているが、そんな言葉を使うところも、女子の名を言っているようだ」
 そんなことを言って、褒めもしないので、
 兼久は怒って立ち去り、従者たちがいるところへ来ると、

「おまえたちの殿様は、歌のことが分っていないのではないか。
 こんな人間が、歌集の選者になるなんて世も末だ!
 たとえば拾遺集掲載の、藤原公任の歌に、
  春来てぞ 人も訪ひける山里は 花こそ宿の あるじなりけれ
 というのがあって、世の人がこれはすばらしいと褒めている。
 そこに、『人の訪ひける』とあるし、また『宿のあるじなりけれ』とある。
 また『花こそ』とも言って、いずれも私の歌と同じなのに、
 藤原公任の歌は良くて、私の歌が悪いといわれるのは意味不明だ!
 こんな男が、和歌集の選者だなんて、とんでもないことだ!!」
 さんざんに言い捨てて、出て行った。

 これを聞いた従者が、あとで主人のもとへ行き、
「兼久の野郎がこんなこと言ってましたぜ」
 と告げると、通俊は、
「そうか。ならばそれが正しいのかもしれない。人には言うな」
 そう言ったという。





原文

秦兼久向通俊卿許悪口事
今は昔、治部卿通俊卿、御拾遺を撰ばれける時、秦兼久行き向ひて、「おのづから歌などや入る」と思ひてうかがひけるに、治部卿出でゐて物語して、「いかな る歌か詠みたる」といはれければ、「はかばかしき候はず。後三条院かくれさせ給ひて後、円宗寺に参り候ひしに、花の匂いは昔にも変わらず侍りしかば、つか うまつりて候ひしなり」とて、
「去年見しに色もかはらず咲きにけり花こそものは思はざりけれ
とこそつかうまつりて候ひしか」といひければ、通俊の卿、「よろしく詠みたり。ただし、けれ、けり、けるなどいふ事は、いとしもなきことばかり。それはさ ることにて、花こそといふ文字こそ女の童などの名にしつべけれ」とて、いともほめられざりければ、言葉少なに立ちて、侍どもありける所に、「この殿は大 方、歌の有様知り給はぬにこそ。かかる人の撰集承りておほするはあさましき事かな。四条大納言歌に、
春来てぞ人も訪ひける山里は花こそ宿のあるじなりけれ
と詠み給へるは、めでたき歌とて世の人口にのりて申すめるは。その歌に、『人の訪ひける』とあり、また、『宿のあるじなりけれ』とあめるは。『花こそ』と いひたるは、それには同じさまなるに、いかなれば四条大納言のはめでたく、兼久がはわろかるべきぞ。かかる人の撰集承りて撰び給ふ、あさましき事なり」と いひて出でにけり。
侍、通俊のもとけ行きて、「兼久こそかうかう申して出でぬれ」と語りければ、治部卿うち頷きて、「さりけり、さりけり。物ないひそ」といはれけり。



適当役者の呟き

和歌のことは分りません。

治部卿通俊卿:
藤原通俊。白河天皇の側近。後拾遺和歌集のほか、いくつかの勅撰和歌集に、27首が載っているほど、優秀な歌人だったようです。

後拾遺和歌集:
wikipediaによると、
格調よりも率直な情感を重んじ過ぎたため、撰者が若輩の歌人であったこともあいまって撰進当時から批判の声が多かった。たとえば、歌壇の重鎮でありながら撰者の任に漏れた大納言源経信は、『難後拾遺』を著して論難した。
津守国基の歌が三首も入っているのは、通俊に賄賂として鰺を贈った為だと風評され、「小鰺集」の異名を得た
――そうですよ。いろいろゴタゴタと揉めごとがあったようです。
こちらに全作品が載ってますが、秦さんの作品はやっぱり載ってないようです。
http://www.kadonta.com/mokuji.html

秦兼久:
はたのかねひさ。誰だろう?
秦氏の人だというのは分りますが、ちょっと不明です。
ちなみに、秦氏の末裔に、長宗我部氏がいたり、羽田孜さんがいたりするみたいですよ。

後三条天皇:
170年ぶりに、藤原氏を外戚とせずに即位した天皇さまで、延久の善政を敷かれました。
摂関政治から院政へと、政治システムの転換を果たされとか。名君ですね。

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自分の口語訳と見比べさせてもらいました!
勉強になります。
ありがとうございました!
なな 2012/04/11(Wed)23:19:33 編集
>ななさん
コメントありがとうございますー。
お役にたてば幸いです!
ayamarido 2012/04/12(Thu)08:46:19 編集

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