これも今は昔、宇治殿こと藤原頼通が、
高陽院(かやのいん)の建設現場へ馬でお越しになった時、
不意に倒れられ、人事不省に陥ってしまった。
これはいかん――と、心誉僧正に回復の祈願をしてもらおうと、
人を呼びにやったところ、
僧正がやって来るより先に、
宇治殿お付の女性に、突然、憑きものが降りた。
そして、その女性が口を開くには、
「何でもありません、ちょっと憑依しただけです。
ええっと、僧正がお越しになるより先に、
わたくしこと護法天童が悪霊を追い払いましたので、もう大丈夫です。
ではでは――」
そう告げたと思うと、宇治殿の加減はすぐに良くなられた。
心誉僧正、すげえ。
原文
宇治殿たをれさせ給て実相房僧正に召事
これも今は昔、高陽院造らるる間、宇治殿御騎馬にて渡らせ給ふ間、倒れさせ給ひて心地違はせ給ふ。心誉僧正に祈られんとて召しに遣はす程に、いまだ参らざ る先に、女房の局なる女に物憑きて申して曰く、「別の事にあらず。きと目見入れ奉るによりてかくおはしますなり。僧正参られざる先に、護法先だちて参りて 追ひ払ひ候へば、逃げをはりぬ」とこそ申しけれ。即ち、よくならせ給ひにけり。心誉僧正いみじかりけるとか。
適当訳者の呟き
高陽院:
かやのいん。
元は桓武天皇の皇子・賀陽親王の邸宅であったとされ、その後所有者は転々としたが、11 世紀初頭に摂政藤原頼通が寝殿造の建物を造営――したみたいです。
心誉僧正:
すばらしいお坊さんのようですが、藤原北家出身、くらいしか検索できませんでした。
(北家のお坊さんなので、頼通さんが呼んだのですね)
心誉僧正は、弟子に、三井寺の頼豪さんという優秀なお坊さんがいたようで、この頼豪さんは、自分のところの三井寺に、権威の象徴・戒壇を設けようとしましたが、延暦寺一派に阻まれて憤死。
死後、幼い皇子を呪い殺した挙句、ものすごい怨霊・鉄鼠となって、延暦寺の経文の類を食いまくった――という伝説があるようです。
[12回]
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