今は昔、天竺に、留志(るし)長者という、たいそうな物持ちがいた。
屋敷には数え切れないほどの蔵を持ち、それは裕福であったが、
心が狭く、妻子にも、まして従者などに、物を多く食わせたり、
良い着物を与えたりすることはなかった。
それでいて自分だけはたいへんな、欲しがり屋のけちん坊で、
ものを食うときも、人には見せぬよう隠れて食うような根性であった。
さてあるとき。
長者は、どうにかして、自分が飽きるまで多量のものを食ってみたいと思い、
妻に向って、
「飯や酒、くだものといったものを大量に用意せよ。ケチの神様へ祀るゆえ」
というので、妻は、
「神様へ献上し、物惜しみの心を失おうということに違いない。これは良いことだ」
と喜んで、色々と用意を調え、惜しみなく、多くのものを持たせた。
ものを受けとると、長者は、
さあ、人に見られぬ場所へ行って、思うぞんぶん食ってやろうぞと、
弁当箱へ押し込み、徳利に酒を入れるなどして、出立した。
「この木の側にはカラスがいる。向うには雀がいる」
と、場所を選びに選んで人里から離れ、
鳥や獣さえいないような山の木の陰のもとへやって来ると、
長者はいよいよ、ひとりで食い始めた。
うれしさ、楽しさは限りなく、唱え始めるのは、
「今曠野中、食飯酒大安楽、獨過毘沙門天、勝天帝釋」
という独自の経文で、意味は、
いま人の無い広野の木陰で、物を食い、酒を飲んで大いに安楽、
この心地よさは、毘沙門や帝釈天にも勝るものだ――
というものであったが、これを、その帝釈天が、ご覧になっていた。
【つづく】
原文
留志長者の事
今は昔、天竺に、留志(るし)長者とて、世にたのもしき長者ありける。大方蔵もいくらともなく持ち、たのもしきが、心のくちをしくて、妻子にも、まして従者にも、物くはせ、きすることなし。おのれ物のほしければ、人にも見せず、かくして食ふほどに、物のあかず多ほしかりければ、妻にいふやう、「飯、酒、くだもの共など、おほらかにしてたべ。我につきて、ものをしまする慳貪(けんどん)の神まつらん」といへば、「物をしむ心うしなはんとする、よき事」とよろこびて、色々に調じて、おほらかにとらせければ、うけとりて、人も見ざらむ所のいゆきて、よく食はむと思て、ほかいにいれ、瓶子に酒入などして、持ていでぬ。
「この木本にはからすあり、かしこには雀あり」など選りて、人はなれたる山の中の木の陰に、鳥獣もなき所にて、ひとり食ゐたり。心のたのしさ物にも似ずして、誦ずるやう、「今曠野中、食飯飲酒大安楽、獨過毘沙門天、勝天帝釋天」。此心は、けふ人なき所に一人ゐて、物をくひ、酒をのむ。安楽なること、毘沙門、帝釋にもまさりたり、といひけるを、帝釋きと御らんじてけり。
適当役者の呟き:
烏や雀にさえ用心するところが素敵です。
つづきます!
留志長者:
るしちょうじゃ。名前の由来はわかりません。
礪波志留志(となみ・しるし)、という天平時代の豪族が検索にでてきましたが、無関係ですね。
ほかい:
外居、行器。食物を入れて持ち運ぶ、木製でふた付きの容器。
お弁当箱ですね。
瓶子:
へいじ。徳利とはちょっと違いますが、お酒を入れる容器です。今でも、神棚に載ってたりします。
平家物語では、平清盛のお父さんに見立てて、伊勢のへいじはすがめだぞ――なんて言われて、首を折られたりします。
今曠野中、食飯酒大安楽、獨過毘沙門天、勝天帝釋:
じきばんおんじゆだいあんらく、どくくわびしやもんてん、しようてんたいしやく。
元ネタは分りません。
[4回]
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