(つづき)
さて大海人皇子は美濃国へ入り、洲股の渡りというところへ着いたが、舟が無い。
ふと見ると、湯桶に布を入れて洗っている女がいるので、
「この渡りを、何としてでも渡りたいが」
と、お尋ねになると、女が答えるには、
「一昨日のこと、大友の大臣のお使いという者が来て、
あちこちの渡りの舟を、すべて取り隠させてしまいました。
たとえここをお渡りになっても、他の渡りを越えることは難しいでしょう。
これだけ周到にされた上で、今に軍勢も攻め寄せて来ましょう」
とのこと。
「このような状況で、どのようにしてお逃げになりますか」
と尋ねるので、太子も、
「うむ、どうしたら良いか」
と言うしかない。
そこで女が申し上げるには、
「お見かけしたところ、ただ人ではないご様子。なれば、お隠しいたしましょう」
と、洗濯につかっていた大きな湯桶をひっくり返し、太子をその下へ伏せさせ、
その上に洗濯物をたくさん載せると、水をかけ、洗濯を続けているふうを装った。
と、そのうちに、4-5百人ほどの軍兵がやって来た。
女に向って、
「ここから誰かが渡ったか」
と尋ねるので、女は頷いて、
「やんごとなき御方が、1000人ほどもの軍兵を具してお通りになりました。
今は信濃国にお入りになっているでしょう。
その人は、たいへんな、竜のような馬に乗り、飛ぶようにしていらっしゃいました。
見たところ、こちらの少勢では、追いついたとしても、皆殺しにされましょう。
ひとまず引き返し、軍兵士を多く整えた後、追われたらどうですか」
そんなふうに言うと、なるほどと思い、大友皇子の兵士たちはみな引き返していった。
さて危難が去った後、太子が女に仰せになるのは、
「この辺で軍兵を募れば、集まるであろうか」
と。
それを受け、女が走り廻って、国の心ある者たちへ呼びかけると、
たちまち2-3千の兵士たちが集った。
それを引き連れ、大海人皇子は、大友皇子を追って近江国大津というところへ到り、
そこで戦闘すると、大友皇子の軍勢は敗れ、兵士も散り散りになって逃げて、
大友皇子もついに山崎において討たれ、首をとられてしまった。
それから皇太子は大和へ帰還され、天子の位につかれた。
山城の田原に埋めた焼き栗、茹で栗は、形もそのままに生えて、
今の世にまで、田原の御栗として献上されている。
ちなみに、志摩国で水を進上したのは、高階氏の一族だったから、
その子孫は国守になっているという。
その水を汲んだ釣瓶は、今は薬師寺にある。
それから美濃国洲股の女は、不破の明神だったという話である。
原文
清見原天皇、与大友皇子合戦事(つづき)
この国の洲股(すのまた)の渡りに、舟のなくて布入て洗けるに、「此渡り、なにともして渡してんや」との給ければ、女申けるは、「一昨日、大友の大臣の御使といふもの来りて、渡の舟ども、みなとり隠させていにしかば、これを渡り奉りた りども、多くの渡り、え過させ給まじ。かくはかりぬる事なれば、いま軍(いくさ)、責来らんずらん。といふ。「さては、 いかゞしてのがれ給べき」といふ。「さては、いかゞすべき」との給ひければ、女申けるは、「見奉るやうあり。たゞにはいません人にこそ。さらば隠し奉らん」といひて、湯舟をうつぶしになして、その下にふせ奉りて、上に布を多く置きて、水汲かけて洗ゐたり。
しばし斗ありて、兵(つはもの)四五百人斗来たり。女に問て云、「これより人や渡りつる。といへば、女のいふやう、「やごとなき人の、軍千人ばかり具しておはしつる。今は信濃国に入給ぬらん。いみじき竜のやうなる馬に乗て、飛がごとくしておはしき。此少勢にては、追付給たりとも、みな殺され給なん。これより帰て、軍を多くとゝのへてこそ追給はめ」といひければ、まことにと思て、大友皇子の兵、 みな引返しにけり。
其後、女に仰られけるは、「此辺に、軍催さんに、出で来なんや」と問給ければ、女、はしりまひて、その国のむね とある者どもを催しかたらふに、則、二三千人の兵(つはもの)出で来にけり。それを引具して、大友皇子を追給に、近江国大津といふ所に追付て、たゝかふに、皇子の軍やぶれて、散りじりに逃ける程に、大友皇子、つゐに山崎にて討れ給て、頭とられぬ。 それより春宮、大和国に帰おはしてなん、位につき給けり。
田原にうづみ給し焼栗、ゆで栗は、形もかはらず生出けり。今に、田原の御栗として奉るなり。志摩の国にて水めさせたる者は、高階氏のものなり。されば、それが子孫、国守にてはある也。その水めしたりしつるべは、 今に薬師寺にあり。洲股の女は、不破の明神にてましましけりとなん。
適当訳者の呟き:
洗濯ばーさんが素敵です。
壬申の乱を語るときのこまごまとしたエピソードは、この宇治拾遺が元ネタになるみたいです。
高階氏:
天武天皇の長子、高市皇子が祖先。
高市皇子の子供に、有名な長屋王がいて、権勢をほしいままにした後、長屋王の変で一族の大半が滅亡、助命された長屋王の孫の、さらに孫が臣籍降下して高階さんになります。
志摩国守だったかは不明です。
不破の明神:
岐阜県大垣市の不破神社。今でもあります。
[2回]
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