これも今は昔、筑紫に、大夫の定重という男がいた。
今の箱崎の大夫、則茂の祖父に当たる。
その定重が、あるとき京都へのぼることになった。
亡き宇治殿のもとを訪れ、また他の知人にも心ざしを進呈しようと、
九州の地で、唐人から六七千疋ほども借金するため、太刀を十本ほど、質に置いた。
さて京都へ着いて、宇治殿を訪れて予定どおり、
私的な人々へも贈り物をするなどして、定重は都をあとにした。
淀から舟に乗り、宴を設けて、あれこれものを食べていると、
小舟で商いする者たちが集まってきて、
「これを買わぬか、あれを買わぬか」
そんなふうに尋ねる中で、一人が、
「この玉を買わぬか」
と言っているが、特に聞く者は無かった。
と、定重の舎人として仕える男が、舳先に立っていて、その商人に、
「ここへ持って来るのだ。見たい」
と言うので、商人は、袴の腰から、アコヤ貝の玉、つまり真珠の、
大きな豆ほどもあるものを取り出して、見せた。
男が、身につけていた水干を脱いで、
「これと交換しよう」
と言うと、玉を持ってきた商人は、得をしたぞと思い、
あたふたと水干を受け取ると、素早く舟を返した。
舎人の方も、高い買物だとは思っていたが、商人があまりに慌てて漕ぎ去ったから、
高すぎたなと惜しく思いながら、別の水干に履き替えるのだった。
そうして、日数が過ぎて、博多というところへ到着した。
定重は舟から降りるとそのまま、金を借りた唐人のもとへ行き、
「質物はわずかだったが、借りられた金は多かった」
そんなふうにお礼を伝えようと、訪れると、
唐人も喜んで、酒を飲ませるなどしてあれこれ話を弾ませた。
さて、例の真珠を買った男が、この間に、唐人の下働きをつかまえて、
「この玉を買うか」
と、袴の腰のところから、真珠を取り出して取らせると、
唐人はこれを手の上に置き、打ち振って見ながら、いかにも物欲しげな顔付で、
「これは幾らくらいだ」
と尋ねるので、欲しいのだなと見て、
「十貫」
と答えると、先方は迷った後、
「十貫で買おう」
という。
「いや、実は二十貫なのだ」
と言うと、それでも迷って、
「買おう」
という。
男は、さてはよほど高価なものなのだと思うので、
「ひとまず、返してくれ」
と頼むと、相手も返すのを惜しんだようだが、
男がとにかく返すように言うから唐人も仕方なく返した。
そして、
「もっとしっかり値段を決めてから売ろう」
と、袴の腰に包んで退散したから、唐人は憤って、
定重と面会中の、唐人船頭のもとへ行き、
こんなことが、と小うるさく苦情を述べたところ、
船頭は頷き、定重に、
「そちらの従者の中に、玉を持つ者がいる。その玉を取り、我らにくだされ」
と言った。
(つづく)
原文
玉の価(あたひ)はかりなき事
これも今は昔、筑紫(つくし)に大夫さだしげと申す者ありけり。この比ある箱崎の丈夫のりしげが祖父(おほぢ)なり。そのさだしげ京上しけるに、故宇治殿に参らせ、またわたくしの知りたる人々にも心ざさんとて、唐人に物を六七千疋が程借るとて、太刀を十腰ぞ質に置きける。
さて京に上りて、宇治殿に参らせ、思のままにわたくしの人人にやりなどして、帰り下りけるに、淀にて舟に乗りける程に、人設けしたりければ、これぞ食ひなどして居たりける程に、端舟(はしぶね)にて商をする者ども寄り来て、「その物や買ふ。かの物や買ふ」など尋ね問ひける中に、「玉をや買ふ」といひけるを、聞き入るる人もなかりけるに、さだしげが舎人に仕へけるをのこ、舳に立てりけるが、「ここへ持ておはせ。見ん」といひければ、袴の腰よりあこやの玉の、大なる豆ばかりありけるを取り出して、取らせたりければ、着たりける水干(すいかん)を脱ぎて、「これにかへてんや」といひければ、玉の主の男、所得(せうとく)したりと思ひけるに、惑ひ取りて、舟さし放ちて去にければ、舎人も高く買ひたるにやと思ひけれども、惑ひ去にければ、悔しと思ふ思ふ、袴の腰に包みて、異水干着かへてぞありける。
かかる程に、日数積りて、博多といふ所に行き着きにけり。さだしげ舟よりおるるままに、物貨したりし唐人のもとに、「質は少なかりしに、物は多くありし」などいはんとて、行きたりければ、唐人も待ち悦びて、酒飲ませなどして物語しける程に、この玉持のをのこ、下種(げす)唐人にあひて、「玉や買ふ」といひて、袴の腰より玉を取り出でて取らせければ、唐人玉を受け取りて、手の上に置きて、うち振りて見るままに、あさましと思ひたる顔気色にて、「これはいくら程」と問ひければ、ほしと思ひたる顔気色(かほけしき)見て、「十貫」といひければ、惑ひて、「十貫に買はん」といひけり。「まことは廿貫といひければ、それをも惑ひ、「買はん」といひけり。さては価高き物にやあらんと思ひて、「賜べ、まづ」と乞ひけるを、惜みけれども、いたく乞ひければ、我にもあらで取らせたりければ、「今よく定めて売らん」とて、袴の腰に包みて、退きにければ、唐人すべきやうもなくて、さだしげと向ひたる船頭がもとに来て、その事ともなくさへづりければ、この船頭うち頷きて、さだしげにいふやう、「御従者(ずんざ)の中に、玉持ちたる者あり。その玉取りて給らん」といひければ、
適当訳者の呟き
昔は、たいそう真珠が高価だったのですね。続きますー!
大夫のさだしげ、祖父のりしげ:
秦定重と、秦則重。
在地の有力者だったようで、則茂は、太宰大監(じょう)でした(太宰帥、権帥の下に、弐(すけ)、監(じょう)、典(さかん))。
時代的には、則重さんが、藤原道長の頃の太宰師、平惟任の死を看取った、という頃合です。
玉:
真珠。天然ものの、まん丸な真珠は、価値がいっそう高いみたいですね。
魏志倭人伝に、「倭の地には、真珠・青玉を産する」と書かれているくらい、日本では昔から真珠が採れた模様。
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