『鬼にこぶとらるる事』
これも今は昔、右側の頬に、大きなこぶのある爺さんがいた。
ある日、こぶ爺さんが、いつものように山へ行くと、
にわかに風雨がはげしくなって、山をおりることができなくなった。
そこで仕方なく一晩明かそうと決めたものの、
山小屋も見つからず、おそろしくて仕方がない。
何とか大木の根元に空洞が見つかったので、そこで震えていると、
向うの方から、大勢の人の大きな声が聞こえてくる。
何せ怖かったから、やれ人の気配だぞと、ほっとして覗いてみると、
そこにたくさんの鬼がいたものだから、ぶったまげてしまった。
さまざまな大きさで、赤鬼は青の着物、黒鬼は赤フンを締めて、
大きな一つ目の奴がいると思えば、口の無い奴など、
口に出すのも恐ろしい鬼どもが、
100人ばかりもひしめいて、
赤々と炎を燃やし、こぶ爺さんのすぐ目の前で宴を始めるのである。
リーダーとおぼしき奴が正面にいて、
左右に数え切れないほどの鬼が居並んでいる。
とんでもなく恐ろしかったが、
酒を食らい始め、ドンチャン騒ぎする様子は、
何となく人間の宴会と変らない感じがした。
やがて何度も杯が回って、鬼リーダーはことのほか酔っ払った様子となった。
末席の若い鬼が何ごとかを言って、酔った鬼リーダーを笑わせるなどして、
その様子は、本当に、ただの人間に変らない。
舞い踊る鬼たちには、上手な奴もいれば下手な奴もいる。
「これは、意外なことになったなあ」
と、半ばワクワクしながらこぶ爺さんが見ていると、
鬼リーダーが、
「よし、今日はいつも以上に盛り上がっているな。
誰ぞほかに、珍しい舞をやれる奴はいないか」
などと言うものだから、何かに取り憑かれたのか、はたまた神仏の叡慮か、
こぶ爺さんは、もう我慢できなくなって、
「思い切って、踊りに出てみようか」
そして、一度は思いとどまったものの、鬼どもがやんやと打ち叩く拍子が、
とにかく心踊らせるものだから、
「よし、行こう。死んだらそれまでのことだ!」
と、帽子を鼻にひっかけつつ洞穴から這い出て、
腰に木を切る斧を指したまま、鬼リーダーの前へ進み出たのだった。
「やや、何だこいつは!」
とさすがの鬼たちも驚き、大騒ぎになるが、
こぶ爺さんは、伸び上がり、かがみ込んで、また身をくねらせてかけ声を発し、
そこら辺を走り回って、大いに踊り狂うものだから、
鬼リーダーをはじめとして一座の鬼どもはたいそう楽しむことになる。
やがて鬼リーダーは、
「いやはや、長年こうして遊んできたが、おまえのような者に会ったことはない。
よし、爺さん、これから毎度の宴会には必ず顔を出してくれるか」
そんなことを言うから、爺さんも、
「もちろんでございますとも。
今日は急なことでしたので、秘伝の舞がやれませんでしたが、
こんなにお楽しみいただけるなら、今度はちゃんと舞わせていただきますよ」
すると奥から三番目の鬼が、
「いや、そうは言っても、二度とは来ないかもしれない。
何かこいつから質物を取っておこうではないか」
と言うものだから、
「うむ。では何を取ろうか」
とみんなで口々に話し合ううちに、鬼リーダーが、
「では、この爺さんの顔に付いている、こぶを取ろう。
こぶは縁起物だから、これを奪っておけば、次も必ず来るであろう」
そんなことを言い出したから、こぶ爺さんはびっくりして、
「目や鼻をお取りになっても、このこぶだけは勘弁してくださいませ。
長年こうして付けてきたものを、そんなことで取られては道理に合いません」
「そういうものだからこそ取るのだ。それ、奪ってしまえ」
鬼リーダーの言葉に、鬼どもが寄ってきて、
「よし、取るぞ」
と言って、こぶをねじ切ってしまった。
だが、別に痛くもなくて、
「うむ、この次も必ず遊びに参れよ」
などと、朝鳥が鳴き始めるのにあわせて、鬼たちは帰って行った。
こぶ爺さん、自分の頬を撫でてみると、長年付けてきたこぶがあとかたも無く、
掻いぬぐったようにつやつやしていたので、
木材の切り出しも忘れて、家に飛んで帰った。
【つづき】
原文
鬼にこぶとらるゝ事
これもいまはむかし、右のかほに大なるこぶあるおきなありけり。大よそ山へ行ぬ。雨風はしたなくて歸におよばで、山の中に心にもあらずとまりぬ。又木こりもなかりけり。おそろしさすべきかたなし。木のうつぼの有けるにはひ入て、目もあはずかがまりてゐたるほどに、はるかより人の聲おほくしてどゞめきくるおとす。いかにも山の中にたゞひとりゐたるに人のけはひのしければ、すこしいき出る心ちしてみいだしければ、大かたやうやうさまざまなる物どもあかき色には青き物をき、くろき色にはあかきものをき、たふさぎにかき、大かた目一あるものあり、口なき物など大かたいかにもいふべきにあらぬ物ども百人ばかりひしめきあつまりて、火をてんのめのごとくにともして、我ゐたるうつぼ木のまへにゐまはりぬ。大かたいとゞ物おぼえず。
むねとあるとみゆる鬼よこ座にゐたり。うらうへに二ならびに居なみたる鬼かずをしらず。そのすがたおのおのいひつくしがたし。酒まゐらせあそぶありさま、この世の人のする定なり。たびたびかはらけはじまりて、むねとの鬼ことの外にゑひたるさまなり。すゑよりわかき鬼一人立て、折敷をかざしてなにといふにか口説ぐせざることをいひて、よこ座の鬼のまへにねりいでゝくどくめり。横座の鬼盃を左の手にもちてゑみこだれたるさま、たゞこの世の人のごとし。舞て入ぬ。次第に下よりまふ。あしくよくまふもあり。
「あさまし。」とみるほどに、このよこ座にゐたる鬼のいふやう、「こよひの御あそびこそいつにもすぐれたれ。たゞしさもめづらしからん、かなで〔弄〕をみばや。」などいふに、この翁ものゝつきたりけるにや、また神佛の思はせ給けるにや、「あはれはしりいでゝまはゞや。」とおもふを、一どはおもひかへしつ。それになにとなく鬼どもがうちあげたる拍子のよげにきこえければ、「さもあれたゞはしりいでゝまひてん。死なばさてありなん。」と思とりて、木のうつぼよりゑぼしははなにたれかけたる翁の、こしによきといふ木きるものさして、よこ座の鬼のゐたるまへにをどり出たり。この鬼どもをどりあがりて、「こはなにぞ。」とさわぎあへり。おきなのびあがりかゞまりてまふべきかぎり、すぢりもぢりえいごゑをいだして一庭をはしりまはりまふ。よこ座の鬼よりはじめてあつまりゐたる鬼どもあざみ興ず。
よこ座の鬼のいはく、「おほくのとしごろこのあそびをしつれども、いまだかゝるものにこそあはざりつれ。いまよりこのおきなかやうの御あそびにかならずまゐれ。」といふ。おきな申やう、「さたにおよび候はずまゐり候べし。このたびにはかにてをさめの手〔秘曲〕もわすれ候にたり。かやうに御らむにかなひ候はゞ、しづかにつかうまつり候はん。」といふ。よこ座の鬼、「いみじう申たり。かならずまゐるべきなり。」といふ。奧の座の三番にゐたる鬼、「この翁はかくは申候へども、まゐらぬことも候はんずらん。おぼしゝしちをやとらるべく候らん。」といふ。よこ座の鬼「しかるべししかるべし。」といひて、「なにをかとるべき。」とおのおのいひさたするに、よこ座の鬼のいふやう、「かのおきながつらにあるこぶをやとるべき。こぶはふくのものなればそれをやをしみおもふらん。」といふに、おきながいふやう、「たゞ目はなをばめすともこのこぶはゆるし給候はん。とし比もちて候ものを、ゆゑなくめされすぢなきことに候なん。」といへば、よこ座の鬼、「かうをしみ申物なり。たゞそれを取べし。」といへば、鬼よりて「さはとるぞ。」とて、ねぢてひくに大かたいたきことなし。「さてかならずこのたびの御あそびにまゐるべし。」とて、曉に鳥などもなきぬれば鬼どもかへりぬ。おきなかほをさぐるに年來ありしこぶあとかたなくかいのごひたるやうにつやつやなかりければ、木こらんこともわすれていへにかへりぬ。
適当訳者の呟き)
鬼の描写のうち、
「たふさぎにかき」:
犢鼻褌に欠き、で良いように思いましたが、微妙に分りません。「にかき」?
「あかき色には青き物をき、くろき色にはあかきものをき、たふさぎにかき」
(当初訳:赤鬼は青い着物を身につけ、黒鬼は赤い着物を身につけ、ふんどしは付けず)
とあるところを、※新潮の新編日本古典文学全集では、
「赤き色には青き物をき、くろき色には赤き物を褌(たふさぎ)にかき」というふうに、「き」を省いて、意味が通るようにしていました。
私のコピペ先が誤ったのか、新潮が誤ったのか、底本がそもそも違っているのか。。とりあえず新潮に従い、本適当訳でも、
「赤鬼は青いものを身につけ、黒鬼は赤フンを締めて」
としましたー。
[15回]
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