これも今は昔、丹波国の篠村というところで、
数年にわたって、平茸がやるせないほど多く採れたことがあった。
村人はこれを収穫して、自ら食べまくり、人にもたくさん贈っていたが、
あるとき村長のような人の夢に、
ぼさぼさ頭の法師が二、三十人も出現して、
「お伝えしたいことがあります」
と言うので、
「何でございましょう」
とたずねると、
「我々は、数年にわたってさるお方に仕えてきましたが、
このほど、この村との縁が切れてよそへ行くことになりました。
お名残惜しいこともあり、このことを伝えなければなるまいと思って、
今日は夢の中へまかり越しました」
そんなことを言うものだから、村長、大いに驚いて、
「いったいどういう意味だったんだろう?」
などと、翌朝、妻や子供と話し合っていたら、
ほかの村人も同じような夢を見たとのことで、
何だろう、何だろうと、不安なうちに、その年は暮れて行った。
そして翌年の9月、10月になり、さてまたきのこ狩りを始めようと、
村人が山へ入ったところ、きのこは、ほとんど生えていない。
「やや。これはどういうことだ」
と村人たちが当惑しているところへ、
仲胤という、賢いお坊さんがやって来て、
「これは何としたことだ。
昔から『生臭坊主は平茸に生れ変る』と言うではないか」
と仰ったとか。
そういうわけで、平茸は、食わないことにしておくべきものであるらしい。
原文
丹波國篠村平茸事
これも今はむかし、丹波國篠村といふところに、年比平茸やるかたもなくおほかりけり。里村のものこれをとりて人にもこゝろざし、またわれもくひなどしてと しごろすぐるほどに、その里にとりてむねとあるものゝゆめに、かしらおつかみ(*頭髪の五六分伸びたもの)なる法師どもの二三十人ばかりいできて、「申べ きこと。」ゝいひければ、「いかなるひとぞ。」ととふに、「この法師ばらはこのとし比も宮づかへよくして候つるが、このさとの縁つきていまはよそへまかり 候なんずることの、かつはあはれに、もしまたことのよしを申さではとおもひて、このよしを申なり。」といふとみて、うちおどろきて、「こはなにごとぞ。」 と妻や子やなどにかたるほどに、またその里の人の夢にもこの定に見えたりとて、あまた同樣にかたれば、心もえでとしもくれぬ。
さて次のとしの九・十月にもなりぬるに、さきざきいでくるほどなれば、山に入て茸をもとむるに、すべて蔬おほかたみえず。「いかなる事にか。」と里國の者 思ひてすぐるほどに、故仲胤僧都とて説法ならびなき人いましけり。この事をきゝて、「こはいかに。『不淨説法する法師平茸にむまる。』といふことのある物 を。」との給ひてけり。
さればいかにもいかにも平茸はくはざらんにことかくまじき物とぞ。
適当訳者の呟き:
仲胤僧都:
ちゅういんそうず。平安末期の高僧で、説法の名人。
容貌は醜かったようで、同じく醜かった興福寺の僧済円と互いをからかい合っていた様子が「今鏡」に描かれている――そうですよ。
平茸:
ヒラタケ科ヒラタケ属の食用きのこ。
ツキヨタケという、よく似た毒きのこがあるようですが、
どうして不浄説法する法師が生まれるのか不明です。
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