今は昔。
天竺に、仏の弟子で、優婆崛多(うばくった)という聖者がいた。
釈迦如来の入滅後、100年ほどして、
この優婆崛多(うばくった)聖者に、とある弟子があった。
さて優婆崛多は、この弟子の、いかなる心ばえをご覧になったのかはともかく、
「女人に近づくことなかれ。女人に近づけば即座に、生死に関わることになるぞ」
と、常に戒めていた。
だが当の弟子は、
「私のどんなところをご覧になって、毎度そんなことを仰せになるのか。
わたくしも悟りを得た身でございますれば、
決して、女に近づくことなどありません」
と口にしていた。
ほかの弟子達も、自分たちの中ではことに貴い兄弟子を、
どうしてあんなふうに仰るのかと、不思議に思っているうち、
この弟子の僧侶が、なにか用事があるというので川を渡った。
この時、ふと出てきた女性が、同じように川を渡り始めたが、
いきなり流れに流されて、
「ああひどい。お助け下さい。そちらのお坊様」
と言う。
弟子は師匠の忠告もあるし、耳に入れまいと思ったが、
女は流れに浮き沈み、流されて行くので、
あわれに思い、近寄って手を取り、引き上げてやった。
その女の手。
実に白くふくやかで、まことに、さわり心地の良いものであったから、
弟子は離すことができず、女が、
「あの、もう手をお離しください」
と、不安な様子で言うのを、弟子の僧侶は、
「これは前世の契りが深いためであろう。
まことにわしは、心の底からあなたを思うようだ。
わしの申すこと、聞き入れてくれ」
そのように言った。
女は、
「今まさに死ぬべき命をお助けいただいたのですから、
どんなことでも、何であろうとお断りいたしません」
と言うので、弟子は嬉しく思い、
萩やすすきの生い茂ったところへ、女の手をとって行き、
「ではこちらへ」
と引き入れた。
そうして押し倒し、今はとにかく犯しまくってやるぞと、
女の股の間へ挟まって、ふと女の顔を見れば、師匠の優婆崛多である。
びっくりして引き下がろうとすれば、
優婆崛多は、弟子を股ぐらでしっかり挟んで、
「何のために、おまえは、この老法師をこんなふうにしたのじゃ。
これでもおまえは、女犯の心の無い、悟りを開いた聖者か」
と言うので、弟子は頭を真っ白にして恥ずかしくなり、
挟まれた状況から何とか逃げようとするが、
師匠はがっちり強く挟んで離そうとしない。
そうして大いに騒いでいると、道行く人が集ってきてこの様子を見るから、
あさましくも恥ずかしいこと、限りないことであった。
このようにして、色々な人に見せたのち、
弟子を開放して寺へ連れて帰ると、師匠は鐘をついて集会を開き、
諸々の僧侶を集めてこのことを語れば、人々は大いに笑った。
弟子の僧侶は生きた心地も、また死んだ心地もしなかったが、
そうして罪を懺悔したため、阿那含果(あなごんか)を得るのだった
優婆崛多は、さまざまな方便を巡らし、
あるいは弟子を騙して、仏道へ導くのである。
原文
優婆崛多の弟子の事
今は昔、天竺に、佛の御弟子優婆崛多といふ聖おはしき。如来滅後百年ばかりありて、其聖に弟子ありき。いかなる心ばへをか見給たりけん、「女人に近づくことなかれ。女人に近づけば、生死にめぐること車輪のごとし」と、つねにいさめ給ければ、弟子の申さく、「いかなる事を御覧じて、たびたび、かやうにうけたまはるぞ。我も證果(しゃうくわ)の身にて侍れば、ゆめ女に近づくことあるべからず」と申。
餘の弟子共も、此中にはことに貴き人を、いかなればかくのたまふらんと、あやしく思けるほどに、この弟子の僧、物へ行とて河をわたりける時、女人出來て、おなじく渡りけるが、たゞ流に流れて、「あらかなし。われをたすけ給へ。あの御坊」といひければ、師ののたまひし事あり。耳に聞入じと思けるが、たゞ流れにうきしづみ流れければ、いとほしくて、よりて手をとりて引わたしつ。手のいと白くふくやかにて、いとよかりければ、この手をはなしえず。女、「今は手をはづし給へかし」、物おそろしきものかなと、思たるけしきにていひければ、僧のいはく、「先世(せんぜ)の契ふかきことやらん。きはめて心ざしふかく思ひ聞ゆ。わが申さんこと、きゝ給ひてんや」といひければ、女こたふ、「たゞいま死ぬべかりつる命を助け給たれば、いかなることなりとも、なにしにかは、いなみ申さん」といひければ、うれしく思て、萩(はぎ)、すゝきのおひ茂りたるところへ、手をとりて、「いざ給へ」とて、引いれつ。
おしふせて、たゞ犯に犯さんとて、股にはさまれてある折、この女を見れば、我師の尊者なり。淺ましく思ひて、ひきのかんとすれば、優婆崛多、股につよくはさみて、「なんの料に、此老法師をば、かくはせたむるぞや。これや汝、女犯の心なき證果の聖者なる」とのたまひければ、物覺ず、はづかしくなりて、はさまれたるを逃れんとすれども、すべて強くはさみてはづさず。さてかくのゝしり給ければ、道行人集りてみる。あさましく、はづかしきこと限なし。
かやうに諸人に見せて後、おき給て、弟子をとらへて寺へおはして、鐘をつき、衆會をなして、大衆にこのよし語り給。人々笑ふ事かぎりなし。弟子の僧、生きたるにもあらず、死たるにもあらずおぼえけり。かくのごとく、罪を懺悔してければ、阿那含果(ごんくわ)をえつ。尊者、方便をめぐらして、弟子をたばかりて、佛道に入しめ給けり。
適当訳者の呟き
こんな師匠は嫌です。
と、いかにも宇治拾遺らしい馬鹿話で、第13巻終了。あと2巻!
優婆崛多:
うばくった。姓は首陀。十五歳にして和修尊者に参ず。十七歳にして出家し、二十二歳にして証果す――とあります。
お釈迦様が亡くなって百年ぐらいした後で、インドの王様、アショカ王を仏教に帰依せしめて、仏教繁栄の基礎をつくったお坊さんです。
とにかくお弟子さんがたくさんいたようで、自分の弟子が悟りを得るたびに、指4本分の長さの矢柄(竹の棒)を、小さな石室の中へ投げ込んで、それで室内を満たしたそうです。そうして亡くなった後は、貯め込んだたくさんの棒を燃料に、遺体を火葬したという伝説があります。
生死にめぐること車輪のごとし:
正直、わかりませんが、覿面にとか、確実に、という意味だというのは、間違いないですね。
「阿弥陀経」の中に、極楽浄土の泥の中に咲く蓮の花は、車輪のようだ、という文句が出てきます。生死に「めぐる」ということで、車輪がぐるんと回るように、因果の法則が確実に適用されるぞ、というニュアンスかもしれません。
阿那含果:
あなごんか。
修行の段階を示す四果の第三の位。欲界の九つの迷いのうち、残っていた三つを断じて、欲界に戻ることのなくなった状態。不還果――らしいです。
ちなみに四果というのは、修行によって得られる悟りの段階を分類したもの、です。
1.聖者の位に入った須陀オン果(しゅだおんか。オンは、さんずいに亘。預流果・よるか)
2.天界と人間界を往復する斯陀含果(しだごんか。一来果・いちらいか)
3.流転することのなくなる阿那含果(あなごんか。不還果・ふげんか)
4.完全な悟りを開く阿羅漢果(あらかんか。無学果・むがくか。Wikipediaには「応供果」とあります)
そういうわけで、「悟りを得た聖者」といっても、第一段階の人が多かったということでしょうね。
[2回]
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