今は昔、甲斐の国の相撲取り、大井光遠は、小柄ながら筋骨太く、
力は強くて足も速く、見目も人柄も、たいへん立派な男であった。
妹に、26-7歳になる女があって、これまた見目も人柄も、化粧具合も良く、
それでいて姿はほっそりしていた。
さてこの妹。
土地の奥まったところに家を構え、住んでいたが、
ここへ、誰かに追われてきたと覚しき男が刀を抜いたまま走り込んで、
妹を人質にとり、その腹へ刀を差し当てて、立て籠ってしまった。
人が走って、兄の光遠に、
「姫君が、人質に取られてしまいました」
そう伝えたところ、光遠は、
「あれは、薩摩隼人の棟梁など以外には、人質にとれるものではないよ」
と、何をするでもなく、そのまま座っているので、
せっかく駆けつけた男は不審に思いつつ、ともかく光遠の妹の家へ立ち戻った。
さて男が物陰から覗いてみれば、
妹は、九月のことだから薄色の衣一重に紅葉の袴をつけたまま、
口を隠して座り込んでいる。
男の方は、大きく恐ろしげで、太刀を逆手に持ち、
妹の腹へ切っ先を押し当てた上に足を押え、後ろから抱え込んでいる。
この妹姫。
左の手は、たしかに、顔を押えて泣いているのだが、
右の手では、かたわらに、作りかけの矢竹が二三十、転がっているのを、
手なぐさみのように、その端をつかんでいた。
そしてその竹を、板敷の床へ押し当ててねじるようにすると、
柔らかく枯れた木でも押し砕くように、
それらの竹が、次々と砕かれて行くのである。
これを、ふと強盗が見て、魂消る思いになった。
評判の、この女の兄が竹を金槌で打ち砕こうとしても、
こんなふうにはなるまい。
何という力だ。
このままでいては、一瞬で自分もひねり砕かれてしまう。
これでは人質をとるのも意味がない、逃げ出さなければと、
人目を窺い、飛び出して逃げたため、
やがて人々が駆けつけ、これを捕えられたのだった。
そうして縛り上げて、光遠のもとへ連れて行った。
光遠が、
「なんと思って逃げたのだ」
と尋ねれば、強盗は、
「大きな矢竹の節を、朽木か何かのように押し砕いてらっしゃるのにびっくりし、
おそろしくなって逃げ出したのでございます」
という。
光遠は打ち笑んで、
「どんなことをしても、妹を刀で突くことなどできないだろう。
おまえが突こうとすれば、あれはおまえの手を取り、
そのまま掻いねじるだろう。そして上向きに突き上げれば、肩の骨が飛び出し、
ねじ切られてしまっただろう。
幸いにも、おまえの腕は引き抜かれなかった。
何か過去の因縁があって、おまえの腕はねじられなかったのだ。
この光遠でさえ、おまえを素手で殺すこともできる。
わしが腕をねじり、腹や胸を踏みつければ、おまえは生きてはいられまい。
そして我が妹の力はそれ以上だ。光遠二人が合わさった力と言える。
あんなに細く、女らしくも見えるが、この光遠がたわむれに押えた折も、
あべこべに腕を押えられ、左右に広げられて、
ようやく勘弁してもらったようなものだ。
これが男子であったら敵すべき相手もいない、口惜しいような女なのだ」
そんな話を聞いて、
盗人はもう死んでしまったような心地になるのだった。
女だと思い、良い人質をとったはずが、それどころではなかった。
「罪状からすればおまえは死刑だ。
が、妹を殺したとでもいうなら殺してやるが、
そもそもおまえは、妹相手に死ぬべきだったところを、幸いにも逃げ延びた。
あれは大きな鹿の角を膝に当てて、小さな細い枯木を折るような相手だぞ」
そんなことを言って、追い払ったのだった。 原文
大井光遠の妹強力の事
今は昔、甲斐国の相撲(すまひ)大井光遠は、ひきふとにいかめしく、力強く、足速く、みめ、ことがらより始めて、いみじかりし相撲なり。それが妹に、年廿六七ばかりなる女の、みめ、ことがら、けはひもよく、姿も細やかなるありけり。それは退きたる家に住みけるに、それが門に、人に追はれたる男の、刀を抜きて走り入りて、この女を質に取りて、腹に刀をさし当てて居ぬ。
人走り行きて、兄人(せうと)の光遠に、「姫君は質に取られ給ひぬ」と告げければ、光遠がいふやう、「その御許は、薩摩の氏長(うぢなが)ばかりこそは、質に取らめ」といひて、何となくて居たれば、告げつる男(をのこ)、怪しと思ひて、立ち帰りて、物より覗けば、九月ばかりの事なれば、薄色の衣一重に、紅葉の袴を着て、口おほひして居たり。男は大なる男の恐ろしげなるが、大の刀を逆手に取りて、腹にさし当てて、足をもて後より抱きて居たり。
この姫君、左の手しては、顔を塞(ふた)ぎて泣く。右の手しては、前に矢箆(やの)の荒作りたるが、二三十ばかりあるを取りて、手ずさみに、節の本を指にて、板敷に押し当ててにじれば、朽木の柔かなるを押し砕くやうに砕くるを、この盗人目をつけて見るにあさましくなりぬ。いみじからん兄人(せうと)の主、金槌をもちて打ち砕くとも、かくはあらじ。ゆゆしかりける力かな。このやうにては、只今のまに我は取り砕かれぬべし。無益(むやく)なり、逃げなんと思ひて、人目をはかりて、飛び出でて逃げ走る時に、末に人ども走りあひて捕へつ。縛りて、光遠がもとへ具して行きぬ。
光遠、「いかに思ひて逃げつるぞ」と問へば、申すやう、「大なる矢箆(やの)の節を、朽木なんどのやうに、押し砕き給ひつるを、あさましと思ひて、恐ろしさに逃げ候ひつるなり」と申せば、光遠うち笑ひて、「いかなりとも、その御許はよも突かれじ。突かんとせん手を取りて、かいねぢて、上(かみ)ざまへ突かば、肩の骨は上ざまへ出でて、ねぢられなまし。かしこくおのれが腕抜かれまし。宿世ありて、御許はねぢざりけるなり。光遠だにも、おれをば手殺しに殺してん。腕をばねぢて、腹、胸を踏まんに、おのれは生きてんや。それにかの御許の力は、光遠二人ばかり合せたる力にておはするものを。さこそ細やかに、女めかしくおはすれども、光遠が手戯れするに、捕へたる腕を捕へられぬれば、手ひろごりてゆるしつべきものを。あはれ男子にてあらましかば、あふ敵(かたき)なくてぞあらまし。口惜しく女にてある」といふを聞くに、この盗人死ぬべき心地す。女と思ひて、いみじき質を取りたると思ひてあれども、その儀はなし。「おれをば殺すべけれども、御許の死ぬべくはこそ殺さめ。おれ死ぬべかりけるに、かしこう疾く逃げて退きたるよ。大なる鹿の角を膝に当てて、小さき枯木の、細きなんどを折るやうにあるものを」とて、追ひ放ちてやりけり。 適当役者の呟き:妹萌えですね。
原文、兄たる光遠が、妹へ敬語を使って説明していますので、上記の適当訳は幾らかおかしいかもしれません。たとえば母が異なるとかの事情で、身分が違うせいかもしれませんが、不明です。
大井光遠:おおいみつとお。今昔物語にも、同じ話が登場していますが、誰なのかは不明です。
ちなみに大井は、旧中巨摩郡の地名で、今は珍名で名高い、山梨県の南アルプス市です。
ついでに言うと、武田信玄のお母さんが、大井氏なので、信玄公に、怪力無双の血が流れてた可能性もありますね。
薩摩の氏長:さつまのうじなが。人名ではなく、「剽悍無比な、薩摩隼人の族長」くらいの意味だと思われます。薩摩隼人は化物のように強いと怖れられていたのです。
矢箆:やの。矢柄(やがら)。矢の幹。羽根と鏃を除いた、まっすぐな棒きれ部分。三本束ねると、もう折れません。
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