今は昔、もろこしの辺境に、一人の男がいた。
家貧しく、家宝というようなものもない。
妻子を養う能力にも欠けて、職を求めても何も得られず、数年が経ってしまった。
困り切ったあげく、僧侶に会って、宝を得る方法を尋ねた。
さて、この僧侶は智慧のある僧侶で、
答えるには、
「汝がもし宝を得ようと思うなら、ただまことの心を起こしなさい。
そうすれば豊かに宝も得られ、後の世には良いところへ生れ替るであろう」
と言った。
「まことの心とは、どういうものですか」
尋ねると、僧は、
「まことの心を起こすというのは、他でもない。仏法を信ずることだ」
と言う。
また尋ねて、
「それはどういうことですか。もし本当なら、そのこと確かに承知しまして、
まことの心を得て、仏法を頼みに思い、余念なく信じて頼みにいたします。
詳しくお聞かせ下さい」
僧は、
「おのれの心は、仏である。おのれの心を離れては、仏はありえぬ。
すなわちおのれの心のゆえに、仏はいらっしゃるのだ」
男は手を摺り合わせ、泣く泣く仏像を拝み上げると、
それからこのことを心に念じて、夜昼なく念じ続けるようになった。
すると、梵天、帝釈天などの諸天が来訪し、守護するようになるので、
やがて思わぬところから宝を得て、家の中も豊かになった。
その後、命が尽きるときにもいよいよ心に仏を念じたため、
男はすみやかに浄土へ生まれることができた。
そしてこのことを見聞きした者は、ありがたく感じたということである。
原文
貧俗観佛性富事
今 は昔、もろこしの辺州(へんしう)に一人の男あり。家貧しくして、たからなし。妻子を養ふに力なし。もとむれども、得ることなし。かくて歳月を經。思わびて、僧にあひて、寶を得べき事を問ふ。智恵ある僧にて、こたふるやう、「汝寶をえんと思はば、ただ、まことの心をお こすべし、さらば、寶もゆたかに、後世はよき所に生れなん」といふ。この人「寔の心とはいかが」と問えば、僧の云、「誠の心をおこすといふは、他のことに あらず。佛法を信ずる也」といふに、又問ひて云、「それはいかに。たしかにうけ給はりて、心をえて、たのみ思て、二なく信をなし、たのみ申さん。 うけたまはるべし」といへば、僧のいはく、「我心はこれ佛也。我心をはなれては佛なしと。然ば我心の故に、佛はいますなり」といへば、手をすりて、なくな くおがみて、それより此ことを心にかけて、よるひる思ければ、梵繹諸天、きたりてまもり給ければ、はからざるに寶出きて、家の内ゆたかになりぬ。命終るに、いよいよ心、佛を念じ入りて、浄土にすみやかに参りてけり。このことを聞見る人、貴みはれみけるとなん。
適当訳者の呟き:
こう言うとひどいですが、新興宗教の勧誘漫画みたいですね。
貧俗
まずしきぞく。貧乏な俗人。
[3回]
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