今は昔。
お題の言葉を歌に詠む込むという「隠し題」を、たいへん好まれた帝がいた。
あるとき、雅楽の笛「ひちりき」について、隠し題にしてみなに詠ませたところ、
どれも出来のひどいものになった。
そんな中、木樵の童子が、明け方に山へ行く途中、
「この頃、ひちりき、をお題にして歌を詠ませているけど、
誰も詠むことがお出来にならないと聞いた。このわたしなら、詠めるのに」
と言うので、一緒に行く木樵仲間の童子が、
「なんだ、馬鹿馬鹿しい。そんなこと言うものじゃない。
おまえなんか、そういう歌を詠むような外見か。忌々しい奴め」
などと言われるので、
「何で、歌を詠むのと、外見が関係あるのか」
と言って、
めぐりくる春々ごとに桜花 いくたびちりき人にとはばや
――めぐりくる春の春ごとに、桜の花が幾度散ったか人に問うてみたい
と詠んだとか。
外見にも似ず、思いも掛けぬことである。
原文
木こり小童隠題歌の事
今は昔、かくし題をいみじく興ぜさせ給ける御門の、ひちりきをよませられけるに、人々わろくよみたりたりけるに、木こる童の、暁、山へ行くとていひける。「此比ひちりきをよまさせ給なるを、人のえよみ給はざなる、童こそよみたれ」といひければ、具して行童部「あな、おほけな。かゝる事な云そ。さまにも似ず、いまいまし」といひければ、「などか、必さまに似る事か」とて
めぐりくる春々ごとに桜花いくたびちりき人にとはばや
と云たりける。様にもにず、思かけずぞ。
適当訳者の呟き
ふむふむ。
この歌は、古今集とかには出ず、宇治拾遺にのみ出てくる模様です。
隠題:
かくしだい。訳文の中に織り込んでしまいましたが、お題の名詞を歌に詠む込むというものです。
隠し題「ひちりき」で童子が詠んだのは、
めぐりくる春々ごとに桜花 いくた
びちりき人にとはばや
ほかの例としては、千載和歌集に出てくる、「きりぎりす」を隠し題にした、
秋は
霧霧すぎぬれば雪降りて晴るるまもなき深山辺の里
ひちりき。
篳篥。雅楽の短い縦笛で、ぷーわわーんと鳴って、主旋律を奏でます。東儀秀樹さんが得意にしてるやつです。
[10回]
PR