内記上人、寂心という人がいた。
道心堅固の人である。
この上人があるとき、
「御堂を造り、塔を立てることが最上の善根である」
と思い立ち、人々の間で勧進するようになった。
そうして上人が、播磨国で材木を集め終えた折のこと。
この地に住む、とある法師が、陰陽師のつける紙冠を着用して、
お祓いごとをしているのを目撃したため、上人はあわてて馬から下り、
「御坊は、何をしているのか」
と駆け寄り、尋ねた。
「お祓いをしておりますが」
と答えるので、
「なぜ紙冠などを付けているのか」
「お祓いをする神々は法師を嫌いますので、
お祓いする間、こうして紙冠を付けているのです」
この答えを聞くなり、内記上人は大声あげて泣き出し、
法師の陰陽師にくってかかった。
陰陽師は意味も分らず仰天し、祓いを途中でやめて、
「これはどうしたのですか」
同席の、お祓いを依頼した人々もあきれ果てているうち、
上人は、陰陽師の紙冠を破り捨て、限りなく泣きながら、
「何を承知で、御坊は仏弟子となったのか。
祓い戸の神々が僧侶を憎むからと言いながら、如来の忌まれることを犯し、
わずかの間とはいえ無間地獄へ落ちるような業を作るとは。
何と哀しきことではないか。さあ、今はただ、この寂心を殺せ!」
と、取りすがって泣きじゃくった。
陰陽師の僧侶は、
「仰せのことは、もっとも道理ですが、
世を過しかねて、このような真似をしているのです。
こうでもしなければ、どうして妻子を養い、我が命をつなげましょう。
道心が乏しければ上人にも出世できず、法師の形はしておりますが、
俗人と変らぬ日々を過すゆえ、確かに、後世のことはどうなるかと哀しく思いますが、
結局のところは、世間の習いに従い、このようにしているのです」
と言うのだった。
上人は、
「それはそうであろうが、どうして三世の如来ともなる者が、頭に冠などを付けるのか。
貧しさ、不幸に耐えられずにこのような真似をするのであれば、
堂を造るためにと勧進し、集めたものを汝へ与えよう。
一人の菩提を励ましたのであれば、堂寺を建てるのに勝った功徳になるはず」
と、弟子たちを遣わせて、勧進して集めたものをすべて運び寄せて、
材木をこの陰陽師へ与えたのだった。
そうして、上人は都へ帰っていった。
原文
内記上人法師陰陽師の紙冠を破る事
内記上人(ないきしやうにん)寂心といふ人ありけり。道心堅固の人なり。「堂を造り、塔を立つる、最上の善根なり」とて、勘進せられけり。材木をば、播磨国に行きて取られけり。ここに法師陰陽師師冠(しくわん)を着て、祓するを見つけて、あわてて馬よりおりて、馳せ寄りて、「何わざし給ふ御坊ぞ」と問へば、「祓し候なり」といふ。「何しに紙冠をばしたるぞ」と問へば、「祓戸(はらひど)の神達は、法師をば忌み給へば、祓する程、暫くして侍るなり」といふに、上人声をあげて大に泣きて、陰陽師に取りかかれば、陰陽師心得ず仰天して、祓をしさして、「これはいかに」といふ。祓せさせる人も。あきれて居たり。上人冠を取りて引き破りて、泣き事限りなし。「いかに知りて、御坊は仏弟子となりて、祓戸の神達憎み給ふといひて、如来の忌み給ふ事を破りて、暫しも無間地獄の業をば作り給ふぞ。まことに悲しき事なり。ただ寂心を殺せ」といひて、取りつきて泣く事おびただし。陰陽師の曰く、「仰せらるる事、もとも道理なり。世の過ぎ難ければ、さりとてはとて、かくのごとく仕るなり。然らずは、何わざをしてかは、妻子をば養ひ、我が命をも続き侍らん。道心なければ、上人にもならず、法師の形に侍れど、俗人のごとくなれば、後世の事いかがと悲しく侍れど、世の習にて侍れば、かやうに侍るなり」といふ。上人のいふやう、「それはさもあれ、いかが三世如来の御首に冠をば著給ふ。不幸の堪へずして、かやうの事し給はば、堂造らん料に勘進し集めたる物どもを、汝になん賜ぶ。一人菩提に勘むれば、堂寺造るに勝れたる功徳なり」といひて、弟子どもを遣はして、材木取らんとて、勘進し集めたる物を、みな運び寄せて、この陰陽師に取らせつ。さて我が身は京に上り給ひにけり。
適当役者の呟き:
めでたし、めでたし……なのか???
内記上人寂心:
ないきしょうにん・じゃくしん。慶滋保胤、よししげのやすたね。
平安時代中期の文人・儒学者で、藤原道長へ戒を授けたことがあるほどの人物。
「日本往生極楽記」などが有名。この書物は、あれこれの人の極楽往生の模様を描いた最古の往生期として、日本史センター試験などに登場する気がします。
父親は、賀茂忠行。陰陽師一家に生まれてまして、兄・賀茂保憲は、安倍晴明の師匠とも言われています。
「慶滋」というのは、そういう名字があるのではなく、兄に遠慮して、「賀茂」の「賀」字の代わりに「慶」、「茂」のかわりに「滋」を持って来て名乗っていたらしいので、「慶滋」を「かも」と呼んでいたのかもしれません。
そういうわけで、陰陽道の達人であり、儒学を究めた後で仏門へ入ったのですから、中途半端な「法師陰陽師」などは許しておけなかったのだと思われます。
紙冠:
しかん。かみかぶり。紙烏帽子。
陰陽師などが、祈祷のときに頭へつけるもの。中世以降は死者につけるようになったとか。
今でもネタ的に幽霊が付けてたりする、白い、三角形のやつだと思われます。
祓戸:
はらえど。お祓いをする場所。
三世如来:
ざっくり言うと、阿弥陀仏・釈迦仏・弥勒仏の三仏。違うかも知れませんが。
ちなみに:
仏と神は仲が悪い、というのは、聖徳太子の昔から言われていることです。蘇我氏と物部氏の対立。
伊勢神宮などでは、僧侶たちが近づけないので特別な「僧尼拝所」というのがあったそうです。
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