昔、天竺に寺があった。
最も多くの住み込み僧がいるところで、あるとき、達磨和尚がここへやって来た。
和尚が、僧侶たちの修行の様子を見て行くうち、
ある坊舎では念仏し、読経してさまざまな修行をしている。
と、別の坊舎を見れば、八十、九十になろうという老僧が二人きりで、囲碁を打っている。
仏像もないし、経典もない。囲碁を打つほかは、何もしていない。
達磨和尚、坊舎を出て別の僧侶へ尋ねると、
「あの老僧二人なら、若いころから囲碁のほかは何も行わず、
彼らの口からは、仏法の名さえ聞いたことがないようなもので、
そのため寺僧は二人を憎み、卑しんで、交わることはありません。
二人はただ、僧の供物を受けるばかりの、外道のごとき存在ですよ」
というようなことを答えた。
達磨和尚、これを聞くと、さだめし事情があるはずであろうと、
老僧の傍らへ行き、囲碁をうつさまを見守ると、
一人は立ちながら打ち、また一人は座っている――と見ているうちに、忽然と消えた。
これは、と不思議に思っていると、立っている方が帰ってくる、と思えば、
今度は座っている方が消え失せる、と見ればまた現れた。
なるほど、そういうわけかと納得すると、達磨和尚は、
「囲碁のほか、他事なしと承りましたが、証果に達した上人とお見受けしました。
わけをお話しくださいませんか」
そう尋ねた。
すると、囲碁の老僧が答えるには、
「長年、これよりほかのことはありませぬ。
とはいえ、黒が勝ときは我が煩悩が勝つのだと哀しく、
白が勝てば菩提の勝ちだとして悦んでおります。
打つに従い、煩悩の黒を失い、菩提の白が勝利を収めることを思うておりまして、
この功徳により、証果の身になったものでございましょう」
とのことであった。
達磨和尚は坊舎から出て、この旨ほかの僧侶に語ったところ、
長年この老僧を憎み、卑しんでいた人々は後悔し、一様に尊ぶようになったとのことである。
原文
達磨天竺僧の行見る事
昔、天竺に一寺あり。住僧もっつともおほし。達磨和尚、この寺に入て、僧どもの行をうかゞひ見給ふに、或坊には念佛し、經をよみ、さまざまに行ふ。ある坊をみ給に、八九十ばかりなる老僧の、只二人ゐて囲碁を打。佛もなく、經もみえず。たゞ囲碁を打ほかは、他事なし。達磨、件坊を出て、他の僧に問に、答云、「此老僧二人、若きより囲碁の外はすることなし。すべて佛法の名をだに聞かず。よつて寺僧、にくみいやしみて、交曾(けうくはい)する事なし。むなしく僧供(そうぐ)を受。外道のごとく思へり」と云々。
和尚これを聞きて、定めて様あらんと思て、此老僧が傍にゐて、囲碁うつあり様を見れば、一人は立り、一人は居りとみるに、忽然として失ぬ。あやしく思程に、立る僧は歸ゐたりとみる程に、又ゐたる僧うせぬ。見れば又出きぬ。さればこそと思て、「囲碁の外、他事なしと承るに、證果(しょうくわ)の上人にこそおはしけれ。其故を問奉らん」と宣に、老僧答云、「年來、此事より外、他事なし。たゞし、黒勝ときは、我煩悩勝ぬとかなしみ、白勝は、菩提勝ぬと怡(よろこぶ)。打に隨て、煩悩の黒を失ひ、菩提の白の勝ん事を思ふ。此功徳によりて證果の身となり侍也」と云。
和尚、坊を出て、他僧に語給ひければ、年來、にくみいやしみつる人々、後悔して、みな貴みけりとなん。
適当訳者の呟き:
順番まちがえてました。第12巻の開始です!
これは、一人二役で囲碁を打ってたという話ですね。
達磨さん:
禅宗開祖。もともとはインド人。南インド・パッラヴァ朝国王の第三王子として生まれ、5世紀後半に中国・宋へやって来て活躍。。とあります。壁に向ってるだけじゃなかったのですね。
證果:
しょうか。証果。修行の成果として得られる悟り。
囲碁の黒と白:
囲碁は黒が先手で、先手が有利とされているので、基本的には、白(菩提)が勝つ方が難しいです。
[4回]
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