今は昔、円融天皇の御時。
内裏が火災に遭ったため、帝は仮の後院に滞在されていた。
ある日、大勢の殿上人が食卓へひしめき合うようにして、食事をしていたとき、
蔵人の貞高が、ふと食卓に額を当てて眠りこけて、いびきをかいた。
しかも割と長い時間そうしているから、みなが不思議に思っているうち、
食卓へ額を当てたまま、喉を、くつくつと鳴らしたので、
その当時は頭中将であった小野宮大臣が、部下の主殿司へ、
「式部丞の寝方は心得ぬ。それ、起こしてみよ」
と命じた。
主殿司が近寄って起こすと、なるほど蔵人は、体を硬直させたまま動かない。
怪しく思い、のぞき込むと、
「すでに死んでいます。何ということ」
と言うのを聞くや、あらゆる殿上人、蔵人、何が何だか分らず、おそろしくなって、
たちまち、それぞれが向いていた方へと駆け出す始末。
頭中将が、
「とはいえ、このままにしておくことはできぬ。役所の下役を呼び、運び出せ」
と指示すれば、
「どの陣、どの出口から出せばよろしいですか」
との質問。
「東の陣から出せば良い」
と答えるのを聞いて、屋敷中の人が、運び出されるのを見ようと東の陣へ集ったが、
実際はそうでなく、西の陣から、殿上の畳ごと運び出されたから、
人々は、運び出されるさまを見ることは、できなかった。
そうして亡骸は、陣の口に迎えに来ていた、父親の三位が運び去る。
「上手に、人に見せずに済ませたものだ」
と、人々は噂した。
そうして、二十日ばかり後。
頭中将の夢に、貞高が、在りし日の姿のまま、大いに泣きながら現れた。
近寄って来て、語りかけるのを聞けば、
「まことに嬉しく存じました。
あなたがわたしの死に恥を隠してくださったこと、来世でも決して忘れませぬ。
ご配慮によって西から出してもらえなければ、多くの人に死に顔を見られ、
死の恥を被ることになったでしょう」
と、泣く泣く、手を摺り合わせて喜んだと、
頭中将は、そんな夢を見たそうである。
原文
蔵人頓死事
今は昔、円融院の御時、内裏焼けにければ、後院(こうゐん)になんおはしましける。殿上の台盤に人々あたま着きて、物食ひけるに、蔵人貞高(さだたか)台盤に額を当てて、ねぶり入りて、いびきをするなめりと思ふに、やや暫しになれば、怪しと思ふ程に、台盤に額を当てて、喉をくつくつと、くつめくやうに鳴せば、小野宮大臣殿、いまだ頭中将にておはしけるが、主殿司(とのもりづかさ)に、「その式部丞の寝様こそ心得ね。それ起せ」とのたまひければ、主殿司寄りて起すに、すくみたるやうにて動かず。怪しさにかい探りて、「はや死に給ひにたり。いみじきわざかな」といふを聞きて、ありとある殿上人、蔵人物も覚えず、物恐ろしかりければ、やがて向きたる方ざまに、みな走り散る。
頭中将、「さりとてあるべき事ならず。これ、諸司の下部召してかき出でよ」と行ひ給ふ。「いづ方の陣よりか出すべき」と申せば、「東の陣より出すべきなり」とのたまふを聞きて、内の人ある限、東の陣にかく出で行くを見んとて、つどひ集りたる程に、違へて、西の陣より、殿上の畳ながらき出でて出でぬれば、人々も見ずなりぬ。陣の口かき出づる程に、父の三位来て、迎えへ去りぬ。「かしこく、人々に見あはずなりぬるものかな」となん人々いひける。
さて甘日ばかりありて、頭中将の夢に、ありしやうにて、いみじう泣きて、寄りて物をいふ。聞けば、「いと嬉しく、おのれが死の恥を隠させ給ひたる事は、世々に忘れ申すまじ。はかりごちて、西より出させ給はざらましかば、多くの人に面をこそは見えて、死の恥にて候はましか」とて、泣く泣く手を摺りて悦ぶとなん、夢に見えりるける。
適当役者の呟き:
そりゃ昔でも、突然死はありますね。
貞高の頓死:
貞高さんは、藤原北家の祖、房前の五男・魚名の系統。
この話は、日本史的にも確認できまして、小右記などに、「天元余年九月四日、蔵人(式部丞藤原)貞孝、於殿上頓死事」と出ているようです。
981年。前の年に、暴風で羅生門が倒れました。
時代的には、摂関家としてほぼ他氏を圧倒した藤原氏が、一族の中で権力争いをしているころです。
頭中将(小野宮大臣):
藤原実資。藤原北家の嫡流ですが、道長に至る分流・九条家に摂関職を奪われてしました。とはいえ、この物語に描かれるように、北家の嫡流として名望高かった模様。
ちなみに:
有職故実的には、人が死んだ席に同席するだけで、穢れに触れるということで、良くないことのようですが、屋敷中の人間が、その死体を見物しようと出口に群がってますね。
なお、貞高さんの頓死は、後々まで有名だったようで、平安時代、宮中などで急に人が死んだりした時の前例になった模様です。
円融院:
円融天皇。藤原氏内部の権力争いに巻き込まれて苦労が絶えなかった模様。とくに藤原兼家と仲が悪かったようです。
後院:
こういん。でもYahoo辞書には「ごいん」と出ます。上皇になったときの御所、というような意味。仙洞。
なにせ円融天皇は、藤原兼家がお嫌いだったので、仙洞御所も、兼家のライバル・兼通が使っていた屋敷にされたと模様。
台盤:
だいばん。食器や食物をのせる台。お膳。
陣:
じん。この場合は、出口だと思われます。
陣=衛兵の詰所=衛兵が守るのは出口付近、この辺の解釈でよろしいかと思いますが、違うかもしれません。
くつめく:
のどがくつくつと鳴るさま、と出ます。でも「くつくつと、くつめくように」と書いているので、ちょっと日本語的に不審です。
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