これも今は昔。
放鷹楽という音曲は、明暹という高僧がただ一人、習い伝えていた。
さて白河法皇が、明後日には嵯峨野へ鷹狩りに出かけられるという時のこと。
明暹は、興福寺三面の僧坊にいたが、
「今夜は門を閉ざしてはならぬぞ。誰か訪れる人があるだろうから」
と言って待っていると、果たして、そのとおりに入ってくる者がある。
誰だと問えば、
「是季にござります」
という。
「放鷹楽を習いに来たのか」
と尋ねると、
「そのとおりです」
と答える。
そうして中に招き入れ、例の音曲を伝授したのだという。
原文
放鷹楽明暹に是季が習ふ事
これも今は昔、放鷹楽といふ楽(がく)を、明暹已講(いこう)ただ一人、習ひ伝へたりけり。白河院野行幸明後日といひけるに、山階寺(やましなでら)の三面の僧坊にありけるが、「今宵は門なさしそ。尋ぬる人あらんものか」といひて待ちけるが、案のごとく、入り来たる人あり。これを問ふに、「是季なり」といふ。「放鷹楽習ひにか」といひければ、「然なり」と答ふ。則ち坊中に入れて、件の楽を伝へけり。
適当訳者の呟き
これだけじゃ、何だかよく分かりませんね。
放鷹楽:
雅楽の一つで、今では廃絶してしまっている模様。鷹狩りの様子や、鷹の卵が持ち去られた場面とか、そうい音楽だったようです。検索したら、有名な東儀秀樹という人が再興したとありました。
明暹已講:
めいせん・いこう。已講というのは、僧侶の位。「南都三会の講師を勤めあげた僧」とか。ある程度学識のある、立派な僧侶ですね。
明暹、めいせんは、藤原氏の出で、興福寺の僧侶。院政全盛期の、有名な雅楽家。
野行幸:
単なるハイキングではなく、天皇さまによる公式な狩猟のこと。平安時代の野行幸は基本的に鷹狩りなので「放鷹楽」が関係しているのだと思われます。
この野行幸は、桓武天皇から醍醐天皇まで、平安初期には朝廷行事の一つとして割と頻繁に行われて、歌の題材にもなっていましたが、その後中断。
これを、白河天皇(法皇)が復興されたというので、当時、大きな話題になったのだと思われます。
承保3年(1076年)10月24日、嵯峨野へ。
白河法皇の後でまた途絶えますが、鎌倉幕府をやっつけようと血の気の多い、後鳥羽上皇が復活されます。
というわけで何となく、野行幸には、権力誇示というか、周辺豪族を威圧しようという、古代の雰囲気が見られますね。
山階寺:
興福寺のこと。むかしは、山階にあったのです。
是季:
これすえ。大神惟季(おおがのこれすえ)。
こちらも有名な雅楽家で、「楽家録」という本には、惟季さんは、明暹からではなく、明暹の師匠である円憲から、放鷹楽を習ったと書いてあるみたいです(筋は同じ)。
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