昔、陽成院が帝の位にあられた時のこと。
滝口武士の道則は、宣旨を賜って陸奥へ下向する途中、
信濃国ヒクニというところに滞在した。
郡司の屋敷に宿をとり、そこで歓待を受けたが、
夜になると郡司は郎党を引き連れ、出かけてしまった。
残された道則は、何となく寝られず、ふと起き出して辺りを歩いてみると、
屏風を立てた内側に、美しく畳を敷いた一間があった。
火を灯されていて、万事、きちんと整えられて見えた上、
ほのかに、焚き物が匂ってくる。
道則は、心ひかれる思いになって、よくよくのぞき見ると、
中には一人、二十七才ばかりになる女がいた。
一人で伏している姿かたちはたいへん美しく、
明りも几帳の外へ灯してあるから、あざやかに見える。
このとき、道則は、
「親切にもてなしてくれた郡司の妻であれば、やましい思いで迫っては申し訳ないが、
しかし、あれだけの容姿を見て、何も思わないでいられるわけがない」
と、密かに這い寄り、傍らへ同じように伏すと、
女は小憎らしくも驚かず、口に手を当てて笑いつつ、伏したままであった。
この態度に、道則は、言葉にならないほどに嬉しくなった。
九月十日頃のことだから衣も多く着てはおらず、
男も女も、一重もの着ている状態だったから、焚き物の香ばしさは限りなく、
やがて道則が自分の着物を脱ぎ、女の着物のうちへ入ろうとすれば、
女はわずかに抵抗するようにも見えたが、それほど拒むようでもなく、
道則を、懐の内へ招き入れたのである。
と、ここで道則は、何となく自分の男の物が、かゆいような気がしたから、
股ぐらを手で探ってみたところ、肝心の物が、無い。
びっくりして、よくよく探してみても、あごの髭を触るようなもので、
大切な物が、跡形もなく、消えているのである。
魂消る思いになって女を見れば、この時の魅力もまたすさまじいものであった。
道則が股ぐらを探して、怪しみ惑う様を、頬笑みつつ、眺めているのである。
道則は、いよいよ心得ず、静かに起き上がる自分の寝所へ戻り、
そこで改めて股ぐらを探してみるが、やっぱり無い。
途方に暮れた挙句、道則は側で使っている郎党を呼び、
こんなことがあった――とは言わずに、
「奥にすばらしい女がいる。わしも行って来たところであるぞ」
と言うと、喜んでこの郎党も夜這いして行ったが、
しばらくして、世にもあわれな顔をして戻ってきた。
道則は、こいつも同じ目に遭ったのだなと思い、
さらに別の郎党をそそのかしたところ、
これも同じように空を仰ぎ、まったく腑に落ちぬ顔をして戻って来る有様。
で、こんなふうにして、七八人の郎党を行かせれば、
みな同じ顔になって戻ってくるのである。
そのうちに夜が明けて、道則が思うには、
「昨夜、郡司がねんごろにもてなしてくれたのは嬉しいことであったが、
このように心得ぬ、浅ましいことが起きたとなれば、さっさと出立するしかない」
と、未だ日も昇りきらぬうちに、急いで出かけると、
七八町も行くうちに、後ろから、道則を呼びながら、馬を走らせて来る者がある。
何かを高く掲げながら駆けてくるので、馬を止めて待っていると、
昨夜の宿へ勤めていた郎党だ。
「どうしたのだ」
と尋ねると、
「こちら、郡司から皆様へ差し上げるべき物でございます。
どうしてこれらを捨てて行ってしまわれるのか。
定められたとおりに歓待しましたのに、急にお立ちになるばかりか、
こちらの物を落として行かれてるので、とにかく拾い集めてお持ちした次第です」
と言うので、
「つまり何だ」
と取り上げて見ると、松茸を包んだようなものが九つある。
あきれ果てた顔の道則の脇で、八人の郎党も同じように怪しみ見れば、
それは確かに九つの、一物である。
と、それが一度にさっと消え失せた。
やがて使いの者は馬を走らせて立ち去ったが、
その時になって、道則をはじめ、一同が全員そろって、
「ある、あるぞ」
と言うのであった。
(つづき)
原文
滝口道則、習術事
昔、陽成院位にておはしましける時、滝口道則、宣旨を承て陸奥へ下る間、信濃国ヒクニといふ所に宿りぬ。群の司に宿をとれり。まうけしてもてなして後、あるじに郡司は郎等引具して出ぬ。
いも寝られざりければ、やはらに起きてたゞずみ歩くに、見れば、屏風を立てまはして、畳など清げに敷き、火ともして、よろづ目安きやうにしつらひたり。空(そら)だき物するやらんと、かうばしき香しけり。いよいよ心にくゝおぼえて、よくのぞきて見れば、年廿七ばかりなる女一人ありけり。見めことがら、姿有様、ことにいみじかりけるが、たゞ一人臥したり。火は几帳の外にともしてあれば、明くあり。さて、この道則思ふやう、「よによにねんごろにもてなして、心ざし有りつる郡司の妻を、うしろめたなき心つかはん事、いとをしけれど、この人の有様を見るにたゞあらむことかなはじ」と思ひて、寄りてかたわらに臥に、女、けにくゝも驚かず、口おほひをして、笑ひ臥したり。いはんかたなくうれしく覚ければ、長月十日此なれば衣もあまた着ず、一かさねばかり男も女も着たり。かうばしき事限なし。我きぬをばぬぎて女の懐に入に、しばし引ふたぐやうにしけれども、あながちにけくからず、懐に入ぬ。男の前のかゆきやうなりければ、さぐりてみるに物なし。おどろきあやしみてよくよくさぐれども、頤(おとがひ)のひげをさぐるやうにて、すべてあとかたなし。大きに驚きて、此女のめでたげなるも忘られぬ。この男の、さぐりてあやしみくるめくに、女すこしほゝ笑みて有ければ、いよいよ心得ずおぼえて、やはら起きて、わが寝所へ帰てさぐるに、さらになし。あさましく成て、近くつかふ郎等をよびよせて、かゝるとはいはで、「ここにめでたき女あり。我も行たりつる也」といへば、悦て、此男いぬれば、しばしありて、よによにあさましげにて此男とこ出で来たれば、是もさるなめりと思て、又異(こと)男をすゝめてやりつ。是も又しばしありて出来ぬ。空をあふぎて、よに心得ぬけしきにて帰てけり。かくのごとく七八人まで郎等をやるに、同じ気色に見ゆ。
かくするほどに、夜も明ぬれば、道則思ふやう、「宵にあるじのいみじうもてなしつるを、うれしと思つれども、かく心得ず浅ましき事のあれば、とく出でん」と思て、いまだ明果てざるに急て出れば、七八町行程に、うしろより呼ばひて馬を馳て来る物あり。はしりつきて、白き紙に包みたる物をさしあげて持て来。馬を引へて待てば、ありつる宿にかよひしつる郎等也。「これは何ぞ」と問へば、「此郡司の参らせよと候物にて候。かゝる物をば、いかで捨てておはし候ぞ。かたのごとく御まうけして候へども、御いそぎに、これをさへ落させ給てけり。されば、拾い集めて参らせ候」といへば、「いで、何ぞ」とて取て見れば、松茸を包み集めたるやうにてある物九あり。あさましくおぼえて、八人の朗等共もあやしみをなして見るに、まことに九の物あり。一度にさつと失せぬ。さて、使はやがて馬を馳て帰ぬ。そのおり、我身よりはじめて郎等共、皆「ありあり」といひけり。
適当訳者の呟き
第九巻開始。あたくしの好きな宇治拾遺が帰ってきた感じです。
つづきます!
滝口道則:
滝口の武士である、道則さん。滝口というのは、御所の警備兵が詰めていた場所。
信濃国ひくに:
不明。地理的には、街道の近くだとは思うのですけど。
[4回]
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