これも今は昔。
敏行という歌詠みは、書に巧みであったから、あれこれ頼まれるままに、
法華経を二百部ほども書いていたが、
そうこうしているうちに、あるとき、にわかに死んだ。
自分が死ぬとも思わぬ先に、いきなり獄卒に絡め取られ、引き立てられるから、
この自分ほどの者を――朝廷とてこんな真似をするものか、心得ぬ奴めと、
捕縛人に、
「これは如何なることか。いったい何の罪科があって、わしがこんな目に遭うのだ」
と聞けば、
「さ、わたくしは存じません。
『たしかに召し連れて来い』と仰せを受けて、あなたを連れて行くのです。
ところであなたは、法華経を書き写したことはありますか」
と問われるので、
「さまざま書いておる」
と答えた。
「自分のためには、どれほど書きましたか」
「自分のためというわけではないが、
人から頼まれるまま、二百部ばかり書いたと記憶している」
と、はっきり答えたところ、
「ではそのことで何か訴えがあったようで、沙汰があると存じますよ」
と、そんなことを伝えて、
獄卒は、あとは余計なことを言わずに連れて行くのだった。
やがて、こんなところ、と思うような、
決して人が在るべき場所ではないところで、二百人ばかりの群衆に行き会った。
恐ろしい、と言うも愚かなほどの連中は、
目は雷光のように閃き、口は炎などのように恐ろしい風体をしており、
戦争の鎧兜を身につけ、馬に乗って行くのである。
そんな連中を見るにつけ、敏行は肝がつぶれ、卒倒しそうな思いになって、
獄卒に連れられるまま、ぼんやりと、ただ引き立てられて行くのだった。
やがて、その軍隊は先に去ったから、敏行は獄卒に、
「今のは、何の軍隊だったのですか」
と尋ねたところ、
「なに、知らぬとな。
汝に法華経を書かせた者たちの、その功徳によって天にも生れ変るとか、
現世へ立派な身上として生れ変るべきところ、
汝が法華経を書くに当って魚を食い、女人に触れて、身を清浄に保つことをせず、
しかも心を女のもとへ置いたまま書き上げたために、法華経の功徳が全うせず、
あのような武人の姿として生まれた者たちではないか。
ゆえに汝を恨めしく思い、
『奴を呼び立てろ。仇を報いろ』
と訴え出たため、普通であれば、汝は召し連れるべきではないが、
斯様に召し立てておる次第であるぞ」
と答えるから、敏行は、身を切られたように心が凍り付き、
もはや死んだような心地となった。
「彼らは、わたくしをどうしようと欲して、そのように訴えたのでしょう」
と尋ねれば、
「愚かなことを問うものだ。
二百人が銘々に持った太刀、刀の類で、まずは汝の体を二百に切り、
各自が一切れずつ取るであろう。
その二百の切れには汝の心もまた分割されて、心を持つから、
それぞれに苛まれるがまま、汝は悲しくも凄まじい目を見ることとなる。
それの耐え難いことは、まず喩えようはないな」
「では、では、そのことをいかにして免れることが、助かることができますか」
と尋ねたが、
「我の想像の外だな。まして助ける力などあるものか」
そう言われて、敏行はもはや歩いている心地さえしなかった。
(つづき)
原文
敏行朝臣の事
これも今は昔、敏行という歌よみは、手をよく書きければ、これかれがいふに従ひて、法華経を二百部ばかり書き奉りたりけり。かかるほどに、にはかに死にに けり。我は死ぬるぞとも思はぬに、にはかにからめて引き張りて率て行けば、我ばかりの人を、おほやけと申すとも、かくせさせ給ふべきか、心得ぬわざかなと思ひて、からめていく人に、「これはいかなる事ぞ。何事の過ちにより、かくばかりの目をば見るぞ」と問へば、「いさ、我は知らず。『たしかに召して来』と仰せを承りて、率て参るなり。そこは法華経や書き奉りたる」と問へば、「しかじか書き奉りたり」と言へば、「我がためにはいくらか書きたる」と問へば、 「我がためとも侍らず。ただ、人の書かすれば、二百部ばかり書きたるらんと覚ゆる」と言へば、「その事の愁へ出で来て、沙汰のあらんずるにこそあめれ」と ばかり言ひて、また異事もいはで行くほどに、あさましく人の向ふべくもなく、恐ろしと言へばおろかなる者の眼を見れば、雷光のやうにひらめき、口は炎などのやうに恐ろしき気色したる軍の鎧兜着て、えもいはぬ馬に乗り続きて、二百人ばかりあひたり。見るに肝惑ひ、倒れ伏しぬべき心地すれども、われにもあらず、引き立てられていく。
さてこの軍は先立ちて去ぬ。我からめて行く人に、「あれはいかなる軍ぞ」と問へば、「え知らぬか。これこそ汝に経あつ らへて書かせたる者どもの、その功徳によりて、天にも生まれ、帰るとも、よき身とも生るべかりしが、汝がその書き奉るとて、魚をも食ひ、女にも触れて、清まはる事もなくて、心をば女のもとに置きて、書き奉りたれば、その功徳のかなはずして、かくいかう武き身に生れて、汝を妬がりて、『呼びて給ふらん。その仇報ぜん』と愁へ申せば、この度は、道理にて召さるべき度にもあらねども、この愁へによりて召さるるなり」といふに、身も切るるやうに、心もしみ凍りて、 これを聞くに死ぬべき心地す。
「さて我をばいかにせんとて、かくは申すぞ」と問へば、「おろかにも問ふかな。その持ちたりつる太刀、刀にて、汝が身をばまづ二百に斬り裂きて、おのおの一切づつ取りてんとす。その二百の切れに、汝が心も分かれて、切ごとに心のありて、せめられんに随ひて、悲しく侘しき目を見んずるぞかし。堪へ難き事、たとへん方あらんやは」と言ふ。「さてその事をば、いかにしてか助かるべき」と言へば、「さらに我も心も及ばず。まして助かるべき力はあるべきにあらず」といふに、歩むそらなし。
適当訳者の呟き:
長いけれどおもしろい。3分割しますー。
敏行:
としゆき。藤原敏行。
三十六歌仙のひとりで、百人一首にも採用される有名な歌人。宇多天皇とか、醍醐天皇のころの人です。
世代的には、紀貫之の親世代といった感じでしょうか。
百人一首は、
すみの江の岸による浪よるさへや夢のかよひぢ人目よくらむ
[4回]
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