今は昔、比叡山に、とある僧侶がいた。
たいそう貧しかったが、あるとき、鞍馬寺へ七日参りをした。
「これで、何か夢のお告げがあるだろう」
と思って参詣していたけれど、それらしい夢を見ないから、
さらに七日、参詣したものの、それでも夢は見ない。
そのためさらに七日、また七日と参籠して百日経った夜の夢に、
「我は何にも知らぬ。清水寺へ参れ」
と、鞍馬のお使いと思しき者から言われたから、
翌日すぐに清水寺へ参り、そこでさらに百日参詣をしたところ、
またも、
「我の方こそ知らぬ。賀茂へ参れ」
と夢で告げられたため、今度は賀茂神社へ参詣した。
ここでも七日参りのつもりが、お告げの夢を見るべく参詣をつづけて百日。
その夜の夢に、
「おまえがそのように詣でたことを愛でて、
御幣紙、打捲きの米を、確かにとらせようぞ」
というお告げがあった。
僧侶は驚いたものの、すぐに情けないような、やりきれない思いになった。
「ほうぼう巡り詣でて、これほど籠もり続けた挙句、この程度のお告げだ。
打撒きに使う程度の、わずかな米をもらって、どうなるというのか。
山へ帰ろうにも、恥ずかしくてならない。この上は、賀茂川へ身投げするほかない」
と思ったものの、さすがに、飛び込むこともできなかった。
「ともかく、どのようなことをしていただけるのか」
少なくともお告げを受けたのだからと、もといた比叡山の坊舎へ戻ったところ、
やがて知り合いのもとより、
「申し上げます」
と、訪れる者があった。
「誰だ」
と見ると、その使いの者は、担ってきた白い長櫃を縁側へ置き、
さっさと帰ってしまった。
不思議に思い、どこへ行ったのかと見たが、もういない。
それでとりあえず、長櫃を開けてみたところ、
中には真っ白な米と、良質な紙が入っていたから、
「夢に見たとおりだ。確かに、夢でもこのようなものを見たように思うが、
いただけるのは本当にこれだけなのか……」
と、情けなくて仕方なかった。
だが、もはやどうしようもあるまいと、この米をいろいろに使ってみたところ、
ずっと同じ量のまま、尽きることが無い。
紙も同様に、使っても無くなることがなかった。
この後、僧侶は、きらびやかな生活、というほどでもないが、
苦労のない、気楽な法師となって日々を過ごしたという。
気を長く持って、参詣するべきなのである。
原文
自賀茂社御幣紙米等給事
今は昔、比叡山に僧ありけり。いと貧しかりけるが、鞍馬に七日参りけり。「夢などや見ゆる」とて参りけれど、見えざりければ、今七日とて参れども、猶見ねば、七日を延べ延べして、百日といふ夜の夢に、「我はえ知らず。清水へ参れ」と仰らるゝと見ければ、明日日より、又、清水へ百日参るに、又、「我はえこそ知らね。賀茂に参りて申せ」と夢に見てければ、又、賀茂に参る。
七日と思へど、例の夢見ん見んと参るほどに、百日といふ夜の夢に、「わ僧がかく参る、いとをしければ、御幣紙、打徹(うちまき)の米ほどの物、たしかにとらせん」と仰らるゝと見て、うちおどろきたる心地、いと心うく、あはれにかなし。「所所参りありきつきるに、ありありて、かく仰らるゝよ。打徹のかはり斗給はりて、なににかはせん。我山へ帰りのぼらむ、人目はづかし。賀茂川にや落ち入なまし」など思へど、又、さすがに身をもえ投げず。
「いかやうにはからはせ給べきみか」と、ゆかしきかたもあらば、もとの山の坊に帰てゐたる程に、知りたる所より、「物申候はん」といふ人あり。「誰そ」とて見れば、白き長櫃をになひて、縁に置きて帰ぬ。いとあやしく思て、使を尋れど、大かたなし。これをあけて見れば、白き米と、よき紙とを、一長櫃入る。「これは見し夢のまゝなりけり。さりともとこそ思つれ、こればかりを誠にたびたる」と、いと心うく思へど、いかゞはせんとて、此米をよろづに使ふに、たゞおなじ多さにて、尽くる事なし。紙もおなじごとつかへど、失する事なくて、いと別にきらきらしからねど、いとたのしき法師になりてぞありける。
猶、心長く、物詣ではすべきなり。
適当訳者のつぶやき:
そんな信心で良いのですか。。。
御幣紙:
ごへいがみ。御幣につかう紙。御幣=幣束というのは神主さんが、今でも家を建てる際の地鎮祭などで、土地の真ん中に立てたりする、細長い、ぎざぎざした紙のことです。通常は左右に分かれてますね。
打捲きの米:
昔は、魔除けのために神前でお米をばらまいたそうです。
ここは単に、「お供えの米」という意味かもしれません、いずれにしても、少ない。。。という量だったのですね。
きらきらしからねど:
キラキラしてるわけじゃないけど=キラキラの金持ちめいたわけではないけど。
[10回]
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