さて、第五巻までの現代語訳が終り、
何となく、折り返し地点が見えてきた感じです。
もっとも、折り返し地点が見えたところで、先は果てしなく遠いですが。
第五巻の適当訳後記
第一巻で堪能した、「宇治拾遺物語らしさ」が戻ったような気がします。
下ネタ、阿呆話。
けれどそれ以外では、長めの話が多く、訳者的には、苦しかったです。。。
あと、阿呆話の中で、
「何がおもしろいんだろう……」
と、平安人との笑いの壺の違いに、呆然とすることも多かったです。
印象的な話
大好きな阿呆話、下ネタの類を除くと、
(71) 伏見修理大夫の許へ殿上人ども行き向う事
この話の主人公、橘俊綱が、たいへんに興味深かったです。
俊綱は、第三巻にも颯爽と登場してまして、
(46) 臥見修理大夫俊綱事
あたくしなどは、当らない小説を書いている身のため、
この人で小説を書いてみたいなーと、強く思わせてくれました。
ところで
あたくしの適当訳では、
「今は昔」
は訳さないと決めています。
教科書的には、
「今となっては昔のことだが」
という意味だと解説されますが、絶対にそんな語感ではないですし、
「むかし、むかし」
と言い換えたところで、
日本昔話みたいに、おじいさんと、おばあさんが――と出てくるわけでもないので、
深くこだわらず、訳さないことにしています。
といって、
「原文の持つ味わいを大切に……」
などと、偉そうなことを言うつもりはありません。
所詮、横書きのウェブコンテンツ。
あくまでも、「わたくし版」宇治拾遺物語現代語訳です。
というわけで
何だかわけのわからぬことを書きましたが、
第六巻以降も懲りずに、適当訳を続けて参りますので、
お気楽に、憫笑なんかをよろしくお願いしますー。
[5回]
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