これも今は昔。
範久阿闍梨という僧侶がいて、
比叡山の楞厳院(りょうごんいん)というところに住んでいた。
一途に極楽往生を願い、
行住坐臥、常に、西に背を向けることがなかった。
唾を吐く時、大小便をするときは西を向かず、
その他の時では夕日を背中に負うこともなければ、
比叡山を西坂側から登る時でさえ、体を思いきり反らせるようにして歩むのだった。
そうして常々、
「植木が倒れる際は、必ず、それ以前から傾いていた方向へと倒れる。
自分自身のことも、常に心を西方へ懸けておれば、
どうして志を遂げられぬことがあろうか。臨終正念、疑いを持たぬぞ」
というふうに語っていたという。
彼のことは、本朝往生伝に描かれているとか。
原文
範久阿闍梨西方を後にせぬ事
これも今は昔、範久阿闍梨といふ僧ありけり。山の楞厳院(りょうごんゐん)に住みけり。ひとへに極楽を願ふ。行住座臥西方を後にせず。唾をはき、大小便西に向はず。入日を背中に負はず。西坂より山へ登る時は、身をそばだてて歩む。常に曰く、「うゑ木の倒るる事、必ず傾く方にあり。心を西方にかけんに、なんぞ志を遂げざらん。臨終正念疑はず」となんい ひける。往生伝に入りたりとか。
適当役者の呟き:
なかなかおもしろい理屈だと思いました。
範久阿闍梨:
不詳。
ちなみに阿闍梨というのは、一通りの修行を完了した僧侶、高僧の敬称みたいなものです。
後にせぬ:
要するに、崇敬しているので、お尻を向けない(唾を飛ばさない)のです。
今でも、恩人に足を向けて寝ないとか、天皇陛下に拝謁する際は尻を向けないようにするとか、あります。
山の楞厳院:
やまのりょうごんいん。
今の比叡山「横川中堂」の別称「首楞厳院(しゅりょうごんいん)」のことかしら。
西方:
阿弥陀如来を教主とする西方の浄土。人間界から西方に十万億の仏土を隔てた所にあるという。
極楽浄土です。
臨終正念:
りんじゅうしょうねん。臨終に際して、一心に仏を念ずること。特に阿弥陀仏を念じて極楽往生を願うこと――と出ました。
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