これも今は昔。
高階業遠が死んだ時、御堂の入道さまが仰るには、
「何か言い置くべきことがあったようだ。不憫に思う」
とのことなので、
解脱寺の観修僧正をお呼びになり、
業遠に向って加持祈祷を行ったところ、
死人たちまち蘇生して、用事を伝えた後、
ふたたび目を閉じたとのことである。
原文
業遠朝臣蘇生の事
これも今は昔、業遠朝臣死ぬる時、御堂の入道殿仰せられけるは、「言ひ置くべき事あらんかし。不便(ふびん)の事なり」とて、解脱寺観修僧正を召し、業遠にむかひ給ひて加持する間、死人たちまち蘇生して、用事をいひて後、また目を閉ぢてけりとか。
適当訳者の呟き:
短い!
業遠朝臣:
なりとおのあそん。
検索しても詳しく分りませんでしたが、たぶん、高階業遠で、藤原道長に熱心に仕えた家臣。
息子に、業敏、成章というのがいて、藤原道長のせいで皇太子になれなかった敦明親王さまに、ボコボコにされたみたいですよ。
御堂の入道:
みどうのにゅうどう。藤原道長。
言わずと知れた、平安貴族のチャンピオン。
霊感も強かった模様です。
解脱寺:
げだつじ。京都市左京区岩倉長谷町にあった天台宗の寺。
平安時代中期、藤原道長の姉である東三条院藤原詮子が、園城寺観修を開山として建立――と出ました。
観修僧正:
かんじゅそうじょう。というわけで、一寺を開くほど立派なお坊さんです。
安倍晴明と同じ頃の人で、一緒に、藤原道長のもとへ出入りしていたようです。
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