今は昔、進命婦(しんみょうぶ)が、まだ若い頃のこと。
命婦はいつも清水寺へ参詣していたが、
その清水寺の説教僧は、実に清浄な人であった。
八十歳にもなろうというのに、女を知らず、
法華経を八万四千余も読み奉った高僧であったが、
あるとき、進命婦を見るや欲情し、たちまちに恋にかかって、
今にも死にそうになってしまった。
弟子たちが怪しみ、どうしたのかと、
「御師の病のありさま、このままにしてはおけませぬ。
何か御存念がございますか。
仰せにならないのであれば、仕方もありませぬが」
そう申しあげると、この時になって語り出したことには、
「実は、京市中よりこの御堂へ参られる女性と親しくなり、
何事か言葉を交わせたらと思い始めてよりこの三年、
食べることの出来ぬ病へかかり、
今や私は地獄の蛇道へ落ちようとしている。情けないことだ」
と答えた。
すぐさま弟子の一人が進命婦のもとへ駆けつけ、この旨を伝えると、
進命婦はほどなくやって来たが、すでに老僧は鬼のような形相。
けれども進命婦は恐れる様子も見せず、
「年ごろお世話になり、頼りにしておりましたからには、
何事であろうとも、お話しくださればよろしかったのに」
そう言えば、老僧は周りに支えられて辛うじて起き上がり、
念珠をとり、強く揉みながら、
「よくこそ、お越しくだされました。
わたくしが八万余部、読み続けた法華経のうちもっともすばらしい一文を、
御前様に奉ります――俗人であれば、関白、摂政を生ませたまえ。
女を生ませたまわるなら女御、后を。僧侶であれば、法務の大僧正を
――どうか、生ませたまえ」
言い終るや、そのまま息絶えた。
その後、進命婦は宇治殿に思いをかけられ、
はたして、京極大殿、四条宮、さらに三井の覚園座主を生むことになったという。
原文
進命婦清水寺参事
今は昔、進命婦若かりける時、常に清水へ参りける間、師の僧きよかりけり。八十のもの也。法華經を八萬四千餘読奉りたる者也。此女房をみて、欲心をおこして、たちまちにやまひに成て、すでに死なんとするあひだ、弟子どもあやしみをなして、問ていはく、「このやまひのありさま、うち任せたることにあらず。おぼしめすことあるか。仰られずはよしなき事也」といふ。この時、かたりていはく、「誠は、京より御堂へ参らるゝ女に、近づきなりて、物を申さばやとおもひしより、此三か年、不食のやまひなりて、今はすでに蛇道におちなんずる、心うきことなり」といふ。
こゝに弟子一人、進命婦のもとへ行て、このことをいふ時に、女、程なくきをたてたるやうにて、鬼のごとし。されども、此女、おそるゝけしきなくして、いふやう、「とし比たのみてまつる心ざし淺からず。何事にさぶらうとも、などか、おほせられざりし」といふときに、この僧、かきおこされて、念珠をとりて、押しもみてやう、「うれしくきたらせたらせ給たり。八萬餘部よみ奉りたる法華經の最第一の文をば、御前に奉る。欲をうませ給はば、關白、攝政をうませ給へ。女をおませ給はば、女御、后を生せ給へ。僧をうませ給はば、法務の大僧正を生せ給へ」といひ終りて、すなはち死ぬ。
其後、女、宇治殿に思はれ参らせて、はたして、京極大殿、四條宮、三井の覺園座主をうみ奉れりとぞ。
適当訳者の呟き
原文、老僧の言葉がたいへん良い感じでした。
「うれしくきたらせ給いたり」
感動を最初に、婉曲表現、敬語表現で、老僧の喜びと執念がよく出てるなあと。
進命婦の夫とその子供:
宇治殿は関白頼通。また進命婦の京極大殿は藤原師実で摂政・関白。四条宮は後冷泉天皇の女御、覚園(円)は三井寺の座主……だそうです。
進命婦:
ということで、師実の母、藤原祇子だとwikipediaに出てきました。
師実は六男なので、本当なら関白の座なんて絶対に無理だったのですが、
嫡男と正室への配慮から、上の子が軒並み養子に出されていたところで、嫡男が急死、棚ぼた式に、残った息子の師実さんが関白になった模様。
wikipedia によると――藤原祇子は出生がはっきりせず、藤原頼成女とも具平親王女とも言われる。
命婦:
みょうぶ。律令制で、五位以上の女官、また五位以上の官人の妻の称。平安中期以降、中級の女官などの称になる――と出ます。
「進」は、検索しても分らなかったのですが、親の地位ですかねえ? (かみ-すけ-じょう-さかん、のうちの「じょう(進)」)
蛇道:
じゃどう。生前執念が強い人は、蛇地獄へ落ちたり、蛇に生れ変わったりするようです。
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