今は昔、春ごろのこと。
うららかな陽気の日に、
60歳くらいのおばあさんが、庭へ出て、衣類の虫とりをやっていた。
と、そこへ雀がやってきたので、家の子供たちが、わあっと駆け寄り、
石を拾ってこれにぶつけて、雀の腰を折ってしまった。
羽をばたつかせて逃げ惑うところを、上空からカラスが狙っているようなので、
「かわいそうに。あの雀を助けよう」
と、ばあさんは急いでこれを拾い、息を吹きかけるなどして、餌も与えた。
そして夜は小桶の中で過ごさせ、朝になれば米を与え、
また薬がわりに銅をこそげて食べさせるなどして、
甲斐甲斐しく世話を焼くものだから、子供や孫たちは、
「あらあら。年を食ったばあさんが、雀などを飼い始めたわ」
と憎み笑うのだった。
そうして、数ヶ月かけて丁寧に治療してやったところ、
ようやく歩き回れるようになったから、
雀の心にも、こんなふうに養い生かしてくれたことが喜ばしいようであった。
ばあさんの方も、ちょっと外へ出かけるだけの時にも、
「この雀を見ておいてくれ。餌も与えてくれよ」
と言い残すほどなので、子供や孫などが、
「あらあら、どうして雀などを飼いやがって」
と憎み笑うなどするが、
「そうはいっても、可愛いんだよ」
と言って、構わずに養い続けるのだった。
そのうちに、雀も飛ぶことができるようになった。
「こうなれば、もうカラスに食われることもないだろう」
と、ばあさんは雀と一緒に外へ出て、雀を手に載せると、
「飛べるかね。わしが見ているだよ」
と上に押し上げてみると、雀はふらふらと飛んで、やがて遠くへ去って行った。
ばあさんは、
「多くの月ごろ日ごろ、日が暮れには小桶に入れ、明ければ餌を食わせて、
とうとう飛び去っただよ。また来てくれるような態度だったねえ」
と、ぼんやりして呟くので、それを聞いていた人からやっぱり笑われてしまった。
それから、二十日ほど経った。
ばあさんのいる近くで、雀が盛んに鳴いているので、
「雀がよう鳴いている。あの雀が戻って来たに違いない」
と思い、出てみると、やはりあの雀が来ている。
「ああ、わしのことを忘れずに来てくれるとは可愛い子だ」
というおばあさんの顔を見つめながら、
雀は口から雫のようなものをこぼして、飛び去った。
「雀が持ってきてくれた。何かあるに違いない」
と、いそいそと拾い上げると、子供連中の方は、
「こりゃひどいや。雀からもらったものを、宝にしている」
と指をさして笑ったが、
「でも植えてみようよ」
と、ばあさんはその種を庭へ植えてみた。
すると秋にかけて驚くほど大きく伸び広がり、
普通とは較べられないほど大きな瓢箪がたくさん実ったから、ばあさん大喜び。
隣村の人たちにも食べさせて、なお取っても取りきれないほど。
おばあさんを笑った子供や孫たちも朝晩食べまくるし、
村中に配り回った挙句、
とりわけ大きな七つ、八つ瓜は、瓢(ひさご)の水筒にでもしようと、
家の中に吊しておいたのだった。
【つづき】
原文
雀報恩事
今は昔、春つかた、日うららかなりけるに、六十ばかりの女のありけるが、虫打ち取りてゐたりけるに、庭に雀のしありきけるを、童部(わらはべ)石を取りて打ちたれば、当たりて腰をうち折られにけり。羽をふためかして惑ふ程に、烏(からす)のかけりありきければ、「あな心憂(こころう)。烏取りてん」とて、この女急ぎ取りて、息(いき)しかけなどして物食はす。小桶に入れて夜(よる)はをさむ。明くれば米食はせ、銅(あかがね)、薬にこそげて食はせなどすれば、子ども孫など、「あはれ、女刀自(をんなとじ)は老いて雀飼はるる」とて憎み笑ふ。
かくて月比(つきごろ)よくつくろへば、やうやう躍(をど)り歩(あり)く。雀の心にも、かく養ひ生(い)けたるをいみじくうれしうれしと思ひけり。あからさまに物へ行くとても、人に、「この雀見よ。物食はせよ」など言ひ置きければ、子孫(こまご)など、「あはれ、なんでふ雀(すずめ)飼はるる」とて憎み笑へども、「さはれ、いとほしければ」とて飼ふ程に、飛ぶ程なりけり。「今はよも烏(からす)に取られじ」とて、外(ほか)に出(い)でて手に据ゑて、「飛びやする、見ん」とて、ささげたれば、ふらふらと飛びて往(い)ぬ。女、「多くの月比(つきごろ)日比(ひごろ)、暮るればをさめ、明くれば物食はせ習ひて、あはれや飛びて往ぬるよ。また来やすると見ん」など、つれづれに思ひていひければ、人に笑はれけり。
さて廿日ばかりありて、この女のゐたる方に雀のいたく鳴く声しければ、「雀こそいたく鳴くなれ。ありし雀の来るにやあらん」と思ひて出でて見れば、この雀なり。「あはれに、忘れず来たるこそあはれなれ」といふ程に、女の顔をうち見て口より露(つゆ)ばかりの物を落して置きたり。「持(も)て来たる、やうこそあらめ」とて、取りて持ちたり。「あないみじ、すずめの物得て宝にし給ふ」とて子ども笑へば、「さはれ、植ゑてみん」とて植ゑたれば、秋になるままに、いみじく多く生(お)ひ広ごりて、なべての瓢荷も似ず、大きに多くなりたり。女悦(よろこ)び興じて、里隣(さとどなり)の人にも食はせ、取れども取れども尽きもせず多かり。笑ひし子孫(こまご)もこれを明け暮れ食ひてあり。一里(ひとさと)配(くば)りなどして、果てにはまことにすぐれて大きなる七つ八つは瓢にせんと思ひて、内につりつけて置きたり。
適当訳者の呟き:
長いので、上中下に分けます!
ばあさんの扱いがひどいです。
瓢箪:
ひょうたん。普通の瓢箪は、苦くて食中毒成分もあるみたいなので、食べられません。
今では「食用ひょうたん」というのも売られているようですが、この話に出てくるのは、平安時代に大陸から伝来した、かんぴょうの材料「夕顔」のことっぽいです。
ちなみに、お酒を入れたりする瓢箪容器・ひさごは、瓢箪の頭を切って、長い棒を突っ込み、中をぐしゃぐしゃにして放置、中味が腐ったら取り出し(臭いらしい)、よく洗って乾燥させる――みたいです。
銅:
あかがね。自然銅は、行血化滞、散瘀止痛の効能があり、骨折による損傷を治療することができ、整形外科の要薬となっている――のだそうです。まじでか!
[10回]
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