【ひとつ戻る】
さて大太郎一味は、何とか屋敷へ忍び込んだものの、
どうにも、恐ろしくてならない。
そろそろと進むうちに、やがて、あばら屋の一室に灯りが見えてきた。
軒先に簾を吊してあり、その内側で誰かが火を灯している。
なるほど、中には数多の編み籠も見えた。
だがその簾の内側こそが、恐怖の源のようであり、
さらに、矢を指で転がしているような音が聞こえるから、
大太郎には、その矢が自分の体に突き立つように思われて、
言葉にならないほど怖くてたまらない。
それで結局、引き返すことにしたものの、背後から矢を突き立てられ、
背中を反らせるような感覚になり、ほうほうの体で這い出て、冷や汗を拭うと、
「まったく、これはどういうことだ。とんでもなく、恐ろしい音であったな」
と口々に言って、逃げ帰るのだった。
さて翌朝。
大太郎の知り合いが、たまたまその家の隣に住んでいたので、
出かけた。
あるじは、大太郎のためにご馳走を用意して、
「いつ京へ参られたのか。久しく会わなかったな」
「ちょうど、いま来たところですよ。それでそのままこちらに立ち寄りまして」
と挨拶すると、
「まあまあ、宴の支度も出来ているので」
と、あたためた酒を黒い土器の杯で受け、
まずは主人が飲み、続いて大太郎がその杯を受ける。
「そういえば、お宅の北側の家には誰のお住まいなのですか?」
と尋ねると、主人は驚いた様子で、
「まだご存知ではありませんか。
近ごろ上京された、大矢輔(おおやのすけ)たけのぶ様がお住まいですよ」
と言う。
大太郎は、
(それは……屋敷へうかうかと忍び込もうものなら、
全員、射殺されていたに違いなかった)
そう思うや、急に空おそろしくなって、
注いでもらった酒を主人の方へぶちかけて、あたふたと逃げ出してしまった。
お膳はひっくり返るし、主人は、びっくり呆れて、
「おいどうしたんだ。どうしたというのだ」
と言うが、大太郎は振り返りもせずに逃げ去ってしまったという。
――そんなふうに、大太郎が捕まった後、
武者屋敷のおそろしさを語ったものである。
原文
大太郎盗人事(つづき)
入りたれども、なほ物のおそろしければ、やはら歩みよりてみれば、あばらなる屋の内に、火ともしたり。母屋のきはにかけたる簾をなおろして、簾のほかに、火をばともしたり。まことに、皮子の多かり。かの簾の中の、おそろしく覚ゆるにあはせて、簾の内に、矢を爪よる音のするが、その矢の来て身にたつ心ちして、いふばかりなくおそろしく覚て、帰いづるも、せをそらしたるやうに覚へて、かまへていでえて、あせをのごひて、「こはいかなる事ぞ、あさましく、おそろしかりつる爪よりの音や」といひあわせて帰ぬ。
そのつとめて、その家のかたはらに、大太郎がしりたりけることのありける家に行きたれば、みつけて、いみじく饗應して、「いつのぼり給へるぞ。おぼつかなく侍りつる」などいへば、「ただいままうで来つるままに、まうで来たるなり」といへば、「土器(かはらけ)参らせん」とて、酒わかして、くろき土器の大なるを盃にして、土器をとりて大太郎にさして、家あるじのみて、土器わたしつ。大太郎とりて、酒を一土器(かはらけ)受けて、持ちながら、「この北には誰が居給へるぞ」といへば、おどろきたるけしきにて、「まだ知らぬか。おほ矢のすけたけのぶの、このごろのぼりて、居られたるなり」といふに、さは、入たらましかば、みな、かずをつくして、射殺されなましと思ひけるに、物もおぼえず臆して、その受けたる酒を、家あるじに、頭よりうつかけて、たちはしりける。物はうつぶしに倒れにけり。家あるじ、あさましと思て、「こはいかにこはいかに」と云けれど、かへりみだにもせずして、逃げて去にけり。
大太郎がとられて武者の城のおそろしきよしを語ける也。
適当訳者の呟き
どれだけ恐ろしいんだ。
おほ矢のすけたけのぶ:
大矢輔たけのぶ。誰だか分りません。
とりあえず、たけのぶさんは、何かの次官(すけ)で、大矢のすけ、とあだ名されるくらい、たいへんな矢の名人だったっぽいです。
矢の名人なので、軍事系の兵部輔(ひょうぶのすけ)だったかもしれませんし、「おおや」のゴロ的に、大炊助(おおいのすけ)の辺りだったかもしれませんが、とりあえず、検索しても分りませんでした。
[4回]
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