昔、文章博士・大学頭の藤原明衡という人がいた。
若い頃、とある宮仕えの女官を口説いたものの、その屋敷に入るつてが無かったため、
隣の下人の家を借りて、
「その家へ女官を呼び出し、そこでともに寝よう」
と思いついた。
それで、隣の家の下人へ聞いてみると、亭主はいなかったが、その妻が、
「おやすいご用です」
と、ほかに良い場所も無いが、自分の寝室をどうぞ、と提供してくれたので、
そこへ明衡は、女官の部屋から畳を運ばせて、ともに寝ることにした。
さて、その家の主の、下人。
自分の妻がひそかに男を招き入れている――と、聞きつけ、
さらに、
「その間男は、今宵やって来るみたいですよ」
と告げる者があったので、
来たところを捕まえて、ぶち殺してやる――。
と思っていた。
それで妻には、
「遠出するから、4-5日は帰らないよ」
と告げて、出かけたふりをして、ひそかに夜を待っていたのだった。
やがて夜も更けて、下人が家の様子を窺ってみると、
案の定、忍び会う男女の気配を感じ取ったから、
「やはり間男が来やがった」
家の中を覗けば、暗かったからはっきりとは見えなかったが、
なるほど寝室では確かに、男と女が寝ている。
下人は、いびきまでかいている男へ近づくや、
いきなり上に乗りかかると抜いた刀を逆手に持ち、
腹の辺りを一突きにしてくれる――。
と、腕を振り上げたところで、
ふと壁の隙間から漏れる月明りに、長々とした指貫のくりぬきが目にとまった。
「はて、わが妻のような女のところへ、こんなきれいな指貫を着た人は来ないはず。
もし人違いであったらたいへんなことになるぞ」
と、振り上げた腕をおろし、眠りこけている人の着物なんぞを探ってみると、
「もし、誰かいるのですか」
と、女官の驚いたかすかな声。
これは自分の妻じゃないと、驚いて引き下がると、
明衡もびっくりして目を覚まし、
「誰だ、誰だ」
これに、ようやく下の間で眠っていた、下人の妻が飛び起きて、
もしや夫がひそかに帰ってきて、人違いをしているのではないか――と、慌てて、
「どうかしましたか。盗人ですか」
これで、ようやく下人は気づいて、妻のもとへ駆けつけ、
別人が寝ているとは思わなかったものだから、
「一体どういうことだ!」
と問い詰めると、
「おちついて。あんた、とんでもない間違いをしたんだよ。
あそこにいらっしゃるのは宮中の尊い人々で、
今夜だけということで我が家をお貸ししたから、自分はここに寝ているんだ。
本当に、あんたは、とんでもないことをしてしまったもんだ!」
などと、大声で罵っているから明衡も驚いて、
「一体どうなったのだ」
と声をかけると、ようやく下人が戻ってきて、
「私めは、甲斐殿の下働きでございます。
まさか甲斐殿の御身内の方がいらっしゃるとは存じませず、
とんでもない過ちを犯すところでございました。
しかしながら、たまたま貴方様がお召しの指貫のくくりがたいそう立派で、
これは……と思い、手を止めた次第でございます」
と、ぺこぺこ頭を下げた。
甲斐殿というのは、この明衡の妹の夫で、
思いもよらず、明衡は指貫のくくりによって、命が助かったことになる。
そんなわけで、人の恋は忍ぶもの――とはいえ、
下賤のもののところには立ち寄るものではないのだ。
原文
あきひら欲合殃事
昔、博士(はかせ)にて、大学頭明衡(だいがくのかみあきひら)といふ人ありき。若かりける時、さるべき所に宮仕(みやづかへ)ける女房をかたらひて、そ の所に入(いり)ふさんこと便(びん)なかりければ、そのかたはらに有(あり)ける下種(げす)の家を借(かり)て、「女房かたらひ出(いだ)してふさ ん」といひければ、男あるじはなくて、妻ばかりありけるが、「いとやすき事」とて、おのれがふす所に、ふすべき所のなかりければ、我(わが)ふしどころを さりて、女房の局の疊をとりよせて、ねにけり。家のああうじの男、我(わが)の妻のみそか男(おとこ)するとききて、「そのみそか男、こよひななはんかま ふる」とつぐる人ありければ、来(こ)んをかまへて殺(ころ)さんと思ひて、妻には「遠く物行(ゆ)きて、いま四五日帰るまじき。といひて、そら行(い) きをしてうかがふ夜にてぞありける。
家あるじの男、夜ふけてたちぎくに、男(おとこ)女の、忍びて物いふけしきしけり。さればよ、かくし男(おとこ)きにけりと思(おもひ)て、みそかに入 (いり)てうかがひ見(み)るに、わがね所に、男、女とふしたり。くらければ、たしかにけしき見(み)えず。男(おとこ)にいびきするかたへ、やをらのぼ りて、刀をさかてに抜(ぬ)きもちて、腹の上とおぼしきほどをさぐりて、つかんと思(おもひ)て、腕(かいな)をもちあげて、突(つ)きたてんとする程 に、月影の板まよりもりたりけるに、指貫(さしぬき)のくくり長やかにて、ふと見(み)えければ、それにきと思(おもふ)やう、わか妻(つま)のもとに は、かやうに指貫きたる人は、よも来(こ)じものを、もし、人たがへしたらんは、いとほしくふびんなることと思(おもひ)て、手(て)をひきかへして、き たる衣(きぬ)などをさぐりける程に、女房、ふとおどろきて、「ここに人の音(をと)するはたそ」と忍(しのび)やかにいふけはひ、わが妻(つま)にあら ざりければ、さればよと思(おもひ)て、居(ゐ)退(の)きける程に、このふしたる男(おとこ)も、おどろきて、「たそたそ」と問ふこゑをききて、我(わ が)妻のしもなるところにふして、わが男のけしきのあやしかりつる、それがみそかに来(き)て、人たがへなどするにやとおぼえけるほどに、おどろきさはぎ て、「あれはたそ。ぬす人か」などののしるこゑの、わが妻にてありければ、こと人々のふしたるにこそと思(おもひ)てはしり出(いで)て、妻がもとに行 (い)きて、髪をとりてひきふせて、「いかなることぞ」と問(と“ひければ、妻、さればよと思ひて、「かしこう、いみじきあやまちすらん」。かしこには上 臈(じようふらふ)の、今夜はかりとて、からせ給(たまひ)つれば、かしたてまつりて、われはやどにこそふしたれ。希有(けう)のわざする男かな」と、の のしるときにぞ、明衡(あきひら)もおどろきて、「いかなることぞ」と問(とひ)ければ、その時に、男、いできていふやう、「おのれは、甲斐殿の雑色(ざ ふしき)なにがしと申(まうす)者にて。候。一家(いつけ)の君おはしけるを知り奉らで、ほとほとあやまちをなんつかまつるべく候(さぶらひ)つるに、希 有(けう)に御指貫(さしぬき)のくくりを見(み)つけて、しかじか思(おもひ)給(たまへ)てなん、腕(かいな)を引(ひ)きしじめてよりつる」といひ て、いみじうわびける。
甲斐殿といふ人は、この明衡(あきひら)のいもうとの男なりけり。思(おもひ)かけぬ指貫(さしぬき)のくくりの徳に、希有(けう)の命をこそ生(い)きたりければ、かかれば、人は忍(しのぶ)といひながら、あやしのところには、たちよるまじきなり。
適当訳者の呟き
藤原明衡:
ふじわらのあきひら。
元々儒家の出身でないことから対策(文章得業生となるための試験)に合格するのに歳月を要し、1032年(長元5年)にようやく合格し左衛門尉に任命され た、対策制度の因習をにがにがしく思い、後輩に対策の答えをひそかに教え二度にわたり罰せられたこともある――らしいです。詩歌にも秀でていたそうです。
平安中期、藤原頼通とか、前九年の役の頃の人っぽいです。
甲斐殿:
たぶん河内源氏の祖、源頼信です。
指貫のくくり:
指貫は、要するに、袴です。今だと、神社の神主さんがはいているようなやつですね。
くくり=紐。
この辺が詳しいです。
http://www.kariginu.jp/kikata/1-3.htm
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