昔、清明が宮中へ出かけたとき、
きらびやかな従者に露払いさせて、颯爽とやって来る貴族を見かけた。
その貴族は若くして蔵人少将という重要な職にあり、
華やかで、顔立も清らかであったが、
車から降り、宮中へ参ろうとしたところで、上空のカラスが、
ポトリと、穢土を引っかけて行った。
清明は、
「何てことだ。将来が約束されたような、若く清らかな人と見えるのに、
術式を受けているとは。あのカラスは式神に相違ない」
そう見極め、このままでは蔵人少将は命を全うすることができないと、あわれに感じた。
そして清明は、そっと傍へ歩み寄り、
「帝の御前へ参られますか。不躾なようですが、私にひとつ祈祷させてください。
このままでは貴方様は、今夜を越せないように、私には見えます。
どうぞ私に、術式を執り行わせてください」
と言って、少将とともに車へ乗り込んだ。
少将は恐怖に打ち震えて、
「なんということだ。どうか助けて欲しい」
と言い、それから二人は同じ車に乗ったまま、少将の里まで戻ることになった。
都を出たのがすでに夕方近かったから、里へ着いた頃には日も暮れていたが、
屋敷へ入ると清明は少将を強く抱き寄せ、身構えると、
何に向けてか、一睡もせずに一晩中、呪文の声を絶やすことなく、
ぶつぶつと加持し続けた。
秋の夜長に、よくよく祈祷したため、やがて明け方に戸をほとほとと叩く者があるので、
「何の用か、人を出して聞かせてください」
と清明に言われるまま、戸を叩いた者の話を聞くと、
少将のごく近い親戚に、蔵人の五位という男がいて、式神はどうやら、この男の仕業だった。
少将とは同じ屋敷の反対側に間借りしていたが、
家の女が少将ばかりに良い顔をして、五位の方は疎んじる一方であったため、
嫉妬心から、陰陽師を呼びつけ、少将に対して式神をつけたものだと分った。
そして、その術式のために少将は間もなく死ぬ――ところであったが、
そこを清明が、
「まったく、危ないところでした。
昨日、私がお見かけしなければ、相手の術式のとおり、お亡くなりになっていたでしょう」
というわけで、やって来た使いに、返事の使者を送ると、
「向うの陰陽師はもう死んでます」
とのことであった。
やがて舅は、式神などを使った婿の五位を追い出したという。
蔵人少将は、清明に涙を流して感謝し、
有り余る謝礼を渡して大喜びした。
ちなみに、この蔵人少将が誰であったかは知らないが、
最後には大納言にまで昇ったそうである。
原文
昔、晴明、陣(ぢん)に参りたりけるに、前(さき)花やかに追はせて殿上人の参りけるを見れば、蔵人少将とて、まだ若く花やかなる人の、みめまことに清 げにて、車より降りて内に参りたりける程に、この少将の上に烏の飛びて通りけるが、穢士(ゑど)をおしかけけるを、清明きと見て、「あはれ、世にもあひ、 年なども若くて、みめもよき人にこそあんめれ。式にうてけるにか。この烏は式神(しきじん)にこそありけれ」と思ふに、然るべくて、この少将の生くべき報 ひやありけん、いとほしう晴明が覚えて、少将の側へ歩み寄りて、「御前へ参らせ給ふか。さかしく申すやうなれど、何か参らせ給ふ。殿は今夜え過ぐさせ給は じと見奉るぞ。然るべけて、おのれには見えさせ給へるなり。いざさせ給へ。物試みん」とてこの一つ車乗りければ、少将わななきて、「あさましき事かな。さ らば助け給へ」とて、一つ車に乗りて少将の里へ出でぬ。申の時ばかりの事にてありければ、かく出でなどしつる程に日も暮れぬ。清明、少将をつと抱きて身固 めをし、また何事にか、つぶつぶと夜一夜(よひとよ)いもねず、声絶えもせず、読み聞かせ加持しけり。
秋の夜の長きに、よくよくしたりければ、暁方に戸をはたはたと叩けるに、「あれ、人出して聞かせ給へ」とて聞かせければ、この少将のあひ聟にて蔵人の五 位のありけるも、同じ家にあなたこなたに据ゑたりけるが、この少将をばよき聟とてかしづき、今一人をば殊の外に思ひ落したりければ、妬(ねた)がりて陰陽 師を語らひて式をふせたりけるなり。さてその少将は死なんとしけるを、清明、「これ聞かせ給へ。夜部(よべ)見つけ参らせざらましかば、かやうにこそ候は まし」といひて、その使ひに人を添へてやりて聞きければ、「陰陽師はやがて死にけり」とぞいひける。式ふせさせける聟をば、舅、やがて追ひ捨てけるとぞ。 清明には泣く泣く悦びて多くの事どもしても飽かずぞ悦ける。誰とは覚えず、大納言までなり給ひけるとぞ。
適当訳者の呟き
安部清明伝説。
ちょっとボーイズラブ的展開ですけど、適当訳者的には、この時の清明さんは、もう爺さんだなと感じました。
陣:
手っ取り早く、「宮中」と訳しましたが、詳しくは、陣の座といって、
「左右の近衛府の陣内にあって、大臣以下の公卿が列座し、神事・節会(せちえ)・任官・叙位などの公事(くじ)を議した場所」
だ、そうです。
穢土:
うんこ。鳥ふん。
式神:
しきじん、と振仮名してあります。しきがみ、じゃないのですね。
[10回]
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