今は昔、左京の大夫という、そうとう古株の貴族がいて、何せ年をとっていたから、
都の片隅にある自宅から一歩も出ずに、引きこもっていた。
その家来筋に、紀用経(きのもちつね)という男がいて、長岡に住んでいたが、
家来筋だということで、ある日、左京大夫のもとを訪れた。
さて用経が、上司である大夫を訪れる前に、屋敷の献上品預かり所を訪れると、
ちょうど淡路守・源頼親が荒巻鯛をたくさん献上してきたとのことだったから、
当番の義澄に、
「ちょっと大夫様への献上品にしたいから、融通してくれ。
あとでうちの下人に取りに来させるから、頼むぞ」
と、鯛を二巻ばかり、棚の上へ用意してもらった。
実は用経。
大夫のもとへ折しも二三人の客があり、もてなしの火を用意しているものの、
鯉や鳥肉があるばかりで、立派な魚が無いことをコッソリと、確認していたのである。
そして、太夫のもとを訪れた用経。
「先日、わたくしのもとに、摂津の下人が荒巻の鯛を三匹ほど持って来まして、
一匹食したところたいへん美味でございました。
今日は下人を同行しなかったので持参しませんでしたが、
見ればちょうど良い折のようですから、ちょっと今から取りにやりましょう」
と、妙に声を弾ませて、したり顔に袖をこすりながら、
へこへこと上司の顔色を窺っていると、
「うむ、それはちょうど良い。早く取りにやってくれ」
と、太夫は命じた。
その場の客人も、
「あまりうまいものが無かった折、良い鯛が手に入ったとはありがたいことだ。
何せ九月のことで、鳥もうまくないし、鯉もまだダメだ」
などと、話しあっていた。
用経は得意になって、馬番の少年を呼び、
「馬を役所の門の脇へつけて、すぐに献上品倉庫へ行って来るんだ。
そして当番の男に、『置いてある荒巻鯛をください』とこっそり耳打ちして来い。
受取ったらすぐに持って来るんだ。寄り道するなよ、さあ行け、走れ!」
と追い立てた。
そうしておいて、
「よく洗ったまな板を持って参れ!」
と高らかに命じ、太夫には、
「今日はわたくしめが調理いたしますので」
と、長箸を削り、包丁を抜いて、
「ああ遅い。いつ持ってくるんだ」
と、そわそわしている。
すると、客人も、
「遅いな、遅いな」
と大声で言うのだった。
【つづき】
原文
用経荒巻事
今は昔、左京の大夫(かみ)なりける古上達部ありけり。年老いていみじう古めかしかりけり。下(しも)わたりなる家に歩きもせ籠りゐたりけり。その司の属(さくわん)にて、紀用経(きのもちつね)といふ者ありけり。長岡になん住みける。司の属なれば、この大夫のもとにも来てなんをとづりける。
この用経、大殿に参りて贄殿にゐたる程に、淡路守頼親が鯛の荒巻を多く奉りたりけるを、贄殿に持て参りたり。贄殿の預義澄(あづかりよしずみ)に二巻、用経乞ひ取りて、間木(まぎ)にささげて置くとて、義澄にいふやう、「これ、人して取りに奉らん折に、おこせ給へ」と言ひ置く。心の中に思ひけるやう、「これ我が司の大夫(かみ)に奉りて、をとづり奉らん」と思ひて、これを間木にささげて、左京の大夫(かみ)のもとに行きて見れば、かんの君、出居(いでゐ)に客人二三人ばかり来て、あるじせんとて地下炉に火をおこしなどして、我がもとにて物食はんとするに、はかばかしき魚もなし。鯉、鳥などようありげなり。
それに用経が申すやう、「用経がもとにこそ、津国なる下人の、鯉の荒巻三つ持てまうで来たりつるを、一巻食べ試み侍りつるが、えもいはずめでたく候ふ。急ぎてまうでつるに、下人の候はで持て参り候はざりつるなり。只今とりに遣はさんはいかに」と、声高く、したり顔に袖をつくろひて、口脇(くちわき)かいのごひなどして、はやかり覗(のぞ)きて申せば、大夫(かみ)、「さるべき物なきに、いとよき事かな。とく取りにやれ」とのたまふ。客人どもも、「食ふべき物の候はざめるに、九月がかりの比なれば、この比鳥の味はひいとわろし。鯉はまだ出で来ず、よき鯛は奇異の物なり」など言ひ合へり。
用経(もちつね)馬控へたる童を呼び取りて、「馬をば御門の脇につなぎて只今走り、大殿に贄殿の預(あづかり)の主に、『その置きつる荒巻只今おこせ給へ』とささめきて時かはさず持て来。外に寄るな。とく走れ」とてやりつ。さて、「まな板洗ひて持て参れ」と、声高くいひて、やがて、「用経、今日の庖丁は仕らん」といひて、真魚箸削(まなばしけづ)り、鞘なる刀抜いて設けつつ、「あな久し。いづら来ぬや」など心もとながりゐたり。「遅し遅し」と言ひゐたる程に、
適当訳者の呟き:
原文、変なところで切りました。つづきます。
贄殿:
諸国から贄(天皇家に進献する食物)として上納された各地の特産物を保管・管理する。職員として別当や預がいた。
淡路守・源頼親
みなもとのよりちか。平安時代中期の武将。源満仲の次男、大江山の酒呑童子を退治した源頼光の弟。
兄頼光と同じく藤原道長一族に近侍し、大和をはじめ数ヶ国の国司を歴任。盗賊の逮捕など活躍して、摂津の国などにたくさんの所領があったようです。
でも清少納言の兄を殺害したり、大和の社寺と所領争いをするなどして、最後は土佐へ配流、消息不明になりました。
間木
まぎ。長押(なげし)の上などに設けた棚のようなもの――らしいです。よく分りませんが、棚のことですね。
真魚箸
まなばし。魚や鳥を料理するときに使う、柄のついた長い木または鉄製の箸。
[1回]
PR