今は昔、丹後国に、年取った尼さんが住んでいた。
この尼さんは、
地蔵菩薩はいつも夜明け前にこの世間を歩き回られる――
ということをどこかで聞いて以来、
歩き回る地蔵菩薩に一目会いたいと、
毎朝毎朝、暗い内から近所を歩き回っていた。
と、ある日、博打に負けてスッカラカンになった奴がこれを見つけて、
「尼君、こんな寒い朝っぱらから、何をされているのですか」
と言うと、
「地蔵菩薩が夜明け前に歩かれると聞き、
是非お会いしたいものだと歩いています」
「地蔵の歩かれる道なら、わしが知っている。
さあこちらへお越し下さい、会わせてあげますよ」
「おお、何とうれしいことか。地蔵の歩かれるところへ私を連れて行って下さい」
尼さんの頼みに、ばくち打ちは、
「私に何か贈り物をください。そうしたら連れて行ってさしあげましょう」
「では私が来ているこの着物をさしあげましょう」
「よろしい、ではこちらへ」
と、近場へと連れて行く。
尼さん、大喜びでいそいそと歩くが、実はこのばくち打ち、
本当は隣村に「じぞう」という名の子供がいることを知っていたから、
こんなことを言って連れて行くに過ぎなかった。
で、その親に会って、
「じぞうはいるかい」
と聞けば、
「今あそびに行っているが、もう戻るころだよ」
とのことなので、尼さんに向って、
「さあここだ。じぞうがいるところだ」
と言えば、尼さん、たいそうな喜びで紬の着物を脱いで渡せば、
ばくち打ちはこれを受け取り、さっさと行ってしまった。
尼さんが家へ入り、
「地蔵さまを拝見したいのですが」
と尋ねると、両親は、どうしてうちの子が見たいのだろう――?
などと、わけがわからないうちに、十歳ばかりのじぞう少年が戻ってきたから、
「これが、じぞうですけど」
と紹介するや否や、尼さん、たちまちその場で膝をつき、
土に額をこすりつけるほど、これを拝みあげた。
さて、じぞう少年。
その時は、木の枝を持って遊んでいたが、
何気なく、その木の枝で自分の額を掻いてみせるや、
おでこから顔の上にかけて皮膚が裂け、そこから、
たいそうありがたいお地蔵様のお顔が、本当に姿を現されたのであった。
土下座していた尼さん。
はっと顔を上げると、そこにお地蔵様が立っておられるので、
涙を流して拝みあげるうちに、そのまま極楽往生を遂げたという。
これほど信心深く念じていれば、仏の姿さえ目に見えるということだ。
原文
尼地蔵み奉る事
今は昔、丹後国に老尼ありけり。地蔵菩薩は暁ごとに歩き給ふといふ事をほのかに聞きて、暁ごとに地蔵見奉らんとて、ひと世界惑ひ歩くに、博打の打ちほう けてゐたるが見て、「尼君は寒きに何わざし給ふぞ」といへば、「地蔵菩薩の暁に歩き給ふなるに、あひ参らせんとて、かく歩くなり」といへば、「地蔵の歩か せ給ふ道は我こそ知りたれば、いざ給へ、あはせ参らせん」といへば、「あわれ、うれしき事かな。地蔵の歩かせ給はん所へ我を率て奉らん」といへば「我に物 を得させ給へ。やがて率て奉らん」といひければ、「この着たる衣(きぬ)奉らん」といへば、「いざ給へ」とて隣なる所へ率て行く。
尼悦びて急ぎ行くに、そこの子にぢざうといふ童ありけるを、それが親を知りたりけるによりて、「ぢざうは」と問ひければ、親、「遊びに徃。今来なん」と いへば、「くは、ここなり。ぢざうのおはします所は」といへば、尼、うれしくて紬の衣を脱ぎて取らすれば、博打は急ぎて取りて徃む。
尼は「地蔵見参らせん」とてゐたれば、親どもは心得ず、「などこの童を見んと思ふらん」と思ふ程に、十ばかりなる童の来たるを、「くは、ぢざう」といへ ば、尼見るままに是非も知らず臥し転びて拝み入りて土にうつぶしたり。童、木若(すはえ)を持て遊びけるままに来たりけるが、その木若して手すさびのやう に額をかけば、額より顔の上まで裂けぬ。裂けたる中よりえもいはずめでたき地蔵の御顔見え給ふ。尼拝み入りてうち見あげたれば、かくて立ち給へれば、涙を 流して拝み入り参らせて、やがて極楽へ参りけり。
されば心にだにも深く念じつれば、仏も見え給ふなりけりと信ずべし。
適当訳者の呟き
地蔵さんを見て極楽往生。
微妙に、じぞう少年の親の目には、この出来事がどう映っていたのか気になります。
[16回]
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