今は昔、大隅守にあった人が、任国で政治を行っていたとき、
地元の役人である郡司が働かないので、
「召し連れて来い。処罰するぞ」
と言い出した。
以前にもたびたび不始末があって、
その罪に応じて重かったり軽かったり、処分してきたが、
一度ではなく何度も不行跡があるので、ここで厳しく処罰を加えようというのである。
「召し連れて参りました」
と部下が言うので、前のように道具を据えて、
尻を逆から押える役、懲罰杖である「しもと」を使う役、
それぞれを待機させておくと、二名の役人に引きずられるようにして出てきたのは、
黒髪さえ無い、真っ白頭の老人であった。
これを見た大隅守、打ち据えるのは哀れに感じたため、
何事か理由を構えて許してやろうと思ったが、特段の理由がない。
過失を順番に糺して行っても、ただ老齢を言い訳にするばかり。
大隅守は、どうかしてこれを許そうと思うから、
「おぬしはたいへんな盗人である。ところで歌は詠むか」
と尋ねると
「大したものではござりませぬが、詠みまする」
と申し上げる。
「では詠んでみよ」
老郡司は、やがて声をわななかせて、
としを経て かしらの雪は積もれども しもと見るにぞ 身は冷えにける
――年をとり、頭に白いものは増えましたが、
霜を見て、しもとの鞭を見るにつけ、体は冷え冷えとして参ります
と答えた。
大隅守は、まことに心を打つものであると感心し、
この老いた郡司は許されたのであった。
人というのは、やはり歌詠みたる感性を持つべきなのだ。
原文
歌よみて罪をゆるさるゝ事
今は昔、大隅守(おほすみのかみ)なる人、国の政をしたゝめおこなひ給あひだ、郡司のしどけなかりければ、「召にやりて、いましめん」といひて、先々の様にしどけなきこと有けるには、罪にまかせて、重く軽くいましむることありければ、一度にあらず、たびたび、しどけなきことあれば、重くいましめんとて、召すなりけり。「ここに召て、率て参り足たり」と、人の申ければ、さきざきするやうに、し臥せて、しりかしらにのぼりゐたる人、しもとをまうけて、打べき人まうけて、さきに、人ふたりひきはりて、出きたるを見れば、頭は黒髪もまじらず、いとしろく、年老たり。
みるに、打(ちやう)ぜんこといとほしくおぼえければ、何事につけてか、これをゆるさんと思ふに、事つくべきことなし。あやまちどもを、片はしより問ふに、たゞ老を高家にて、いらへをる。いかにして、これをゆるさんと思て、「おのれはいみじき盗人かな。歌よみてんや」といへば、「はかばかしからず候ども、よみ候なん」と申ければ、「さらばつかまつれ」といはれて、ほどもなく、わなゝ聲にて、うちいだす。
としを経てかしらの雪はつもれどもしもとみるにぞ身はひえにける
といひければ、いみじうあはれがりて、感じてゆるしけり。
人はいかにもなさけはあるべし。
適当訳者の呟き
許す理由が特に無いと言っていて、歌を許す口実にできたのが不思議。
「ことだま思想」的に、「歌詠み」にたいへんな威力があったということでしょうか。
大隅守:
桜島忠信という人らしいです。「拾遺和歌集」という、古今和歌集、後撰和歌集に続く歌集に、この歌が掲載されています。
なお、この桜島さんから、有名な鹿児島の桜島が命名されたという説もあります。
ついでに、この桜島さんは、大隅守に任じられてはいますが、身分は低かったようで、「昨今の任官はすべて金がかかるわな」というような風刺落書(漢詩)をつくったため、国守に任じられたそうです。「反骨精神と漢詩の才能が評価された」のか、「悪口を言ったから南の果てへ左遷された」のか、微妙に判断がつきにくいですが、一応、前者かと思われます。
しどけなき郡司:
この年老いた郡司が何をしたのか、について。
しどけない=だらしがない。むぞうさで、しまりがない。
この場合、だらしないのは、年貢をきちんと国守へ届けないとか、そういう職務怠慢のこと。そして後の方で「おのれはいみじき盗人かな」と決めつけられていますので、やはり、年貢の横領的なことをやっていたのだと思われます。
しもと:
笞、楚。要するに「鞭」のこと。これでおしおきするのですね。
歌の中では、「霜と」「しもと」という、要するにだじゃれを言ってるわけですね。
[3回]
PR