(最初から)
「こちらへ参れ」
というと、まさゆきが庭の中程へ出てくるので、恒正が、
「今日あの講師は、なに仏を供養することになっているのか」
と尋ねたところ、
「どうして、わたくしがそれを知っていましょう」
と答える。
「どういうことだ。では誰が知っておる。
そもそも発願したのはおまえではない別人で、
おまえはただ、供養の手続きをしているだけ、ということか」
と問えば、
「そうではござりませぬ。このまさゆき丸が、供養するのです」
と答える。
「それではどうしておまえが、なに仏ということを知らぬのだ」
と、恒正が言えば、
「仏師ならば存じておりましょう」
と答えたのである。
おかしな話だとは思ったが、なるほど、そういうこともあるだろう。
まさゆきは、供養すべき仏の御名を忘れてしまったのだと、
「その仏師はどこにいる」
と尋ねれば、
「えいめい寺にいます」
「それなら近い。呼べ」
と言うと、まさゆきが帰って、呼んできた。
仏師は、平べったい顔の、太った六十歳ばかりの法師で、
とても物事に通じているとは見えなかった。
それがやって来て、まさゆきに並んで座るので、
「おまえが、仏師であるか」
と問えば、
「そのとおりにございます」
「まさゆきの仏を作ったのか」
「お作りしました」
「何体お作りしたのか」
「五体、お作りしました」
「ではそれは、何という仏をお作りしたのだ」
と尋ねれば、
「いや、それは存じません」
と答える。
「どういうことだ。まさゆきも『知らず』と言うし、仏師もまた知らなければ、
いったい誰が知っているというのだ」
恒正が言えば、仏師は、
「わたくしは、とても存じません。仏師が知るはずもありません」
と言うので、
「では誰が知っているのだ」
と再度言えば、
「講師の御僧ならご存知でござりましょう」
と答える始末。
「そんな馬鹿な」
と、集っていた一同が大笑いすれば、仏師は腹を立てて、
「何のことだか、わたくしは事情さえ知らないのです」
と、立ち去ってしまった。
「一体どういう事情で、こうなったのだ」
と、あとで恒正が尋ねれば、
どうやら仏師は、「ただ早く仏を造れ」と言われただけであって、
それでとにかく丸い頭の、冠もかぶらない、道祖神めいた物を五体刻んだのだった。
そして、それを供養する僧侶に、何とか仏、かんとか仏と、
あとで仏としての御名を付けてもらおうとしていたのだという。
そんなやりとりを、おかしがりつつ、人々はとにかく功徳になればと、聞いていた。
田舎の連中は、こういう珍奇なことをするのである。
原文
恒正が郎等佛供養の事(つづき)
「こなたへ参れ」と言へば、庭中に参りてゐたるに、つねまさ、「かの真人は、何仏を供養し奉らんずるぞ」と言へば、「いかでか知り奉らんずる」と言ふ。「こはいかに。たが知るべき。そもそも、異人の供養し奉るを、ただ供養のことの限りをするか」と問へば、「さも候はず。まさゆきまろが供養し奉るなり」と言ふ。「さては、いかでか、なに仏とは知り奉らぬぞ」と言へば、「仏師こそは知りて候ふらめ」と言ふ。怪しけれど、げにさもあるらん、この男、仏の御名を忘れたるならんと思ひて、「その仏師はいづくにかある」と問へば、「ゑいめいぢに候ふ」と言へば、「さては近かんなり。呼べ」と言へば、この男帰り入りて、よびきたり。平面なる法師の、太りたるが、六十ばかりなるにてあり、ものに心得たるらんかしと見えず、出で来て、まさゆきにならびてゐたるに、「この僧は仏師か」と問へば、「さに候ふ」と言ふ。「まさゆきが仏や造りたる」と問へば、「作り奉りたり」と言ふ。「幾頭作り奉りたるぞ」と問へば、「五頭作り奉れり」と言ふ。「さて、それは何仏を作り奉りたるぞ」と問へば、「え知り候はず」と答ふ。「こはいかに。まさゆき『知らず』と言ふ。仏師知らずは、たが知らんぞ」と言へば、「仏師はいかで知り候はん。仏師の知るやうは候はず」と言へば、「さは、たが知るべきぞ」と言へば、「講師の御房こそ知らせ給はめ」と言ふ。「こはいかに」とて、集まりて笑ひののしれば、仏師は、腹立ちて、「物のやうだいも知らせ給はざりけり」とて、立ちぬ。「こはいかなる事ぞ」とて尋ぬれば、はやう「ただ仏造り奉れ」と言へば、ただまろがしらにて、齋の神の冠もなきやうなる物を五頭きざみ立てて、供養し奉らん講師して、その仏、かの仏と名をつけ奉るなりけり。それを問ひききて、をかしかりし中にも、同じ功徳にもなればと聞きし。あやしの者どもこそ、かく希有の事どもをし侍けるなり。
適当訳者の呟き
つねまさは、恒正のほかに常政。まさゆきを政行、としている原典もあります。
個人的に、「まさゆき丸」と言うのが発見でした。
齋の神:
さいのかみ。斉の神。障の神、塞の神とも。
悪霊が侵入するのを防ぎ、通行人や村人を災難から守るために村境・峠・辻などに祭られる神。。。と出ました。最近じゃほとんど見ないですね。
(この言い方だと、昔からたいして高貴な神様じゃなかった模様。
宇治拾遺の第一話でも、道祖神は、尊ばれていません)
えいめい寺:
不明。今の北九州市八幡東区に、永明寺というのがありましたが、関係はどうなんでしょう。現在だと、距離は20キロ弱。
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