今は昔。
奈良の大安寺というお寺で総代・別当の地位にあった僧侶の娘に、
都で蔵人を勤める貴族が、忍んでいた。
その蔵人は、娘にかなりの思いをかけていたから、
時には昼間にも、娘の部屋で休むことさえあった。
さてあるとき、その蔵人が昼寝をした折、ある夢を見た。
――急に、別当の家の者が、主人も下人も、泣き叫び始めたので、
どうしたのだと不思議に思い、部屋から出てみれば、
別当の妻である尼をはじめ、あらゆる者がみな大きな土器を持って、泣いている。
どうして、土器を捧げ持ったまま泣いているのだろうと、
よくよく見れば、土器には煮えたぎった銅の湯が満たされていて、
それを鬼どもが打ち割るから、
飲めるはずもないものを、一同が、涙ながらに飲み干そうとしているのだった。
そうして辛うじて飲み干すと、また同じように鬼に乞い、
煮えたぎった銅を飲もうとする者もいる様子。
下人に至るまで、そのようにして、煮えたぎった銅を飲まぬ者は無かった。
と、そのうちに侍女が来て、蔵人の隣で寝ていた娘を呼べば、娘は起き出して行く。
どうするのだと見ていると、この娘もまた、
煮えたぎる銅の湯を侍女に注がせ、その大きな銀の器を手にすると、
かぼそく、臈長けた悲鳴をあげながら、泣く泣く飲むのであった。
その目や鼻から出る煙を、おぞましいものだと見ているうちに、
「お客人へも差し上げよ」
と、例の器を台に据え、侍女が運んでくるのである。
自分もこのようなものを飲まなければならないのかと、
あまりの恐ろしさに蔵人が錯乱する――と思ったところで、夢から覚めた。
目覚めて見れば、折しも部屋へ、侍女が食べ物を運んできたところだった。
別当のところでも何かを食う音がして、騒々しい。
寺のもの、仏への供物を勝手に食べているのであろう。
それゆえに、あんな夢を見たのだ。
蔵人は、実にけしからんことのように思うと、娘への慕わしさが消え果て、
それから気分が良くないと言い出して、何も食べずに立ち去ると、
その後は、決してこの屋敷を訪れなかったという。
原文
大安寺別當女に嫁する男、夢見る事
今は昔、奈良の大安寺の別當なりける僧の女(むすめ)のもとに、蔵人なりける人、忍びてかよふほどに、せめて思はしかりければ、時々は、昼もとまりけり。ある時、ひるねしたりける夢に、俄に、この家の内に、上下の人、どよみて泣きあひけるを、いかなる事やらんと、あやしければ、立出て見れば、しうとの、妻の尼公より始めて、ありとある人、みな大なる土器(かはらけ)をさゝげて泣きけり。いかなれば、この土器をさゝげて泣くやらんと思ひて、よくよくみれば銅(あかゞね)の湯をを土器ごとにもれり。打はりて、鬼の飮ませんにだにも、のむべくもなき湯を、心と泣く泣くのむ也けり。からくして飮はてつれば、又、乞ひそへて飮むものあり。下臈にいたるまでも、のまぬものなし。我かたはらにふしたる君を、女房、きてよぶ。おきて去ぬるを、おぼつかなさに、また見れば、この女も、大なる銀の土器に、銅の湯を、一土器入れて、女房とらすれば、この女とりて、ほそく、らうたげなる聲をさしあげて、泣く泣くのむ。目鼻より、けぶりくゆり出づ。あさましとみて立てる程に、又「まらうどに參らせよ」と云て、土器を臺に据ゑて、女房もてきたり。我もかゝる物を飮まんずるかと思ふに、あさましくて、まどふと思ふ程に、夢さめぬ。
おどろきて見れば、女房くひ物をもて來たり。しうとのかたにも、物くふ音して、のゝしる。寺の物をくふにこそあるらめ。それがかくは見ゆるなりと、ゆゝしく、心うくおぼえて、女の思はしさも失せぬ。さて心ちのあしきよしをいひて、物もくはずして出でぬ。その後は、遂にかしこへゆかず成にけり。
適当訳者の呟き
いかにも「仏教説話」めいていますし、わかりやすい古文ですし、教科書とか、試験問題に使われそうな内容ですね。(実際、試験問題が検索に引っかかりました)
大安寺:
南都七大寺の1つで、奈良時代から平安時代前半は東大寺、興福寺と並ぶ大寺だったそうですが、都が平安京へ移転して以降は、元気がなくなった模様。
お寺の年表を見ると、1017(寛仁元)年に伽藍焼失、1090(寛治4)年に本堂再建、1116(永久4)年に鐘楼再建とあるので、お寺の修理を終えて、別当に元気が戻った頃の話だと思われます。
というわけで、このお話は、本堂再建に際して、多額の寄付を集めて肥え太った大安寺に対する嫌味で書かれたのかもしれません。
ちなみに、このお話は、大安寺ウェブページには掲載されていません。
別当:
べっとう。「長官」というような意味。そのお寺で一番偉い坊さん。比叡山延暦寺は「座主」、東寺は「長者」とか言ったりしました。
蔵人:
くろうど。令外官(りょうげのかん)というやつで、天皇の秘書。蔵人の中にも差はありますし、時代にもよりますが、基本的にはエリートです。
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