今は昔、三条中納言という人がいた。
三条右大臣の子息である。
才賢く、異国のこと、この社会のこと、すべてに精通していた。
心映えもかしこく、さらに肝も太くて、忍耐強い性質であった。
雅楽・笙の笛の技を極め、上手に吹くことができたし、
身長も高かったが、大いに太っている人であった。
太りすぎで、苦しいほどに肥えてきたため、
ある日、薬師の重秀(ちょうしゅう)を呼んで、
「このように太ってしまった体を、どうしたら良いと思うか。
立ち居振る舞いをするにつけて、体は重く、たいへんに苦しいのだ」
と仰せになると、重秀は、
「冬は湯漬け、夏は水茶漬けで食事をされたらよろしいでしょう」
と申し上げた。
それで中納言は、そのように食生活を改められたが、
同じように肥え太り続けたものだから、どうしようもなくて、
ふたたび重秀を呼ぶと、
「おまえの申したままにしたが、一向に効き目が無い。
何が違うのか、おまえの前で水茶漬けを食ってみせるゆえ」
と、家人どもを呼ぶと、侍が一人来たので、
「いつものように、水茶漬けを持って来い」
と命じた。
やがてお膳が運ばれてきたが、その途切れ目がない。
次々と運ばれるうち、はじめのお膳には、箸だけが据えられていて、
そこへ続けて、おかずのお皿が運ばれてくる。
おかずはと見れば、お皿の上に、
三寸・9センチほどに切られた白い干し瓜が十ばかり盛られていて、
別に、大きく広げた鮎の押し寿司が並べられている。
それらがみな、膳に並べられていた。
と、そこへ別の侍が、
銀の柄杓を立てた、大きな銀製の提の容器を、重そうに提げてきた。
そして、中納言に金椀を持ってもらうと、中の飯をよそい、
高々と盛り上げると、その脇から水を少しだけ入れて、進呈する。
大納言は、膳を引き寄せ、金椀を手に取る。
大きな金椀であるが、大納言の手が実に大きいから、別におかしくは見えない。
大納言は、干し瓜を三口を召し上がると、それを五つ六つ。
次に、水茶漬けを口へ近づけて、箸を二度ばかり動かしたと思うと、
金椀の中味がみな無くなっている始末。
そうして、
「次」
と仰るので、また差し上げる、
と、それを二度三度と繰り返すうちに、提に入れたものが空になるので、
さらに別の提が運ばれてくるのであった。
重秀はこれを見て、
「水茶漬けを療治のために食されるにしても、まさか、
このように召し上がるのであれば、この肥満がおさまるわけがない」
と、逃げ出してしまった。
かくして、大納言はとうとう相撲取りのようになってしまったそうである。
原文
三條中納言水飯事
今は昔、三条中納言といふ人有けり。三条右大臣の御子なり。才かしこくて、もろこしのこと、此世のこと、みな知り給へり。心ばへかしこく、きもふとく、おおしからだちてなんおはしける。笙の笛をなんきはめて吹給ける。長たかく、大にふとりてなんおはしける。
ふとりのあまり、せめてくるしきまで肥給ければ、薬師重秀をよびて、「かくいみじうふとるおば、いかゞせむとする。たちゐなどするが、身のおもく、いみじうくるしきなり」とのたまへば、重秀申やう、「冬は湯づけ、夏は水漬にて、物をめすべきなり」と申けり。そのまゝにめしけれど、たゞおなじやうに肥ふとり給ければ、せんかたなくて、又重秀をめして、「いひしまゝにすれど、そのしるしもなし。水飯食て見せん」とのたまひて、をのこどもめすに、侍一人参りたれば、「例のやうに、水飯してもて来」といはれければ、しばしばかりありて、御臺(だい)もて参るをみれば、御臺かたがたよそひもてきて、御前に据ゑつ。
御臺に、はしの臺斗(ばかり)据ゑたり。つゞきて、御盤(ごばん)さゝげて参る。御まかないの、臺に据うるをみれば、御盤に、しろき干瓜、三寸ばかりにきりて、十ばかり盛りたり。亦、すしあゆの、おせくゝに、ひろらかなまりを具したり。みな、御盤に据ゑたり。いま一人の侍、大なる銀(しろがね)の提に、銀のかいをたてて、重たげにもて参りたり。金鞠を給たれば、かいに御物をすくひつゝ、高やかにもりあげて、そばに水をすこし入て参らせたり。殿、盤をひきよせ給て、かなまりをとらせ給へるに、さはかり大におはする殿の御手に、大なるかなまりかなと見ゆるは、けしうはあらぬほどなるべし。干瓜三きりばかり食ひきりて、五六ばかり参りぬ。つぎに、水飯を引よせて、二度ばかり箸をまはし給ふと見るほどに、おものみな失せぬ。「又」とて、さし賜はす。さて二三度に、提の物皆になれば、又提に入て、もて参る。重秀、これをみて、「水飯を、やくとめすとも、此ぢやうにめさば、更に御ふとり直るべきにあらず」とて、逃ていにけり。
さればいよいよ相撲などのやうにてぞおはしける。
適当訳者の呟き
平安貴族の食事風景が垣間見えます。おかわり、を「また」と言うのもおもしろい。
それにしても、肉のない平安の食事で太れるって、すごいことだと思いました。
三条中納言:
藤原朝成。ふじわらのあさひら。村上天皇のころの人で、藤原伊尹(これただ・道長の伯父)と出世争いをしたという逸話があります。道長からすると、50年くらい前。
薬師重秀:
くすし・ちょうしゅう。不明。しげひで、とは読まない気がします。
御臺(御台):
おだい。御台盤の略。飯・菜などを盛った器をのせる長方形の台。要するに「角盆」だと思えば良いかと。
御盤:
ごばん。食物をのせたり、盛ったりする台や器。
台盤:
だいばん、というと、御膳をのせておく足の四本ついた台、となる模様。
提:
ひさげ。コの字型の持ち手のついた小鍋、をイメージすれば良い気がします。
画像検索すると、和風結婚式の三三九度に使うような、持ち手と注ぎ口のついた酒の容器がでてきますが、今日的には、ごはんのおひつ、で良いかと。
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