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ふたたび郡司の屋敷の、同じ部屋へやって来た佐多。
とはいえ、仕事の話など言い出しもせず、
佐多の興味は例の娘のことだけ。
だが、馴染んだ間柄であっても、こんなことはすべきではないだろうに、
佐多は、従者などへするように、
身につけていた、薄汚れ、ほころびた水干の着物を脱ぐと、
部屋を隔てる衝立の上から、隣の娘の間へ投げ込んで、
「これがほころびておるゆえ、繕って、わしに寄越せよ」
と、声も高らかに言った。
すると、いくばくもなく投げ返してきたため、
「縫い物をさせている娘だとは聞いたが、まことに早業の持ち主である」
と、荒らかな声で褒めた。
しかし着物を取ったところ、ほころびが縫ってあるわけではなく、
良質のみちのく紙を、ほころびのもとへ結びつけて、
そのまま投げ返しただけであったから、
何だろう、と見れば、
われが身は竹の林にあらねどもさたがころもをぬぎかくるかな
――わたしは竹の林ではありませんが、さたが衣を脱ぎかけてくるのですね
と書かれていた。
これを見た佐多は、
自分の「佐多」と、その昔の薩埵(さた)王子の逸話とをかけたのだと、
娘の歌に感心するのが当然――と思いきや、
一目見るなり大いに腹を立てた。
「目のつぶれた女め。
着物のほころびを縫わせようと投げたのに、ほころびを見つけもせず、
しかもあろうことか「さたの」と言うべきところを、「さたが」などと言う始末だ。
恐れ多くも我が殿様からも、長年お仕えして、「さたが」と呼ばれたことはない。
それなのに、あの女めは「さたが」と言った。あの女は、ものを知らぬ!」
このような不愉快な女、どうしてくれよう、ああしてくれようと、
さんざんに罵り、呪ったものだから、女房はとうとう泣き出してしまった。
さらに佐多は腹立ちが収まらないものだから、郡司へも、
「とんでもない女へあわれみをかけて、家へ置いたものだ。
こうなってはいずれ、我が主君より追放を申し渡されるぞ!」
と言い出す始末だから、
女はともかくおそろしく、不安な思いになるのだった。
こうしてカンカンに怒りながら、佐多は京都へ帰った。
しかし控えの間に入っても、
「とんでもないことがあった。何にも知らぬくされ女めに、
癪に障ってならぬことを言われたのだ。
殿様でさえ、『さた』とお呼びになるというのに、
あの女などから「さたが」などと呼ばれる筋合いがあるものか!」
さんざん腹を立てるが、
正直なところ、話を聞いた連中は、佐多が何を怒っているのか、理解できなかった。
「いったいどういう事をされて、そんなに怒ってるんですか」
と尋ねれば、佐多は、
「聞いてくだされ、申すゆえ――このようなことは、
皆々さまも心をあわせて、殿様に申し上げた方が良い。
ことは、一同の名誉にかかることです」
と言い、ありのままを語ったところ、
「さた、さた」
と言って笑う者もあったが、多くは疎ましげな顔をして、女の方へ同情を寄せた。
やがてこのことを、殿様の為家が聞きつけた。
御前に呼ばれた佐多は、
「我が憤りが殿様にも通じたのだ」
と喜び、勇んで参上したところ、殿様は話をよく聞いた後、
この佐多を追い出してしまったのだった。
そして例の女房を愛おしがり、いくつかの物を与えられたという。
感情のせいで身の置き所を失った男の話である。
原文
播磨守爲家侍事(つづき)
行つきけるまゝに、とかくの事もいはず。もとより見慣れなどしたらんにてだに、うとからん程は、さやあるべき。従者などにせんやうに、着たりける水干のあやしげなりけるが、ほころびたえたるを、きりかけの上よりなげ越して、たかやかに、「これがほころび縫ひておこせよ」といひければ、ほどもなくなげかへしたりければ、「物縫はせごとさすと聞くが、げにとく縫ひておこせたる女人かな」とあらゝかなる声してほめて、とりてみるに、ほころびは縫はで、みちのくに紙の文を、そのほころびのもとにむすびつけて、なげ返したるなりけり。あやしと思て、ひろげて見れば、かく書きたり。
われが身は竹の林にあらねどもさたがころもをぬぎかくるかな
とかきたるをみて、あはれなりと思しらん事こそかなしからめ、見るまゝに、大に腹をたてて、「目つぶれたる女人かな。ほころび縫にやりたれば、ほころびのたえたる所をば、見だにえ見つけずして、「さたの」とこそいふべきに、かけまくもかしこき守殿だにも、またこそこゝらの年月比、まだしか召さね。なぞ、わ女め、「さたが」といふべき事か。この女人に物ならはさむ」といひて、よにあさましき所をさへ、なにせん、かせんと、罵りのろひければ、女房は物もおぼえずして、泣きけり。腹たちちらして、郡司も、「よしなき人をあはれみ置きて、そのとくには、はては勘當かうぶるにこそあなれ」といひければ、かたがた、女、おそろしくうわしうわびしく思けり。
かく腹しかりて、帰のぼりて、侍にて、「やすからぬ事こそあれ。物もおぼえぬくさり女に、かなしういはれたる。守の殿だに、「さた」とこそ召せ。この女め、「さたが」といふべき故やは」と、たゞ腹立てば、きく人ども、え心得ざりけり。「さてもいかなる事をせられて、かくはいふぞ」と問へば、「きゝ給へよ、申さん。かやうのことは、たれもおなじ心に守殿にも申給へ。君だちの名だてにもあり」といひて、ありのまゝのことを語りければ、「さたさた」といひて、笑ふ者もあり。にくがる者もおほかり。女をば、皆いとほしがり、やさしがりけり。このことを爲家きゝて、前によびて問ければ、我なりにたりと悦て、ことごとしくのびあがりていひければ、よく聞て後、其男をば追ひ出してけり。女をばいとほしがりて、物とらせなどしける。
心から身を失ひける男とぞ。
適当訳者の呟き
「が」と「の」の違いが、さっぱり分りませんね。
格助詞「が」「の」について:
とりあえず、古代~中世の日本語では、「佐多の着ていた物」と、「佐多が着ていた物」のニュアンスが、厳密に区別されていた、という解釈になるみたいです。現代語ではどちらも似たようなものですが、「が」と言われると、侮辱された響きになった――と、書いているサイトがありました。
でも京都へ帰り、同輩に不平不満を述べた際、ほとんど同情されなかったところを見ると、その時代の多くの人にも、「が」と「の」は、大した違いではなかったようです。
とはいえ、この場合、「が」「の」の話以上に、歌を読んだ佐多が、薩埵王子の故事を知らなかった――ことに重点を置いた方がしっくり来ます。
女房の意図は、「『薩埵王子様』が、衣を脱ぎかけられるのですね」というものであったのに対し、佐多は、『佐多ごときが衣を脱ぎかけた』と解釈してしまった――とすると、適当訳者的には、安心できます。
ちなみに、この場合の「が」は、所有。「我が家」とか「君が代」でつかう、「が」です。(現代国語では、「我が」は連体詞だとされますね)
いずれにしても、我々も、佐多の同僚と同じく、「何を言ってるの、全然侮蔑じゃないじゃん……」と思いますが、佐多的には、「『我が家』『君が代』に使われる『が』は、ごく親しい身内に対してのみ使用できるのだ。長年お仕えする殿様からも言われたことがないのに、初対面に近い女に言われる筋合いはない!」ということになるのかもしれません。
まー、よく分りませんね。
薩埵王子の故事:
さった。お釈迦様の前世の人で、兄二人と竹林を歩いていたところ、目の前に腹減りで死にそうな虎の親子。
兄たちは、「この虎は、新鮮な肉じゃないと食わないんだ」「そうか。それなら、かわいそうだが仕方がない」と、立ち去りますが、薩埵王子は、「じゃあ、おいらの肉を食えば良いじゃん」と虎の前で横になります。
しかし、虎は王子の慈悲心に打たれて、食べようとしない。
そこで王子は、「それなら、おいらが死んだら食べてくれるかい」と言うや、とがった竹でのどを突いて血を出した挙句、山の上から飛び降りて、とうとう虎の餌になった……という仏説。
捨身飼虎(しゃしんしこ)といって、どこかで聞いたことがあるのでは。
[3回]
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