これも今は昔。
仲胤僧都が、比叡山の僧衆から招かれて、
日吉神社二宮で法華経を誦経する導師をされたことがあった。
説法は、えも言われぬほど良いもので、終りの方になって、
「地主権現が申せと仰るには」
と前置きして、
「比経難持、若暫持者、我即歓喜、諸仏亦然」
という文句のところで、
ことさらにの「諸仏」というところを、声高に、
「地主権現が申せと仰るには、『我即歓喜、諸神亦然』」
と唱えたものだから、そこに集まっていた僧侶たちは喜び、
口々に歓声を上げ、扇を開いてやんやと囃したのだった。
さて後日。
日吉の神様でご開帳があり、
おのおのの前で千日の講が行われた時のこと。
日吉神社二宮における誦経で、ある僧が、
仲胤僧都の唱えた文句を、そのとおり少しも違えずに唱えたため、
聞いていた人が僧都に、
「こういうことがありましたが」
と告げ口をした。
仲胤はきゃらきゃらと笑い、
「それは、こうこうの時、この仲胤が唱えた文句だ。えい、えい」
とまた笑って、
「おおかた、このごろの説教などは、犬の糞説教というものだ。
犬というのは人の糞を食って、自らも糞をする。
この仲胤が行った説教をとり、説教をするのなら、それは犬の糞説教というのだ」
と語られたという。
原文
仲胤僧都地主權現説法の事
これも今は昔、仲胤僧都を、山の大衆、日吉の二宮にて法華経を供養しける導師に、請じたりけり。説法えもいはずして、はてがたに、「地主権現の申せとさぶらふは」とて、「比経難持、若暫持者、我即歓喜、諸仏亦然」といふ文を打ち上げて誦して、「諸仏」といふ所を、「地主権現の申せと候ふは、『我即歓喜、諸神亦然』」と言ひたりければ、そこら集まりたる大衆、異口同音にあめきて、扇をひらきつかひたりけり。
これをある人、日吉の社の御正体をあらはし奉りて、おのおの御前にて、千日の講をおこなひけるに、二宮の御料の折、ある僧、この句をすこしも違へずしたりけるを、ある人、仲胤僧都に、「かかる事こそありしか」と語りければ、仲胤僧都、きやらきやらと笑ひて、「これは、かうかうの時、仲胤がしたりし句なり。ゑいゑい」とわらひて、「おほかたは、このごろの説教をば、犬の糞説教といふぞ。犬は人の糞を食て、糞をまるなり。仲胤が説教をとりて、このごろの説教師はすれば、犬の糞説教といふなり」とぞ言ひける。
適当役者の呟き:
きゃらきゃら、えいえいと笑う僧都が素敵です。
仲胤僧都:
平安末期の高僧。平家物語の前半に登場するような僧侶です。
有名な説法の名人で、色々な逸話が残っているとか。
巻一 (2)丹波国篠村、平茸のこと
に出てくるなど、ある種、水戸黄門的存在かと思われます。
日吉神社二宮:
今の日吉大社(ひよしたいしゃ)の東本宮。この頃は「ひえ」神社と呼んでいたはずです。
平家物語などで、比叡山の僧兵が都へ御神輿を担ぎ込んできますが、この神社の御神輿です。
比経難持、若暫持者、我即歓喜、諸仏亦然:
法華経に出てきます。日蓮宗の勤行で、頻繁に唱えるっぽいです。
>見宝塔品第十一の偈文(詩句)であるところから、「宝塔偈」という。法華経を末世に信じ行いひろめることの困難さをあかし、その苦難にひるまないで、つねに法華経を信じ、読み、知り、説いていかねばならないことを教えている……。
この法華経を長く保持しているのは難しいけど、もし、しばらくでも保持できたら、私自身もうれしいし、仏たちも喜ぶぜ……というような意味です。
地主権現:
じしゅごんげん。
日吉神社二宮(今でいう東本宮)の、おおやまくいの神さまのことです。大山クイ(←クイは、口へんに乍)神。
昔から比叡山におわす、土地神様のこと。
というわけで、僧都は、日吉神社(比叡山)の大衆にリップ・サービスして、
「諸仏亦然」というところを、「諸神亦然」と言い換えたのです。
法華経はすばらしいぜという、お経の大意は、変りませんね。
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