今は昔、清滝川の奥に、
柴の庵を建てて、修行を続ける僧侶がいた。
水が欲しい時は、水瓶を飛ばして汲みにやり、
それを呑んでいた。
そして年を重ね、自分ほどの行者は他にあるまいと、
時々慢心を起こすようになった。
そんな折、この僧侶の住まうところの、さらに山奥から水瓶が飛来して、
水を汲むようになった。
何者が自分のような真似をするのかと、ねたましく思い、
この僧侶が正体を見てやろうと思っているうち、また例の水瓶が飛んで来た。
水を汲み、また戻って行くから、僧侶があとについて行くと、
川上を五六十町ものぼったところに、庵が見えた。
行って確かめてみると、三間ほどの庵で、立派な持仏堂が隣に建ててあり、
実に貴く、清浄な住処であった。
庭には橘の木があって、その下に修行の跡があり、
閼伽棚の下には手向けられた花がいっぱい積まれていた。
軒下も苔むして、神さびた感じはこの上もない。
さて僧侶が窓の隙間から覗くと、机に多くの経典が巻かれていて、
絶やされることのない香の煙が満ちていた。
よくよく見ると、そこには七八十歳になる、いかにも貴い僧侶がいる。
五鈷の仏具を握り、脇息にもたれたまま居眠りをしていた。
下流から来た僧侶は、この老僧を試してみようと、
そっと近寄り、火界咒を手に祈祷したところ、
にわかに火炎が起きて、庵へ燃え移った。
が、老聖は眠ったまま散杖をとり、香水にひたし、
四方へ振りかけると、庵の火は消えた。
と、あべこべに、仕掛けた側の僧侶の衣に火が付き、
めらめらと焼いて行くのである。
下流の僧侶が、大声を放って泣き喚いていると、
老聖は目を開き、散杖を持って、頭へ水を注げば、火は消えた。
上流の聖は、
「何のために、こんな目に遭うのかね」
と尋ねた。
下流の僧侶は返事をして、
「わたくしは数年来、この川近くに庵を結び、修行を続けている者でございます。
このごろ、水瓶が飛来して、水を汲んでいるので、
どんな方がいらっしゃるのかと思い、確かめようと参りました。
そして、少し試してみようと、祈祷してみたのです。
どうかお許しください、今日からは御弟子となり、お仕えしたく存じます」
そう言ったが、
老聖は、相手が何かを言っているような顔はしていなかったという。
下の僧侶が、自分ほど貴い者はおらぬと驕慢の心を起こしたため、仏が憎み、
それ以上の聖を用意して、邂逅させたのだと、語り伝えられている。
原文
清瀧川の聖の事
今は昔、清瀧河のおくに、柴の庵をつくりておこなふ僧有ける。水ほしき時は、水瓶(すゐびゃう)を飛して、くみにやりて呑けり。年經にければ、かばかりの行者はあらじと、時々慢心おこりけり。
かゝりける程に、我ゐたる上ざまより、水瓶來て、水をくむ。いかなる者の、又かくはするやらんと、そねましくおぼえければ、みあらはさんと思ふ程に、例の水瓶飛來て、水をくみて行。其時、水瓶につきて行てみるに、水上に五六十町上りて、庵見ゆ。行て見れば、三間斗なる庵あり。持佛堂、別にいみじく造たり。まことに、いみじう貴とし。物きよくすまひたり。庭に橘(たちばな)の木あり。木下(きのした)に行道(ぎゃうだう)したる跡あり。閼伽棚(あかだな)のしたに、花がら多くつもれり。みぎりに苔むしたり。かみさびたること限なし。窓のひまよりのぞけば、机に經多く巻さしたるなどあり。不断香(ふだんかう)の煙みちたり。能(よく)見れば、歳七八十ばかりなる僧の貴げなり。五鈷をにぎり、脇息におしかゝりて、眠ゐたり。
此聖を試みんと思ひて、やはらよりて、火界咒をもちて加持す。火焔俄におこりて庵につく。聖、眠ながら散杖をとりて、香水(かうすい)にさしひたして、四方にそゝく。そのとき庵の火はきえて、我衣に火つきて、たゞやきにやく。下の聖、大声をはなちてまどふ時に、上の聖、めをみあげて、散杖を持て、下の聖の頭にそゝく。其時火きえぬ。上の聖いはく、「何料にかゝるめをばみるぞ」と問。こたへて云、「これは、とし比、川のつらに庵をむすびて、おこなひ候修行者にて候。此程、水瓶の來て、水をくみ候つるときに、いかなる人のおはしますぞと思候て、みあらはし奉らんとて参たり。ちと試みたてまつらんとて、加持しつるなり。御ゆるし候へ。けふよりは御弟子になりて仕侍らん」といふに、聖、人は何事いふぞとも思はぬげにてありけりとぞ。
下の聖、我ばかり貴き者はあらじと、驕慢の心のありければ、佛の、にくみて、まさる聖をまうけて、あはせられけるなりとぞ、かたり傳たる。
適当訳者の呟き:
またまた食器が飛びますね。
清滝川
京都府京都市北区・右京区を流れる、桂川の支流です。
嵯峨清滝、という地名があります。トロッコ列車が走る山の方ですね。
水瓶:
すいびょう。
単なる瓶じゃなくて、細い注ぎ口のついた水差し。仏具の一種です。
五鈷:
ごこ。
五鈷杵(ごこしょ)と言ったりもします。もとはインドの片手武器。両側に五本の爪がついてます。
火界咒:
かかいじゅ。
密教で、不動明王の火生(かしょう)三昧を修する際、印を結び、その印から大火炎が無限に流れ出るのを観想しながら唱える呪文――と出ます。要するに火の魔法ですね。
散杖:
さんじょう。真言宗で、加持のときに香水を壇や供物にまき散らすのに使う杖状の仏具。柳・梅などの枝で作る。灑水杖(しゃすいじょう)――だそうです。
ただの杖ではなく、まさしく水をまくための杖なのですね。
香水:
こうずい。貴婦人のつけるくさいやつじゃなくて、諸種の香をまぜた水。また、仏前に供える水。閼伽。
閼伽棚:
香水=閼伽を載せる棚。方丈記にも出てきますね。
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