大和の国の龍門寺に、お坊さんがいて、
お寺の名前をとって、龍門聖(ひじり)と呼ばれていた。
さてこの龍門聖のよく知る村人で、
毎日のように、松明を使って、鹿を殺しまくっている男がいた。
この狩人が、ある真っ暗な晩、
いつものように松明を灯して、鹿を探し求め歩いているうちに、
「おう、鹿発見」
と、松明をくるくる回してみると、確かに、この鹿の目に炎が映った。
目に炎が映った瞬間こそ射かける好機。
今だ――とばかりに、松明越しに弓を振り立てたところ、
この鹿の目の間隔が、普通の鹿のそれよりも近いようだし、
松明の映り具合も他と異なることに気がついた。
「おかしいな」
と、矢をはずして、松明を近づけてみると、
「鹿の目じゃないなあ」
と気づいて、
「よし、確かめてやれ。逃げるなら逃げてみろ」
と思って近くへ寄ったところ、少なくとも体の表面は鹿皮だったから、
「まあ、鹿は鹿だったか」
と、再度弓を引き絞ろうと思うが、それでも、
どうにも鹿の目がおかしいから、さらにぐっと近づいてみた。
するとようやく、それが龍門聖の顔だと気がついたから、
「やや、これはどうしたことですか」
と火を消し、駆け寄ってみると、
確かに龍門聖がそこで、鹿の皮をかぶって横になっていた。
「和尚さん、あなた、何でそんなことをしているんですか」
と聞くと、龍門聖は、ほろほろと泣き出して、
「おまえがわしの言うことも聞かず、さんざんに鹿を殺すものだから、
わしが鹿のかわりに殺されたなら、おまえも少しは思いとどまるかもしれないと思い、
こんなあさましい恰好をしているのだ」
そう答えたものだから、たちまち、猟師は土下座して涙を流し、
「そこまでの思し召しにもかかわらず、わたくしは何と手前勝手だったのでしょう」
と、その場で刀を抜くと弦を切り、矢筒などもみんな踏み砕いて、
髪を切って法師になってしまった。
その後この猟師は、龍門聖の存命中は聖に仕えて、
やがて亡くなった後も、同じ場所に留まって修行を続けたという。
原文
龍門聖鹿にかはらんとする事
大和國に龍門といふ所に聖ありけり。すみける所を名にて龍門の聖とぞいひける。そのひじりのしたしくしりたりけるさと人の、あけくれしゝをころしけるに、 ともしといふことをしける比、いみじうくらかりける夜照射に出にけり。鹿をもとめありく程に目をあはせたりければ、「しゝありけり。」とておしまはしおし まはしするに、たしかに目をあはせたり。矢比にまはしよりてほぐしに引かけて、矢をはげていんとて弓ふりたてみるに、この鹿の目のあひのれいの鹿の目のあ はひよりも近くて、目の色もかはりたりければ、「あやし。」とおもひて弓を引さしてよくみけるに、なほあやしかりければ、矢をはづして火をとりてみるに、 「鹿の目にはあらぬなりけり。」とみて、「おきばおきよ。」とおもひてちかくまはしよせてみれば、身は一ちやうの革にてあり。「なほ鹿なり。」とて又いん とするに、なほ目のあらざりければたゞうちにうちよせてみるに、法師の頭にみなしつ。「こはいかに。」とみており走て火うちふきてしひをりとりてみれば、 この聖の目うちたゝきてしゝの皮を引かづきてそひふし給へり。
「こはいかにかくてはおはしますぞ。」といへば、ほろほろとなきて「わぬしがせいすることをきかず、いたくこの鹿をころす。『われ鹿にかはりてころされな ば、さりともすこしはとゞまりなん。』と思へば、かくていられんとしてをるなり。くちをしういざりつ。」との給ふに、この男ふしまろびなきて、「かくまで おぼしけることをあながちにし侍ける事。」とて、そこにて刀をぬきて弓うちきり、やなぐひみなをりくだきて、もとどりきりてやがて聖にぐして法師になり て、聖のおはしけるがかぎりひじりにつかはれて、ひじりうせ給ければ、又そこにぞおこなひてゐたりけるとなん。
適当役者の呟き
竜門寺:
奈良県吉野郡吉野町に、龍門岳というのがあり、そこのふもとにあった大きなお寺っぽいです。
ちなみにこの龍門岳には、すけべえ心のせいで神通力を失った、
久米仙人が住んでいたようです。
ともし、照射:
夏山の猟で火串に松明を灯し、鹿をおびき寄せて射る猟法――だと、コピペ元に書いてありました。
あちこち検索したら、詳しくは、
「鹿狩りの時、篝火などを焚いて、暗闇の中、鹿の目が炎を反射した瞬間を狙って、矢を放った」とのこと。
それだから、原文中に、盛んに「目を合わす」と出てくるのだと思いました。
しひをりとりてみれば:
火を消して駆け下りる部分ですが、この箇所、よくわかりませんでした。
検索してもうまいこと引っかかってくれません。
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