【ひとつ戻る】
その晩は途中泊まりで翌朝、
早くから道程をつづけるうちに、巳の時ごろになって、
向うから、三十騎ばかりの人たちがやって来るのが見えた。
「迎えの者が来たようですね」
「いや、まさか違うでしょう」
と言ううちに、だんだんと近づいてきた連中が、
ばらばらと馬から降りて、
「おお、やはりここへおいででござった」
というので、利仁は微笑みつつ、現れた連中へ、
「おい、どうしたというのだ」
「それが、実に不思議なことがありまして」
「予備の馬は引き連れているか」
「二頭ございます」
家人たちは、食べ物なども用意してきたから、二人は馬から降り、
食べ始めたが、そのうちに年上の郎党が、
「夕べ、実に不思議なことがございました。
戌の刻でしたか、奥方様がにわかに、胸がきりきり痛むと仰せになり、
これはどうしたことか、医者を呼べ、僧侶を呼べと、
それはもう、大騒ぎになりましたところ、奥方様が自ら、
『騒がれませぬように。私は狐です。害意はございません
――実は今日、三津浜でこちらの殿様のお目にとまり、
逃げようとしましたが逃げ切れず、捕らえられた後、
「今日中にわしの実家へ行き、急に客人をお連れするゆえ、
明日の巳の時に、高嶋辺りまで鞍を置いた馬を2頭ほど連れて、
迎えに出るよう告げよ」と仰います。
「もし今日中に告げられなければ、ひどい目に遭わせるぞ」
とも仰いますので、どうか皆様、これからすぐご出発ください。
もし遅れるようなことがありましたら、私がきつく叱られます』
と、恐怖しつつも話しますので、こうして郎党どもを召し連れ、
ここへ朝鳥とともに参ったような次第です」
そんな話に、利仁はニヤリとしたが、
五位は完全に呆気にとられて言葉もない。
さて、食べ終って早々に出立して、
ようやく、暗くなったころに利仁の家へと到着した。
従者たちは、家の者に、
「おう見てくれ。夕べのこと、あれは本当だったよ」
と言って、口々に、主人の急な到着を驚き合った。
馬から降りた五位が改めて家の様子を見れば、
そこは尋常で無いほどきらびやかで、何とも言われぬほど立派な建物。
五位は、利仁の普段着を重ね着したものの、空腹で寒さにふるえていたところ、
長炭櫃が運ばれ、赤々と炭火をおこしてくれた。
さらに、分厚い畳を敷いて、お菓子やさまざまな食べ物を運んでくるから、
五位はだんだんと楽しくなってきたが、そこへ、
「いや、道中は寒うございましたな」
と言いながら、利仁が、練色の分厚い綿入を3枚もかけてくれたから、
五位はますます幸福な気分となった。
食事を済ませ、ようやく一同が落ち着いてくると、
やがて利仁の舅、有仁が出てきて、
「いきなり来るなんて、どういうつもりだ。
妙な使いを寄越すわ、妻を物狂いにするわ、まったく、とんでもない奴だ」
そう言われると、利仁は笑って、
「狐めの心映えを試してやろうとしたのです。どうやら、本当にこちらへ来たのですね」
「そうだ。珍しいこともあるものだな
――それで、ともに来ると言ったのは、こちらの太夫殿か」
「はい。『芋粥に飽きたことがない』と仰るので、
飽かせてさしあげようと思い、お連れしました」
「それは簡単なこと。あんなものに飽きたことがないとはおかしな御人じゃな」
ニヤリと言うと、五位は、
「ご子息は東山までちょっと風呂に行こうとたばかって、
私にそんなことを仰るのですよ」
と、こちらも上機嫌に笑って、
やがて夜も遅くなるうちに、有仁も寝室へ戻って行った。
五位もそろそろ寝ようと、寝室へ戻ってみると
厚さが四五寸もある布団が用意してある。
自前の着物では、何だか寝心地も悪いし、
蚤かダニか、かぶると体が痒くなるような代物だったので、
さっさとうち捨てて、
先ほどの練色の三つ重ねにした着物の上に、この布団をかぶって寝ることにした。
だが何せ慣れないものだから上気してしまい、
汗まみれになってゴロゴロしていると、傍らに人の気配がする。
「誰だね」
と問うと、
「お足をさするよう言いつかって参りました」
と言う。
割と好ましい相手だったから、抱き寄せて、
風通しの良い場所に寝床を移し、そこで一緒に眠ることにした。
【つづき】
原文
かくてその夜は道にとまりて、つとめてとく出で行くほどに、まことに巳のときばかりに三十騎ばかりこりて来るあり。何にかあらんと見るに、「をのこどもまうで来たり」といへば、「不定の事かな」といふ程に、ただ近に近くなりてはらはらとおるる程に、「これを見よ。まことにおはしたるは」といへば、利仁う ちひひゑみて、「何事ぞ」と問ふ。おとなしき朗等進み着て、「希有の事候ひつるなり」といふ。まづ、「馬はありや」といへば、「二疋候ふ」といふ。食物な どして来ければ、その程におりゐて食ふつひでに、おとなしき朗等のいふやう、「夜部(よべ)、希有の事候ひしなり。戌の時ばかりに、台盤所(だいばんどこ ろ)の胸をきりきりて病ませ給ひしかば、いかなる事にかとて、にはかに僧召さんなど騒がせ給ひし程に、手づから仰せ候ふやう、「何か騒がせ給ふ。をのれは 狐なり。別の事なし。この五日、三津の浜にて殿の下らせ給ひつるにあひ奉りたりつるに、逃げつれど、え逃げで捕へられ奉りたりつるに『今日のうちに我が家 に行き着きて、客人具し奉りてなん下る。明日巳の時に、馬二つに鞍置きて具して、をのこども高嶋の津に参りあへといへ。もし今日のうちに行き着きていはず は、からき目見せんずるぞ』と仰せられつるなり。をのこどもとくとく出で立ちて参れ。遅く参らば、我は勘当蒙りなんと怖ぢ騒がせ給ひつれば、をのこどもに 召し仰せ候ひれば、例ざまにならせ給ひにき。その後鳥とともに参り候ひつるなり」といへば、利仁うち笑みて五位に見合すれば、五位あさましと思ひたり。物 など食い果てて、急ぎ立ち暗々(くらぐら)に行き着きぬ。「これを見よ。まことなりけり」とあさみ合ひたり。
五位は馬よりおりて家のさまを見るに、賑はしくめでたき事物のも似ず。もと着たる衣が上に利仁が宿衣を着せたれども、身の中しすきたるべければ、いみじ う寒げに思ひたるに、長炭櫃(ながすびつ)に火を多うおこしたり。畳厚らかに敷きて、くだ物、食物し設けて、楽しく覚ゆるに、「道の程寒くおはしつらん」 とて練色(ねりいろ)の衣の綿厚らかなる、三つ引き重ねて持て来てうち被ひたるに、楽しとはおろかなり。
物食ひなどして事しづまりたるに舅の有仁出で来いふやう、「こはいかでかくは渡らせ給へるぞ。これにあはせて御使のさま物狂ほしうて、上にはかに病ませ奉 り給ふ。希有の事なり」といへば、利仁うち笑ひて、「物の心みんと思ひてしたりつる事を、まことにまうで来て告げて侍るにこそあなれ」といへば舅も笑ひ て、「希有の事なり」といふ。「具し奉らせ給ひつらん人は、このおはします殿の御事か」といへば、「さりに侍り。『芋粥にいまだ飽かず』と仰せらるれば、 飽かせ奉らんとて、率て奉りたる」といへば、「やすき物のもえ飽かせ給はざりけるかな」とて戯るれば、五位、「東山に湯沸かしたりとて、人をはかり出でて、かくのたまふなり」など言ひ戯れて、夜少し更けぬれば舅も入りぬ。
寝所と思しき所に五位入りて寝んとするに、綿四五寸ばかりある宿衣(とのゐもの)あり。我がもとの薄綿はむつかしう、何のあるにか痒き所も出で来る衣な れば、脱ぎ置きて、練色(ねりいろ)の衣三つが上にこの宿衣(とのゐもの)引き着ては臥したる心、いまだ習はぬに気もあげつべし。汗水にて臥したるに、また傍らに人のはたらけば「誰そ」と問へば、『「御足(みあし)給へ』と候へば、参りつるなり」といふ。けはひ憎からねば、かきふせて風の透く所に臥せたり。
適当訳者の呟き:
練色:
灰色っぽい茶色。
こんな色みたいです。
宿衣:
とのいもの。布団――と訳しちゃいましたが、この時代、布団はありません。
畳の上に、昼間の着物をかけて寝る、という雑魚寝みたいな感じだったらしいです。
検索したら、
「貴族たちは、寝る時に畳を敷いて、その上に横になり、昼に着ていた衣類をかけて寝ていたようです。
昼に着ていた衣類をかけるわけですから、裸になって、上に着物をかける… そんな感じだったわけです」
と出ました。
というわけで、五位さん、練色の厚い着物を3枚かけた上に、さらに4寸以上もある厚い綿入れをかぶって寝ようとしたわけですね。
[3回]
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