【はじめから】
【ひとつ戻る】
と、そのうちに表から、誰かが大声で話しているのが聞こえた。
何だろうと聞き耳を立てると、利仁の家の者のようで、
「この辺の下人ども、よく聞け。
明日の未明に、切り口3寸、長さ5尺の芋を、各自1本ずつもって来い。
わかったか!」
などと怒鳴っている。
切り口が3寸、つまり十センチで、長さが5尺、1.5メートルほどもある大きな芋。
そんなものを持って来いと言うなんて、
「大げさに言うにもほどがあるが」
五位は不思議に思いつつ、やがて寝入った。
さて、夜明け間近になると、さっそく、庭でむしろを敷く音が聞こえるから、
「何をしようというのか……」
と呟いた声に、小屋当番がやって来て、窓を開けた。
すると、庭に長むしろを4枚も5枚も敷き並べているのが見えたから。
「これから何があるのか」
と見ていると、下男が、木の幹みたいなものを肩に担いで来て、
そこへ置いて行くのである。
それに続いて、何人もの男が続いて、同じようなものを運んでくる。
よく見れば、本当に切り口が3寸くらいにもなる大きな芋を、一本ずつ、
昼近くになるまで、延々と置いて行くから、
最後には五位のいる部屋と同じくらいに積まれることになった。
昨晩叫んでいたのは、至急、周辺の下人たちに連絡する必要があったため、
「人呼びの岡」という、小高いところから叫んだものだったらしい。
それで、その声が聞こえた範囲中の人間が芋を運んできたため、
とうとう、こんなに量になったということらしかった。
それにしても、下人たちの多いこと、多いこと。
声のした範囲だから、領内には、ほかにももっといるということだ。
すさまじいことだ……と見ていると、
家の者が、巨大な五石釜を五つ六つも担いできて、庭に杭を設けて取り付けた。
「何が始るんだ?」
と見ていると、今度は古めかしい絹の衣装を着た、うら若い乙女たちが、
真っ白な新しい桶に張った水を、釜へとどんどん入れて行くのだ。
「お湯でも沸かそうというのか」
だがそれは水ではなく、どうやら甘い甘い煮汁である。
そこへさらに、薄刃の刀を手に手に、十数人もの若い衆がわらわらやって来て、
芋という芋の皮を剥き、ざくざく切って行くから、
「あ、芋粥を煮ているんだ」
と気づいたが、見ているだけでおなかいっぱいになって、
もはや食欲も失せて、何だか気持悪くなってきた。
やがて、ぐつぐつと煮えてきた頃に、
「旦那様――芋粥ができました」
と下男が言うから、
「よし、五位さんに差し上げろ」
利仁が言うと、まずは巨大などんぶり土器が運ばれてきて、
1斗も入りそうな大鍋に移した芋粥を、三つも四つも目の前に置いて、
「さあ、まずは軽く一口」
と言われるが、もうゲッソリしてしまい、一盛りさえ食べることはできない。
「済みません、もう飽きました……」
と言えば、みんな大いに笑いながら集まってきて、
「お客人のおかげで、芋粥が食えますぞ」
と、話し合っていた。
そのうちに、向いの長屋の軒先から、狐が一匹、
こちらを覗いているのに利仁が気づいて、
「あそこを見ろ。お使いの狐が出てきた――あいつにも食わせてやれ」
と言い、食わせてみるとちゃんと食べた。
こういうわけで、物持ちにというのも馬鹿らしくなるほどの大富豪のもとに、
一ヶ月ばかりも滞在して、都へ戻った時には、
五位は、普段着から晴れの衣装までたくさん持ち帰り、
ほかに普通の反物、八丈絹、綿糸、絹糸その他、皮籠へどっさり入れて、
もちろん例の夜具も、鞍を置いた馬ごと、持ち帰らせたのだった。
貧乏人とはいえ、長年勤め上げて評価されている人物は、
こうしてくれる人間が、自然と現れるものなのだ。
原文
かかる程に、物高くいふ声す。何事ぞと聞けば、をのこの叫びていふやう、「この辺の下人承れ。明日の卯の時に、切口(きりくち)三寸、長さ五尺の芋、おのおの一筋づつ持て参れ」といふなりけり。「あさましうおほのかにもいふものかな」と聞きて、寝入りぬ。
暁方(あかつきかた)に聞けば、庭に筵敷く音のするを、「何わざするにかあらん」と聞くに、小屋当番より始めて起き立ちてゐたる程に、蔀(しとみ)あけ たるに見れば長筵(ながむしろ)をぞ四五枚敷きたる。「何の料(れう)にかあらん」と見る程に、下種男(けすをとこ)の、木のやうなる物肩にうち掛けて来 て一筋置きて往ぬ。その後うち続き持て来つつ置くを見れば、まことに口三寸ばかりなるを、一筋づつ持て来て置くとすれど、巳の時まで置きければ、ゐたる屋 と等しく置きなしつ。夜部叫びしは、はやうその辺にある下人の限りに物いひ聞かすとて、人呼びの岡とてある塚の上にていふなり。ただその声の及ぶ限りのめ ぐりの下人の限り持て来るにだにさばかり多かり。まして立ち退きたる従者どもの多さを思ひやるべし。あさましと見たる程に、五石なはの釜を五つ六つ担き持 て来て、庭に杭ども打ちて据ゑ渡したり。「何の料(れう)ぞ」と見る程に、しほぎぬの襖(あを)といふもの着て帯して、若やかにきたなげなき女どもの、白 く新しき桶の水を入れて、この釜どもにさくさくと入る。「何ぞ、湯沸かすか」と見れば、この水と見るはみせんなりれり。若きをのこどもの、袂より手出した る、薄らかなる刀の長やかなる持たるが、十余人ばかり出て来て、この芋をむきつつ透(す)き切りに切れば、「はやく芋粥煮るなりけり」と見るに、食ふべき 心地もせず、かへりては疎ましくなりにけり。
さらさらとかへらかして、「芋粥出でまうで来にたり」といふ。「参らせよ」とて、まづ大きなる土器(かはらけ)具して、金の提(ひさげ)の一斗(とう) ばかり入りぬべきに三つ四つに入れて、「かつひとつ」とて持て来るに、飽きて一盛りをだにえ食はず。「飽きにたり」といへば、いみじう笑ひて集まりゐて 「客人(まらうど)殿の御徳に芋粥食ひつ」と言ひ合へり。かやうにする程に、向かひの長屋の軒に狐のさし覗きてゐたるを利仁見つけて、「かれ御覧ぜよ。候 ひし狐の見参するを」とて、「かれに物食はせよ」といひければ食はするにうち食ひてけり。
かくて万の事、たのもしといへばおろかなり。一月ばかりありて上けるに、けをさめの装束どもあまたくだり、またただの八丈、綿、絹など皮籠(かはご)どもに入れて取らせ、初めの夜の宿衣(とのゐ)ものはた更なり。馬に鞍置きながら取らせてこそ送りけれ。
きう者なれども、所につけて年比(としごろ)になりて許されたる者は、さる者のおのづからあるなりけり。
適当訳者の呟き
芥川龍之介「芋粥」とだいぶ違いますね。
これで、宇治拾遺の第一巻はおしまい。
でも最後に来るのがそうとう長いので、ここで断念したくなります(ちゃんと続きますよ!)。
あと、最後の一文を読み返して、物語の前半をちょっと修正しました。
藤原利仁:
延喜15年(915年)に、下野国高蔵山で貢調を略奪した群盗数千を鎮圧するなど、平安時代の代表的な武人として伝説化され多くの説話が残された、らしいですよ。
ついでに、越前国敦賀の豪族藤原有仁の娘婿で、母も越前国出身。
越前へ養子に入ったということかしら。義父の名前を継いでますし。
[14回]
PR