【一つ戻る】
さて二年後。
僧伽多(そうきゃた)の妻であった、あの羅刹の女が、
不意に僧伽多の家へやって来た。
以前見ていたよりも、いっそう麗しく、えも言われぬほど美しくなっており、
しかも僧伽多に語るには、
「あなた様とは前世からの契りがあると存じ、殊に愛おしく思っておりましたところ、
あのように私を捨てて立ち去ってしまったのは、どのような思し召しであったのか。
わたくしの国には、あのような鬼がときおり現れては、人を食らうのです。
そのために門には錠をさし、高く築地塀を築いているのです。
そのような事情でありますから、あなた様や、ほかの方々が浜辺から立ち去り、
わたくしどもが立ち騒いでおりましたのを、鬼どもが聞きつけ、
怒り狂ったさまを、あなた様へ見せつけたのです。
ですから、あれは決して、わたくしなどのしたことではございません。
あなた様が島をお出になってからは、あまりに恋しく、悲しく思えてなりません。
……あなた様は、そのようには思し召しませんか」
そう言って、さめざめ泣き出してしまったから、
普通の人の心では、この女の言葉を信じたであろう。
だが僧伽多は、大いに怒って見せ、太刀を抜き払うや、
女を殺そうとしたのである。
これを大いに恨みに思った女は、
僧伽多の家を飛び出すや宮中へ参上して、
「僧伽多は、わたくしの数年来の夫でございます。
それなのに、わたくしを捨てて、ともに暮さぬと申しております。
このことは、どなたに訴えたらよろしいのですか。
どうか帝、これをお裁きくださいませ」
と申し上げた。
さて女の姿を一目見た公卿や殿上人。
たちまち、これに愛欲を覚え、女に惑溺しない者はなかった。
さらに帝もこのことをお聞きになり、ひそかに覗いてご覧になると、
なるほど、女は、言葉にならないほど美しい。
目を転じて、周りの女御、后をご覧になれば、まるで土人形。
現れた女はまさに珠玉であって、
あれほどの女を捨てる僧伽多はどんな精神をしているのかと、
帝は僧伽多を呼びつけた。
そして、帝からのおたずねに、僧伽多が答えるには、
「あれは決して内裏へ入れて、ご覧になってはならぬ者です。
返す返すも恐ろしき奴です。このままではゆゆしき、大問題が生じましょうぞ」
と申し上げて、戻って行った。
帝はそのことをお聞きになると、
「僧伽多という男は、実に頼み甲斐の無い男である。
よしよし、女を、裏門より宮中へ入れよ」
と、近臣を通じて仰せになり、夕暮れになって、女は参内した。
さて帝は、女を近くへ招き、改めてじっくりご覧になると、
化粧といい、立姿といい、見目の麗しさ、香り、すべて限りなく愛おしく思われた。
そうして、女とともに御寝所で夜をともにされるようになると、
二日三日を過ぎても、起き出されることはなく、
自然、政治のこともなおざりになってしまった。
それを聞いた僧伽多がまた参上し、
「ゆゆしき事態が出来したと考えるしかありません。あさましきことかな。
このままでは帝は、すぐにも殺されてしまいますぞ」
と申し上げたが、聞き入れる者はなかった。
そうして三日目の早朝。
未だ御殿の格子戸は開けられないが、例の女が夜の御殿より出てきた。
と、その立ち姿を見れば、目付も変じ、世にも恐ろしげなさまとなっており、
口には血がついていた。
そうして女は、しばし、宮殿の中を見回していたと思うと、
軒から飛び立つようにして雲間へ入り、たちまち消え失せてしまったのである。
不思議に思った人々は、このことを申し上げようと、
帝の御寝所へと集ったが、そこには赤い首が、一つ残っているだけであった。
そのほかの物は何も無い。
宮中、言葉にならぬほど大騒ぎになり、臣下は男女問わず、限りなく泣き悲しんだ。
(つづく)
原文
僧伽多羅刹国に行く事(つづき)
二年を経て、この羅刹女の中に、僧伽多が妻にてありし、僧伽多が家に来たりぬ。見しよりもなほいみじくめでたくなりて、いはん方なく美しく、僧伽多にいふやう、「君をばさるべき昔の契にや、殊に睦ましく思ひしに、かく捨てて逃げ給へるは、いかに思すにか。我が国にはかかるものの時々出で来て、人を食ふなり。されば錠をよくさし、築地を高く築きたるなり。それに、かく人の多く浜に出でてののしる声を聞きて、かの鬼どもの来て、怒れるさまを見せて侍りしなり。敢へて我らがしわざにあらず。帰り給ひて後、あまりに恋しく悲しく覚えて。殿は同じ心にも思さぬにや」とて、さめざめと泣く。おぼろげの人の心には、さもやと思ひぬべし。されども僧伽多大に瞋りて、太刀を抜きて殺さんとす。限なく恨みて、僧伽多が家を出でて、内裏に参りて申すやう、「僧伽多は我が年比の夫なり。それに我を捨てて住まぬ事は、誰にかは訴へ申し候はん。帝皇これを理り給へ」と申すに、公卿、殿上人これを見て、限なくめで惑はぬ人なし。帝聞し召して、覗きて御覧ずるに、いはん方なく美し。そこばくの女御、后を御覧じ比ぶるに、みな土くれのごとし。これは玉のごとし。かかる者に住まぬ僧伽多が心いかならんと、思し召しければ、僧伽多を召しければ、僧伽多を召して問はせ給ふに、僧伽多申すやう、「これは、更に御内(みうち)へ入れ見るべき者にあらず。返す返す恐ろしき者なり。ゆゆしき僻事出で来候はんずる」と申して出でぬ。
帝この由聞し召して、「この僧伽多はいひがひなき者かな。よしよし、後の方より入れよ」と、蔵人して仰せられければ、夕暮方に参らせつ。帝近く召して御覧ずるに、けはひ、姿、みめ有様、香ばしく懐かしき事限なし。さて二人臥させ給ひて後、二日三日まで起きあがり給はず、世の政をも知らせ給はず。僧伽多参りて、「ゆゆしき事出で来たりなんず。あさましきわざかな。これはすみやかに殺され給ひぬる」と申せども、耳に聞き入るる人なし。かくて三日になりぬる朝、御格子もいまだあがらぬに、この女夜の御殿より出でて、立てるを見れば、まみも変りて、世に恐ろしげなり。口に血つきたり。」暫し世中を見まはして、軒より飛ぶがごとくして、雲に入りて失せぬ。人人この由申さんとて、夜の御殿に参りたれば、赤き首一つ残れり。その外は物なし。さて宮の内、ののしる事たとへん事なし。臣下、男女泣き悲しむ事限なし。
適当訳者の呟き:
たいへんなホラー話になってきました。
后や女御を見れば土くれ、と思ってしまう帝が素敵です。さらに続きます!
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