これも今は昔。
比叡山の横川に、賀能ち院という、破戒無慚な僧侶がいた。
昼夜を問わず、仏に供えられたものを奪って、使い込んでばかりいたが、
それでもある程度上級の、執行(しゅぎょう)の地位にあった。
ある日。
この賀能が、寺の政所へ行く途中、
塔の下をとおりかかったところ、色々なものが捨て置かれている中に、
古いお地蔵様が立っていることに気がついた。
賀能は、それから時々、そのお地蔵様を敬っている様子を示すようになり、
かぶっている頭巾を脱いで頭を傾け、拝みながら行くこともあった。
やがて、この賀能は死亡する。
訃報を聞いた師の僧都は、
「賀能は破戒無慚の者であったから、後生では、
さだめて地獄へ落ちてしまうこと、疑いもない」
と心配し、憐れみを寄せていた。
そんな頃、
「塔の下にあった地蔵が、このごろ見えなくなったが、どうしたことかだろう」
と、寺内の人々が言うようになった。
「誰ぞ、修理してさしあげようと、持って帰ったんじゃないか」
などと言っているうちに、師の僧都がこんな夢を見た。
「あの地蔵様が無くなってしまったが、これはどういうことか」
と不思議がっていると、僧都の傍らに別の僧侶がやって来て、
「あの地蔵菩薩は、賀能ち院が、はや無間地獄へ落ちたその日に、
ただちに助けてやろうと、賀能とともに地獄へお入りになったのだ」
と言う。
僧都は夢心地ながら、それはおかしいと思い、
「いかにして、あのような罪人とともに地獄へ入られたのか」
と問うと、
「塔のもとを通り過ぎる際、賀能は地蔵を見て、時々拝んでいたゆえである」
と答えた。
夢から覚めて、僧都が塔のもとへ行ってみると、
やはり地蔵は無くなっている。
では本当に、地蔵菩薩は賀能について行かれたのだと思っていると、
その後、地蔵が塔のもとへ戻っているのを夢に見て、
「これは消え失せていた地蔵様だ。いかにして、またお出になったのか」
と不思議がっていると、ふたたび誰かが答えて、
「賀能とともに地獄へ入られた後、賀能を助けて、帰って来られたのです。
そのため、御足が焼けていますよ」
と言われて地蔵の足を見れば、なるほど黒く焼けているようだった。
僧都は夢心地ながら、まことに有り難いことだと感動した。
さて目覚めれば、僧都は感涙をとめることができず、
急いで塔のもとへ駆けつければ、現実でも地蔵がお立ちになっている。
さらに足を見れば、これもまことに焼けていたものだから、
あわれにも心打つこと限りなかった。
そして泣きながら、僧都はこの地蔵を、さまざまの物の間より抱えあげたのだった。
その地蔵は、今も御山にある、二尺五寸ほどのものだと人は語っている。
この話を語ってくれた人は、拝観したことがあるとのこと。
原文
山横川賀能地蔵の事
これも今は昔、山の横川に、賀能ち院といふ僧、破壊無慚の者にて、晝夜に佛の物をとり遣ふことをのみしけり。横川の執行にてありけり。政所へ行とて、塔のもとを常にすぎありきければ、塔のもとに、ふるき地蔵の、物のなかに捨置きたるを、きと見たてまつりて、時々、きぬかぶりしたるをうちぬぎ、頭をかたぶけて、すこしすこしうやまひおがみつゝゆく時も、有りけり。かゝる程に、かの賀能、はかなく失せぬ。師の僧都、これを聞きて、「かの僧、破壊無慚の者にて、後世さだめて地獄におちん事、うたがひなし」と心うがり、あはれみ給ふ事かぎりなし。
かかる程に、「塔のもとの地蔵こそ、この程みえ給はね。いかなることにか」と、院内の人々いひあひたり。「人の修理し奉らんとて、とり奉たるにや」などひけるほどに、この僧都の夢にみ給やう、「この地蔵の見え給はぬは、いかなることぞ」と尋給に、かたはらに僧ありていはく、「この地蔵菩薩、はやう賀能ち院が、無間地獄におちしその日、やがてたすけんとて、あひ具していり給し也」といふ。夢心ちにいとあさましくて、「いかにして、さる罪人には具して入給たるぞ」と問ひ給へば、「塔のもとを常にすぐるに、地蔵をみやり申て、時々おがみ奉りし故なり」とこたふ。夢さめてのち、みづから塔のもとへおはしてみ給に、地蔵まことに見え給はず。
さは、此僧に誠に具しておはしたるにやとおぼす程に、其後、又、僧都の夢にみ給やう、塔のもとにおはしてみ給へば、この地蔵たち給たり。「是はうせさせ給し地蔵、いかにして出でき給たるぞ」とのたまへば、又人のいふやう、「賀能具して地獄へいりて、たすけて帰給へるなり。されば御足のやけ給へるなり」といふ。御足をみ給へば、まことに御足くろう焼給ひたり。夢心ちに、寔にあさましき事かぎりなし。
さて夢さめて、涙とまらずして、いそぎおはして、塔の許(もと)をみ給へば、うつゝにも、地蔵たち給へり。御足をにれば、誠にやけ給へり。これをみ給に、哀にかなしきことかぎりなし。さて、泣く泣くこの地蔵を、いだき出し奉給てけり。今におはします。二尺五寸斗(ばかり)のほどにこそと、人は語りし。
是語ける人は、おがみ奉りけるとぞ。
適当役者の呟き:
地蔵様は本当、ありがたいですね。
これで第五巻おしまいです!
賀能ち院:
賀能「知院」としている人もいましたが、どっちにしても誰だか分りません。
師匠の僧都も、誰だかわかりませんでした。
執行:
しぎょう、しゅぎょう。仏教的には、「しっこう」ではないようです。
寺院で、みんなのリーダー的存在として諸務を執行する僧職……ある程度は、上の役職ですね。
そんな役職に、破戒無慙な僧侶。。。
無間地獄:
八つある地獄のうちで、もっとも恐ろしい場所だそうです。
等活地獄、黒縄地獄、衆合地獄、叫喚地獄、大叫喚地獄、焦熱地獄(炎熱地獄)、大焦熱地獄(大炎熱地獄)、そして阿鼻地獄(無間地獄)。
地獄の中でも最下層にあって、ここへ落ちるまで、まっ逆さまに落ち続けて二千年かかるそうです。
舌を抜かれ釘を百本、打たれ、毒や火を吐く虫や大蛇に責めさいなまれ、熱鉄の山を上り下り……。
そんなところへ行って、人を助けて、戻ってきたのですから、お地蔵様はすごいです。
破戒無慚:
はかいむざん。戒律や約束事を破り、恥じないこと。
政治家。
[4回]
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