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一乗寺の僧正は、大和の大峰山を二度踏破されたことのある高僧だった。
蛇を見る法を、行ったという。
また、龍の駒ほどの名馬を見るなど、おかしなありさまで修行をされた人であった。
僧正の宿坊は、坊の一二町も手前から賑わっていた。
田楽や猿楽などをする輩が集まり、
随身、衛府の役人たちの出入りも頻繁だった。
物売りも群がっていて、鞍や太刀、さまざまなものを売りに来たが、
僧正は、それらをみな、言われるがままの値段で購入するため、
門前には、市をなして、人々が集っていた。
そうして、この僧正のもとへ、世の宝物が集るようになった。
僧正はまた、呪師の小院という童子を愛されていた。
鳥羽における田植えの折、見つけた童子で、
杭に乗り、水に濡れて田植えしていたところを見初められた。
童子を見るや、僧正は左右に言って、このごろするように、
扇を手に立ち上がり、輿から飛び出したものだから、
周りで見ていた者も、驚き驚きしたものだった。
そして僧正は、この童子を寵愛するあまり、
「もう堪らん。法師になって、昼夜わしのもとから離れずに過ごすように」
と命じたところ、童子は、
「さすがにそれはどうでしょうか。今しばらく、このままの姿で」
と申し上げる。
でも僧正は愛おしさのあまりに、
「とにかく早く僧体になれ」
と言うものだから、童子もしぶしぶ法師になるのだった。
そうして季節が巡り、春雨の続く退屈な日。
ふと僧正が人を呼んで、
「あの田楽の衣装はあるか」
と問うと、
「納め殿の間に、いまだございます」
「取って参れ」
それで運ばれてくるので、今は僧侶となった呪師の小院に、
「これを着よ」
と言われる。
小院は、
「今さら着ても、坊主頭ですし、みっともないですよ」
と拒むが、僧正は、
「とにかく着よ」
と責め立てる。
小院は仕方なく、部屋の隅へ行って装束を身につけると、頭巾をして出てきたが、
その姿は昔と露ほども変らなかった。
僧正、これをじっと見つめ、しきりに手招きをして、
「おまえは未だ、昔の走り方、踊り方を覚えているか」
と、恥ずかしそうにする小院に問うと、
「もう覚えていません。
でも正確な型はともかく、よくよく躾けられたことなので、少しは覚えております」
と言い、小院は田の畝を通るように、田楽走りを見せた。
頭巾を持ち、一拍子ほども踊るのを見て、
僧正は突然、声を上げて鳴き始めた。
そうして、
「こっちへ来よ」
と呼び寄せると、小院を撫で回し、
「どうしておまえを出家をさせてしまったのか」
と泣くので、小院も、
「だから私も、剃髪のことは、今しばらくと申し上げましたものを」
と答えた。
それから僧正は、小院の装束を脱がせると、障子の内へ連れて入ったという。
その後どうなったことか、知らない。
原文
御室戸僧正事・一乗寺事(つづき)
一乘寺僧正は、大嶺は二度通られたり。蛇をみる法行はるゝ。又龍の駒などを見などして、あられぬありさまをして、行ひたる人なり。その坊は一二町ばかりよりひしめきて、田楽、猿楽などひしめき、隨身、衞府のをのこ共など、出入ひしめく。物うりども、いりきて、鞍、太刀、さまざまのものをうるを、かれがいふまゝに、あたひを賜びければ、市をなしてぞ集ひける。さて此僧正のもとに、世の寳は集ひあつまりたりけり。
それに呪師(じゅし)小院といふ童を、愛さられけり。鳥羽の田植に見つきしたりける。さきざきいくひにのりつゝ、みつきをしけるをのこの田うゑに、僧正いひあはせて、この比するやうに、扇にたちたちして、こはゝより出たりければ、大かた見る者も、驚き驚きしあひたりけり。此童餘りに寵愛して、「よしなし。法師に成て、夜書はなれずつきてあれ」とありけるを、童「いかゞ候べからん。今しばし、かくて候はばや」と云ひけるを、僧正猶いとほしさに、「たゞなれ」と有ければ、童、しぶしぶに法師になりにけり。
さてすぐる程に、春雨打そゝぎて、つれづれなりけるに、僧正、人をよびて、「あの僧の装束はあるか」と問はれかれば、此僧「納(をさめ)殿にいまだ候」と申ければ、「取て來」といへれけり。もてきたるを、「是を着よ」といはれければ、咒師小院、「みぐるしう候なん」と、いなみけるを、「唯着よ」と、せめのたまひければ、かた方へ行て、さうぞきて、かぶとして出できたり。露むかしにかはらず。僧正、うちみて、かひをつくられけり。小院又おもがはりしてたてりけるに、僧正「未はしりて御おぼゆや」とありければ、「おぼえさぶらはず。たゞし、かたさらはのうてぞ、よくしつけてこし事なれば、少おぼえ候」といひて、せうのなかわりてとほる程を走りてとぶ。かぶともちて、一拍子にわたりけるに、僧正、聲をはなちて泣かれける。さて、「こち來よ」と、呼びよせて打なでつゝ、「なにしに出家をさせけん」とて、泣かければ、小院も、「さればこそ、いましばしと申候ひしものを」といひて、装束ぬがせて、障子の内へ具して入(い)られにけり。其後はいかなる事かありけん、しらず。
適当訳者のつぶやき:
まさかのボーイズラブ。
というわけで、前半と後半、まったく関係無いですね。。。後半の話に欠落がある、と言ってる人がいました。そうかもしれません。
ちなみに、後半の訳は、ちょくちょくと言葉を補っています。
蛇をみる法:
蛇を見つめる修行法だと思いましたが、それで修行になるのかは分りません。
龍の駒:
龍のような、名馬。これを見ることがどうして修行になるのか、やっぱり不明です。
畜生にも仏性がある! とか、そういう悟りでしょうか。
田楽:
田楽は、田植えの前に豊作を祈る田遊びから発達した――と出ます。
この話からすると、泥まみれになって、田んぼの中を走り回る感じだったのかもしれないと思いました。
猿楽:
こちらは、滑稽な躍りです。
今の「能」のもとになったものですが、最初はむしろ「狂言」に近い形体だったとか。
呪師小院:
じゅしこいん。呪師は、まじないをする人、また、法会の後などに、法力の効果をわかりやすく見せるために踊る人のこと。寺院に住む猿楽法師が担当した――と出ます。
かわいらしい童子も出てきて、きゃあきゃあ言われていたのだと思われます。
田楽について:
正直なところ、僧正が小院を見初める場面、「田植に見つきしたりける。さきざきいくひにのりつゝ、みつきをしけるをのこの田うゑに、僧正いひあはせて、この比するやうに、扇にたちたちして、こはゝより出たりければ」とか、僧正が昔をなつかしむ場面など、よく分りませんでした。
というわけで、小院が「田植えに見つきしたりける」というのは、「みつき=水漬き、したりける」に置き換えて訳してますし、「扇にたちたちして、こはゝより出たり」を「扇を手に立ち上がり、輿から飛び出した」と訳したのは、ほとんど空想です。
だれか教えて下さい。
ちなみに田楽の様子については、今でもあちこちの伝統文化、「田植踊り」などといって残ってますが、どうしても、江戸時代フィルターのため変質しているっぽく、平安後期の用語と対応しない部分が多い気がします。(「踊る」というより「走る」といってたり)
なにしに出家をさせけん:
出家をする=坊主頭にする。
かわいらしい髷(前髪)というのは、最高の萌え萌えアイテムだったのですね。
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