これも今は昔。
神楽の脇役、陪従(べいじゅう)といえばこんな奴ばかりだが、
世に例の無いほどのふざけ名人がいた。
堀河院の御時、内侍所で御神楽が催された夜、
「今夜は何か珍しいことをしてみせよ」
という仰せがあったので、担当役人は家綱を呼び、この仰せを申しつけた。
家綱、承知すると、さっそく何事をしようかと案じて、
弟の行綱を片隅へ招き寄せると、
「このような仰せに、わしが考えたことがあるが、どうだ」
「どのような事をご覧にいれようというのですか」
そう問うと、家綱はこう提案した。
「庭で白々と焚き火が燃やされているから、その前で袴を高く引き上げ、
脛を剥き出しにしたところで、
『よりによりに夜の更けて、さりにさりに寒きに、ふりちうふぐりを、ありちうあぶらん』
――さてもさても夜も更けて、こんなにこんなに寒いので、ふりふりと金玉を炙ろうぞ
とか言いながら、焚き火の周りを三回ほど駆け回ろうかと思うが、どうだ」
と言うと、行綱は、
「それも悪くはございません。
ただ、陛下の御前で、脛を丸出しにして、ふぐりを炙ろうなどというのは、
少し具合が悪いように思うのですが」
そう言うので、家綱、
「そう言われてみればそうだ。では他のことをしよう。うむ、相談して良かった」
と答えた。
さて、お神楽の本番。
陛下の仰せを聞きつけた殿上人などは、
さあ、今夜はどんなおもしろいことがあるのだろうと、
目を輝かせて待っているところへ、神楽役の長が、
「家綱参ります」
と声をかけて、家綱が出たが、
大したこともないような神楽をやって、引っ込むので、
天皇さまたちも、何だこれは、と思っているところへ、神楽の長が再び出て、
「行綱参ります」
と、今度はまことに寒々しい恰好をした行綱が出てきたと思うと、
袴を股まで掻き上げて、足を剥き出しにするや、
わななき、寒そうな声で、
「よりによりに夜の更けて、さりにさりに寒きに、ふりちうふぐりを、ありちうあぶらん」
などと言いながら、焚き火の周りを十回も走り回ったものだから、
天皇さまも大勢の観客もどっと大爆笑。
これを見た家綱、片隅に隠れていたが、
「きゃつに謀られた!」
と臍をかみ、それからは仲違いをして、
目も合わさぬようにしてしばらく過ごしていたが、そのうちに家綱の方で、
「謀られたのは憎いが、まあ、それでつきあいを止めるほどでもないか」
と思って、行綱へ、
「あのことは些細なことだ。兄弟で仲違いして縁切りするほどでもない」
と言ってやると、行綱は喜び、それからも仲良く行き交うようになった。
【つづき】
原文
陪従家綱行綱互ひに謀りたる事
これも今は昔、陪従はさもこそはといひながら、これは世になき程の猿楽(さるがく)なりけり。堀河院の御時、内侍所の御神楽の夜、仰にて、「今夜珍しからん事つかうまつれ」と仰ありければ、職侍、家綱を召して、この由仰せけり。承りて、何事をかせましと案じて、弟行綱を片隅へ招き寄せて、「かかる事仰せ下されたれば、我が案じたる事のあるは、いかがあるべき」といひければ、「いかやうなる事をせさせ給はんするぞ」といふに、家綱がいふやう、庭火白く焚きたるに、袴を高く引き上げて、細脛を出して、『よりによりに夜の更けて、さりにさりに寒きに、ふりちうふぐりを、ありちうあぶらん』といひて、庭火を三めぐりばかり、走りめぐらんと思う。いかがあるべき」といふに、行綱が曰く、「さも侍りなん。ただしおほやけの御前にて、細脛かき出して、ふぐりあぶらんなど候はんは、便なくや候べからん」といひければ、家綱、「まことにさいはれたり。さらば異事をこそせめ。かしこう申し合せてけり」といひける。
殿上人など、仰せ承りたれば、今夜いかなる事をせんずらんと、目をすまして待つに、人長、「家綱召す」と召せば、家綱出でて、させる事なきやうにて入りぬれば、上よりもその事なきやうに思し召す程に、人長また進みて、「行綱召す」と召す時、行綱まことに寒げなる気色をして、膝を股までかき上げて、細脛を出して、わななき寒げなる声にて、「よりによりに夜の更けて、さりにさりに寒きに、ふりちうふぐりを、ありちうあぶらん」といひて、庭火を十まはりばかり走りまはりたるに、上よりも下ざまにいたるまで、大方とよみたりけり。家綱片隅に隠れて、きやつに悲しう謀られぬるこそとて、中違ひて、目も見合せずして過ぐる程に、家綱思ひけるは、謀られたるは憎けれど、さてのみやむべきにあらずと思ひて、行綱にいふやう、「この事さのみぞある。さりとて兄弟の中違果つべきにあらず」といひければ、行綱悦びて行き睦びけり。
適当役者の呟き:
アホな兄弟ですね。
つづきます!
陪従:
べいじゅう、と読みます。お祭の際に、神楽などを舞う専門職に従って、琴や笛などの楽器を担当する人。
メインの舞人たちは専門職で、れっきとした官職を持ってたりします。
家綱、行綱:
不詳ですが、検索しまくったら藤原実範の息子だとしているサイトがありました。(でも
Wikipediaで見る限り、実範の息子に行綱はいますが、家綱はいません。
藤原実範は、藤原道長・後一条天皇時代の藤原南家の文章博士。漢詩で有名だったみたいです。
猿楽:
さるがく。
平安末期以降に大流行する、「能」の原型の、そのまた原型で、神楽などの余興として、即興で演じられた滑稽踊り――をやるような、「ひょうきん者」の意味もあるようです。
庭火:
にわび。庭の焚き火。
よりによりに夜の更けて、さりにさりに寒きに、ふりちうふぐりを、ありちうあぶらん:
韻を踏んでますが、要するに、くだらんことを言ってます。
最初の韻部分は大した意味がないと見て、
「さてもさても夜も更けて、こんなにこんなに寒いので、ふりふりとふぐりを、炙ろう」。
ふぐり:
きんたま。
[4回]
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