今は昔、伯の母が、永縁僧正という高僧を招いて、
つくらせた仏の供養を行ったときのこと。
僧正の前、いろいろと寄進物を並べた中に、紫色の薄物に包んだものがあった。
開けてみると、
朽ちけるに長柄の橋の橋柱 法のためにも渡しつるかな
――朽ちてしまった長柄橋の柱ですが、仏法のためにもお渡しします。
と添え書きのある、長柄橋の橋柱のかけらであった。
さてその翌朝早く。
寄進物を受けとった永縁僧正のもとに、若狭の阿闍梨・隆源という歌人がやって来た。
「まことに興味深いことを、お聞きいたしまして」
と言い、懐から弟子入り志願の名刺を差し出して、
「長柄橋の切れ端を、私にくださいませ」
と申し出た。
永縁僧正が、
「あれほど珍しいもの。いくら弟子であっても、どうして差し上げられましょう」
と言うと、
「どうしてもダメですか。惜しいことです」
と言うと、隆源阿闍梨は、さっさと帰って行った。
まったく、風雅というか、物好きというか、
感興を覚えることである。
原文
同人仏事事
今は昔、伯(はく)の母仏供養(ほとけくやう)しけり。永縁(やうえん)僧正(そうじやう)を請(しやう)じて、さまざまの物どもを奉る中に紫の薄様 (うすやう)に包みたる物あり。あけて見れば、朽(く)ちけるに長柄(ながら)の橋の橋柱法(のり)のためにも渡しつるかな長柄の橋の切(きれ)なりけ り。
またの日まだつとめて、若狭阿闍梨(わかさのあじやり)隆源といふ人歌よみなるが来たり。「あはれ、この事を聞きたるよ」と僧正思(おぼ)す。み懐(ふ ところ)より名簿(みようぶ)を引き出でて奉る。「この橋の切賜(きれたまは)らん」と申す。僧正、「かばかりの希有(けう)の物はいかでか」とて、「何 (なに)しにか取らせ給はん。口惜(くちを)し」とて帰りにけり。すきずきしくあはれなる事どもなり。
適当訳者の呟き
つまりコレクター魂ですね。
同人:
先ほどの、第41話に出てきた伯の母のことです。
永縁僧正:
ようえんそうじょう。初音(はつねの)僧正とも言うみたいです。
歌詠みの名人です。
若狭阿闍梨・隆源
わかさのあじゃり、りゅうげん。
後拾遺和歌集の編集を行うなど、これまた歌詠みの名人。
長柄橋:
ながらばし。飛鳥時代~平安初期に、淀川にかかっていた大きな橋みたいです。
以下wikipedia
――推古天皇の時代(飛鳥時代)、古代の長柄橋の架橋は難工事で、人柱を捧げなければならないという状況になった。そのことを垂水(現在の吹田市付近にあ たる)の長者・巌氏(いわうじ)に相談したところ、巌氏は「褌(はかま)に継ぎのある人を人柱にしなさい」と答えた。しかし皮肉にも、巌氏自身が継ぎのあ る褌(はかま)をはいていたため、巌氏が人柱になった。
巌氏の娘は北河内に嫁いだが、父親が人柱になったショックで口をきくことができなくなったため実家に帰されることになった。夫とともに故郷に向かっている 途中、1羽の雉が声を上げて飛び立ったので、夫は雉を射止めた。その様子を見た巌氏の娘は「ものいわじ父は長柄の人柱鳴かずば雉も射られざらまし」と詠ん だという。妻が口をきけるようになったことを喜んだ夫は、雉を手厚く葬って北河内に引き返し、仲良く暮らした。
……橋は、歌の題材として有名だったのですね。
「雉も鳴かずば打たれまい」
が、こんなところに出て来ました!
[5回]
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