今は昔、多気の大夫という豪族の当主が、
常陸の国から、ある訴訟のため上京したとき、
滞在先の向いに住む、越前守という人のもとで、説法会が開催された。
ちなみにこの越前守は、「伯の母」とも呼ばれ、
世間からたいそう尊ばれていた歌詠み名人の、父親。
越前守の妻は伊勢の大輔で、そこには姫君たちがたくさんいたのである。
さて多気の大夫が、暇つぶしがてら、その説法会へ参加した折、
ふと御簾が風で吹き上げられて、屋内が表から見ることができた。
そして大勢いる中で、紅の単衣着物を身につけた、とりわけ美しい人に目をとめて、
「あの人を私の妻にしなくては」
と、一瞬で思い焦がれるようになった。
そして多気の大夫は、越前守の家の者を呼んできて話を聞いてみると、
「長女の大姫御前が、紅の単衣をお召しです」
とのことだったので、
「その大姫御前を、わしに盗ませろ」
と言うと、
「思いもよらぬこと。さすがに出来ませんよ」
「それなら、大姫御前の乳母に連絡をとってくれ」
と言うと、
「それであれば、そうお伝えします」
と、その者は、乳母を呼んできた。
そして大夫は乳母に金を百両与えるなどして、
「大姫御前をわしに盗ませろ」
と強引に承諾させると、そういう運命にあったのであろう、
大姫御前は、多気の大夫に盗み出されてしまい、
乳母とともに、あっという間に常陸の国へ連れ去られてしまった。
あとに残った人々は嘆き悲しんだが、もうどうすることも出来なかった。
【つづき】
原文
伯母事
今は昔、多気(たけ)の大夫(たいふ)といふ者の、常陸(ひたち)より上(のぼ)りて愁(うれ)へする比(ころ)、向かひに越前守(えちぜんのかみ)と いふ人のもとに経誦(ず)しけり。この越前守は伯(はく)の母とて世にめでてき人、歌よみの親なり。妻は伊勢の大輔(たいふ)、姫君にたちあまたあるべ し。多気の大夫つれづれに覚ゆれば、聴聞(ちやうもん)に参りたりけるに、御簾(みす)を風の吹き上げたるに、なべてならず美しき人の、紅(くれなゐ)の 一重(ひとへ)がさね着たる見るより、「この人を妻(め)にせばや」といりもみ思ひければ、その家の上童(うへわらは)を語らひて問ひ聞けば、「大姫御前 の、紅は奉りたる」と語りければ、それに語らひつきて、「我に盗ませよ」といふに、「思ひかけず、えせじ」といひければ、「さらば、その乳母(めのと)を 知らせよ」といひければ、「それは、さも申してん」とて知らせてけり。さていみじく語らひて金(かね)百両取らせなどして、「この姫君を盗ませよ」と責め 言ひければ、さるべき契(ちぎ)りにやありけん、盗ませてけり。
やがて乳母(めのと)うち具(ぐ)して常陸へ急ぎ下(くだ)りにけり。跡に泣き悲しねど、かひもなし。
適当訳者の呟き:
なんて強引な。つづきます!
伯母、伯の母:
おば、じゃありません。
神祇伯という、宮廷で祭祀を司る神祇官の長官が「神祇伯」で、これの母親ということです。
※このお話には「伯」の人は登場しません。「伯の母」の若い頃のお話です。
伯:
はく。ここでいう神祇伯は、伯家神道白川家の祖である康資王のこと、だそうです。
というわけで、歌集などに、「伯の母」は、「康資王母(やすすけおうのはは)」という名前で登場することが多いようです。
多気の大夫:
たけのたいふ。板東平氏、平将門の親戚にあたる、平維幹。常陸大掾氏の祖だそうです。
力強い田舎の豪族の人ですね。
越前守:
高階成順。奥さんが有名な歌人、伊勢大輔、というくらいしか検索できません。
伊勢大輔:
いせのたいふ。女の人です。百人一首にも採用された歌人。
いにしへの 奈良の都の 八重桜 けふ九重に 匂ひぬるかな
[7回]
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