これも今は昔、
筑紫の人が、商売のため、朝鮮半島の新羅に渡った時のこと。
商売を終え、さて帰ろうと、舟で山の際をくだった商人は、
水を補給しようと河口に舟を泊めた。
船端からは、海面に山の影が映っている。
高さは、三、四十丈だから、100メートルとか、150メートルくらい。
その山の上に、身を屈めた虎がこちらの様子を窺っているのが見えたため、
商人は大急ぎで周りに伝え、水汲みにやっていた連中も呼び寄せると、
全員で櫓を漕いで舟を進発させた。
と、動き出すやいなや、虎が舟に向って躍りかかってきたが、
舟が出た後だったので、虎はあと数メートルのところで、海へ落ちた。
舟を漕ぎ、急いでその場を離れながら、なおも虎を見ていると、
虎はそのうち海から出て陸へのぼり、
波打ち際の平らな岩の上へのぼったが、気づけば、
左の前足が、膝から下で食いちぎられて、血がしたたっていた。
「サメに食われたんだ」
と、虎は岩の上へ伏せながら、その噛み切られたところを水にひたし始めた。
「どうするつもりだ」
そうこうするうちに、沖の方から、サメが虎の方へ迫って来た――と見えた瞬間、
虎は右の前足で、サメの頭へ爪を立てるや、これを陸地へ数メートルも放り投げたのである。
さらに、仰向けになり、慌てふためくサメへ躍りかかり、顎の下へ食らいつき、
二度、三度とこれを打ち振ると、肩へ担ぎ、
垂直の、二十メートルもあるような大岩へ三つの足だけで、
下り坂を走るように一気に登って行ったのだった。
この有様に、
舟から見ていた連中は、ほとんど気も失わんばかりに驚いて、
「あれだけ強い虎だ。舟に飛び込まれていたら、
どんな銘刀を抜き合わせても太刀打ちできるものではなかった……」
と、気も心もくじけて、舟を漕ぐ力も失い、ほうほうの体で、筑紫へ戻ったのだという。
原文
虎の鰐取たる事
これも今は昔、筑紫の人、商ひしに新羅に渡りけるが商ひ果てて帰る道に、山の根に沿ひて、舟に水汲み入れんとて、水の流れ出でたる所に舟をとどめて水を汲む。
その程、舟に乗りたる者舟ばたにゐて、うつぶして海を見れば山の影うつりたり。高き岸三四十丈ばかり余りたる上に、虎つづまりゐて物を窺ふ。 その影水にうつりたり。その時に人々に告げて、水汲む者を急ぎ呼び乗せて、手ごとに櫓を押して急ぎて舟を出す。その時に虎躍りお りて舟に乗るに、舟はとく出づ。虎は落ち来る程のありければ、今一丈ばかりをえ躍りつかで、海に落ち入りぬ。
舟を漕ぎて急ぎて行くままに、この虎に目をかけて見る。しばしばかりありて、虎海より出で来ぬ。泳ぎて陸ざまに上り て、汀に平なる石の上に登るを見れば、左の前足を膝より噛み食ひ切られて血あゆ。「鰐(わに)に食ひ切られたるなりけり」と見る 程に、その切れたる所を水に浸して、ひらがりをるを、「いかにするにか」と見る程に、沖の方(かた)より鰐虎の方をさして来ると見る程に、虎、右の前足をもて鰐の頭に爪をうち立てて陸ざまに投げあぐれは、一丈ばかり浜に投げあげられぬ。のけざまになりて ふためく。頤(おとがひ)の下を躍りかかりて食ひて、二度三度ばかりうち振りてなよなよとなして、肩にうちかけて、手を立てたるやうなる岩の 五六丈あるを、三つの足をもちて下り坂を走るがごとく登りて行けば、舟の内なる者ども、これが仕業を見るに、半らは死に入り ぬ。「舟に飛びかかりたらましかば、いみじき剣刀(つるぎかたな)を抜きてあふとも、かばかり力強く早からんには、何わざをすべき」と思ふに、肝心失せて、舟漕ぐ空もなくてなん筑紫には帰りけるとかや。
適当訳者の呟き
虎カッコイイ。
筑紫:
つくし。九州のことですけど、基本的には筑前、筑後の九州北部とか、太宰府のことを言うっぽいです。
新羅:
しらぎ。しんら。356年- 935年。
宇治拾遺物語の舞台が、だいたい西暦1000年とか、1100年ごろなので、「新羅」と言われると、当時の人には、存外、身近な存在だったかもしれません。
鰐:
わに。でもサメのこと。因幡の白ウサギが、ワニの背中にぴょんぴょん飛び乗るのは有名ですね。
朝鮮半島の虎:
昭和初期までは、普通に山の中に住んでたみたいです。
[6回]
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