昔、美濃国の伊吹山に、長年修行を積んでいる聖（ひじり）がいた。
阿弥陀仏のほかは一切知らず、余念無く念仏を唱え続けて、年を重ねていた。
さてこの聖が、ある夜遅く、
仏の御前で念仏を唱えていると、空から声が聞こえ、
それが告げて言うには、
「汝、ねんごろに我を頼み、今こうして念仏の功徳が多く積ったゆえ、
明日の昼、未の時に、必ず必ず、ここへわしが来ておまえを迎え入れるであろう。
ゆめゆめ念仏怠るべからず」
これを聞いた聖は、限りなく丁寧に念仏を唱えると、
水を浴び、香を焚いたところへ花を散らして、
弟子たちにも、ともに念仏を申させて、西に向って座していた。
やがて、ひらめくように何かが光った。
聖が手を摺り合わせ、念仏を唱えながら見ていると、
仏が、身体から金色の光を放ちながら、やって来るのである。
あたかも、雲間から現れた秋の月のよう。
さまざまな花を降らせながら、眉間の白毫の光が、聖の身体を照らすのだ。
もはや、聖は尻をさかさまにして拝み入り、数珠の紐も切れるばかりになっている。
観音はやがて蓮台を差し上げ、聖の前に近寄る。
紫雲が厚く棚引くところへ、聖が這い寄り、蓮台へあがると、
彼は西の方へと、運ばれて行くのだった。
坊舎へ残った弟子達は、涙を流してありがたがり、聖の後世を弔った。
そんなこんなで、七八日が過ぎたころ。
坊舎の下っ端の僧侶連中が、念仏僧に湯浴みをさせようと、湯を沸かすため、
木を切りに山の奥まで入り込んだところ、
遙かな滝の上へ差しのばされた杉の木があって、梢から、何やら叫び声が聞こえる。
不思議に思い、見上げれば、法師が裸にされて、縛り付けられていたので、
木登りの得意な法師が登って確かめると、
極楽へ迎え入れられたはずの師匠の聖が、葛のつるで縛られていた。
法師たちは驚いて、
「どうしてお師匠は、こんな目に遭われているのですか」
と、近寄って縄を解くと、聖は、
「迎えが参る間、しばしこうして待っておれ、と仰られたのだぞ。
今に仏がお見えになるというのに、どうしてこのように解いてしまうのだ」
そんなことを言うが、とにかく葛をほどいてしまうと、聖は、
「南無阿弥陀仏、わしを殺そうとする者がいるぞ。をうをう」
などと叫び声を上げる始末。
ともかく法師たちが大勢集って、葛を解いて引きおろし、
この聖を坊舎へ連れて帰ったが、彼らも、
「情けないことになりました」
と嘆き、困惑するばかりだった。
聖は、そして、正気づくこともなく、二日三日経って死んでしまった。
智恵のない聖は、こうして天狗に騙されるのである。
原文
念仏の僧魔往生の事
昔、美濃国伊吹山に、久しく行ひける聖（ひじり）ありけり。阿弥陀仏より外（ほか）の事知らず、他事なく念仏申してぞ年経にける。夜深く、仏の御前に念仏申して居たるに、空に声ありて告げて日く、汝、ねんごろに我を頼めり。今は念仏の数多く積 りたれば、明日の未の時に、必ず必ず来たりて迎ふべし。ゆめゆめ念仏怠るべからず」といふ。その声を聞きて、限なくねんごろに念仏申して、水を浴み、香をたき、花を散して、弟子どもに念仏もろともに申させて、西に向ひて居たり。やうやうひらめくやうにする物あ り。手を摺りて、念仏申して見れば、仏の御身より金色の光を放ちて、さし入りたり。秋の月の、雲間より現れ出でたるがごとし。さまざま の花を降らし、白毫の光、聖の身を照す。この時、聖尻をさかさまになして拝みに入る。数珠の緒も切れぬべし。観音、蓮台を差し上げて、聖の前に寄り給ふに、紫雲あつくたなびき、聖這ひ寄りて、蓮台に乗りぬ。さて西の方へ去り給ひぬ。坊に 残れる弟子ども、泣く泣く貴がりて、聖の後世をとぶらひけり。
かくて七八日過ぎて後、坊の下種（げす）法師ばら、念仏の僧に、湯沸して浴せ奉らんとて、木こりに奥山に入りたりけるに、遥なる滝にさし掩（おほ）ひたる杉の木あり。その木の梢に叫ぶ声しけり。怪しくて見上げたれば、法師を裸になして、梢に縛りつけた り。木登よくする法師、登りて見れば、極楽へ迎へられ給ひし我が師の聖を、葛（かづら）にて縛りつけて置きたり。この法師、「いかに我が師は、かかる目をば御覧ずるぞ」とて、寄りて縄を解きければ、「『今迎へんずるぞ、その程暫しかくて居たれ』とて、仏のおはしまししをば、何しにかく解きゆるすぞ」といひけれども、寄りて解きければ、「阿弥陀仏、我を殺す人あり。をうをう」とぞ叫びける。されども 法師ばらあまた登りて、解きおろして、坊へ具して行きたれば、弟子ども、「心憂き事なり」と歎き惑ひけり。聖は人心もな くて、二日三日ばかりありて死にけり。智恵なき聖は、かく天狗に欺かれけるなり。
適当訳者の呟き：
何てこったい。。。
未の時：
昼の２時ごろ。明るい時分にやってきたわけですね。
白毫：
びゃくごう。おでこの真ん中にある、白くて長い毛。
仏像やらせんとくんを見ると、ほくろとかボタンみたいに見えますが、本当は毛が丸まったものです。びいんと伸ばすと、４．５メートルにもなるそうです。
[3回]
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に掲載。
