後鳥羽院の時代、水無瀬のお屋敷に、夜な夜な、
山の方から、唐笠のようなものが、光を帯びて、御堂へ飛び込むことがあった。
警護の西面の侍たちは、それぞれ、
「この正体を見極めて、名を上げようぞ」
と、心にかけて警戒していたものの、むなしく日々を過しているうち、
ある夜、景賢(かげかた)が一人で、中ノ島に寝ていたところ、
例の光るものが、山側から池の上を飛行した。
景賢は、起き上がる時間も惜しいとばかりに、
仰向けに寝たまま、弓を強く引いて射かけると、手応えがあって、
池の中へ何かが落ち込んだ。
その後、雑人に命じて火をともし、みんなで見てみると、
年をとり、毛なども禿げ禿げになった、いかにもしぶとそうな、
おそろしく大きなむささびがそこにいたのである。
原文
水無瀬殿鼯事
後鳥羽院の御時、水無瀬殿に、夜る夜る山より、から笠程なる物の光て、御堂へ飛入事侍けり。西面(おもて)の物共、面ゝに、「これを見あらはして高名せん」と、心にかけて用心し侍けれども、むなしくてのみ過けるに、ある夜、景賢たゞひとり、中嶋に寝て侍けるに、例の光り物、山より池上を飛行けるに、起きんも心もとなくて、あふのきに寝ながら、よく引て射たりければ、手ごたへして池へ落入物ありけり。其後、人ゝに告げて、火ともして、面ゝ見ければ、ゆゝしく大なるむさゝびの、年古り、毛なども禿げ、しぶとなるにてぞ侍ける。
適当訳者の呟き:
あら、後鳥羽院。鎌倉時代も中盤の話も入っているのですね。
後鳥羽院:
有名な後鳥羽上皇。承久の乱で幕府をやっつけようとされましたが、勝てませんでした。
平家物語などで、悪の帝王のごとき存在になる後白河法皇の皇孫で、平家が連行した安徳天皇にかわって帝位におつきになったので、三種の神器無しの状況で、即位されて、その点でもやもやされていたようです。
水無瀬殿:
みなせどの。後鳥羽上皇の別荘。摂津上島水無瀬川のほとりにあったようです。
景賢:
かげかた。不明。
名前の感じからすると、遠山景賢という、遠山の金さんの遠い親戚にあたる人のことかもしれません。
遠山さんと同じ祖先の加藤氏に、承久の乱のときに上皇方で戦死した人がいますので、縁が無いわけじゃないと思いますが、よくわかりません。
[1回]
PR