さて、例の郎党が虎の居所を聞きつつ、行ってみれば、
なるほど確かに広々とした畑に、麻が生え渡っている。
麻の丈は四尺、つまり1.2メートルほどで、その中を書き分けて行くと、
聞いたとおりに、虎が伏していた。
郎党、尖り矢を整え、片膝を立てて待ち構える。
虎、 人の匂いを嗅ぐと、身を突き出すようにして、身体を低くした。
鼠をうかがう猫のようにしている。
これを郎党、矢をつがえたまま、音も立てずに待ち構えていると、
大口を開けた虎が、踊りあがって郎党の上へ襲いかかるのを、
弓を強く引いて、のし掛かられるのと同時に、ようやく矢を放ったため、
虎の顎の下からうなじへ七八寸、矢の先端が飛び出した。
逆さまに倒れる虎。
起き上がれずに足掻くのを、雁股の矢という強力な矢を弓につがい、
二度腹を目がけて射れば、二本とも貫通して地面へ縫い付け、とうとう虎を殺したのであった。
郎党は、矢も抜かずに国府へ帰り、国守にこれこれのように射殺してきたと告げれば、
国守は大いに感心し、大勢を引き連れて虎のもとへ行ってみれば、
なるほど、確かに矢が三筋とも貫通していた。
見るだけでもたいへんなものであって、
仮に百千の猛虎が攻めかかったとしても、
十人ほどの日本人が馬で駆け向い、矢を射たなら、虎も何ができようと思われた。
新羅の人は、一尺ほどの短矢に錐のような鏃をつけ、そこへ毒を塗って射るので、
それに当れば、やがてその毒のために殺すことはできるが、
その場で射倒すことなどは、とてもできない。
日本の人は、己の命を露ほども惜しまず、
大きな矢で射ればたちまちその場で虎を射殺してしまう。
何と、兵の道は日の本の人に及ぶことはないぞと、
まことに、実に恐ろしく思われる国だと、新羅の人は怖れたという。
さて、この郎党、しばらくは国守が惜しみ、新羅へ残るよう留めたが、
妻子を恋しく思い、故郷へ戻った。
そして元の主人、宗行のもとへ参上して、虎退治の一件を語れば、
「日本の面目をほどこした者だ」
と、勘当も許され、多くの物を俸禄として与えられた。
そして主人の宗行も褒美を得たという。
その後、多くの商人が、新羅人の話すのを聞いたため、
九州中に、我国のつわものは大したものだという評判が広がったそうである。
原文
宗行郎等射虎事(つづき)
かくて、此男は、虎の有所問ひききて、ゆきて見れば、まことに、はたけはるばると生ひわたりたり。をのたけ四尺ばかりなり。其中をわけ行て見れば、まことに虎ふしたり。とがり矢をはげて、片膝をたてて居たり。虎、ひとの香をかぎて、ついひらがりて、猫のねずみうかがふやうにてあるを、男、矢をはげて、音もせで居たれば、虎、大口をあきて、躍りて、男のうへにかかるを、男、弓をつよくひきて、うへにかかる折に、やがて矢を放ちたれば、おとがひのしたより、うなじに七八寸ばかり、とがりやを射いだしつ。虎、さかさまにふして、たふれてあがくを、かりまたをつがひ、二たび、はらを射る。二たびながら、土に射つけて、遂に殺して、矢をもぬかで、國府にかへりて、守に、かうかう射ころしつるよしいふに、守、感じののしりて、 おほくの人を具して、虎のもとへゆきて見れば、誠に、箭三ながら射通されたり。みるにいといみじ。寔〔まこと〕に百千の虎おこりてかかるとも、日本の人、十人ばかり、馬にて押しむかひて射ば、虎なにわざをかせん。此國の人は、一尺ばかりの矢に、きりのやうなるやじりをすげて、それに毒をぬ りて射れば、遂にはその毒の故に死ぬれどもたちまちにその庭に、射ふする事はえせず。日本の人は、我命死なんをも露惜しまず、大なる 矢にて射れば、その庭に射ころしつ。なほ兵の道は、日の本の人にはあたるべくもあらず。されば、いよいよいみじう、おそろしくおぼゆる國也とて、怖ぢにけり。
さて、この男をば、なほ惜みとどめて、いたはりけれど、妻子を戀て、筑紫にかへりて、宗行がもとに行て、そのよしを かたりければ、「日本のおもておこしたる者なり」とて、勘當もゆるしてけり。おほくの物ども、祿にえたりける、宗行にもとらす。おほくの商人ども、新羅の 人のいふを聞きてかたりければ、筑紫にも、此國の人の兵は、いみじきものにぞしけるとか。
適当訳者の呟き:
昔の日本に、これほどの人がいたというのに。
かりまた:
雁股の矢。先端がU字に分れている矢です。
こちらの美術館のサイトに、それっぽいのがありまして、主に狩猟に使われたようです。
こんなもので虎の体内を貫通させるのですから、よっぽど強く引かないといけないと思われます。
[2回]
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